45. 『真夜中の訪問者』  森の闇からやってくる足音に恐怖


 秋真っ盛りの八千穂ではありますが、今年の紅葉は何だか美しくない。まるで縁の下に置き忘れた錆びだらけのノコギリのような風景で、景色が病んでいる。もっと鮮やかに黄色や紅色が輝いていて欲しいと思う。秋の爽やかな空気の中で、いっぱいに陽光を受け、柔らかな風に枯れ葉が舞って、ザワザワ、カサコソと秋を奏でて欲しいとも思う。

 落ち葉の下に夏の喧噪が沈澱し、冬の雪に覆われるまでの一年で最も美しい季節でありながら、今一つスッキリしない。葉が落ち始めて、木々の間に、数十メートル離れているお留守の山荘が見える。北側すぐのお隣は今週もお留守で、秋の淋しさを増している。今年の紅葉は何となくいつもと違う。

 なんか変だナーと思いつつ、どんよりした秋空を見た日の夜半、一人でテレビを見るのも飽きてそろそろ寝ようとストーブを消して直ぐの時。ゆっくりとズドン、ズドン、ズドンと長靴のような物を履いた足音が、宅庵(私の山の家)の玄関前、十段ほどの木造の外部階段付近から聞こえた。「ん?何の音だろう?」と一瞬思ったが、誰かが階段を上がっている。それも、異常に、ゆっくりと、わざと意識的に大きな音を立てている。そろそろ夜中の十二時だ。何だろう?の疑問は不安に代わり、それは直ぐに恐怖となった。

 私は、俗に言う「恐がり」だ。冬の夜中宅庵に着いて、まずしなくてはならないことは通水だが、真っ暗な時は無論、変に月明かりで明るいときにでも、一人で行くのはあまり気持ちのいい物ではない。懐中電灯片手に宅庵の裏手に回り、闇を背にしてしゃがみ込み、排水栓を閉め、給水と給湯栓を開かねばならない。誰か訳の分からない人や怪物に襲われるんじゃないかと思うと、正直なところ背筋が凍る。天変地異や野生動物の悪戯による恐さではなく、ホラー映画的な幼稚な恐怖なのだが、恥ずかしながら恐いと思う気持ちは拭えない。

 それは東京にいても同じで、毎日、自宅マンションに夜遅く帰り、エレベーターのボタンを押して、扉が開くまでの間、つまらない妄想が襲うことがある。この扉が開くと、中に、何か、とんでもない状況が出現し、襲っては来やしないだろうか、見てはいけない恐怖の光景が床に転がっているのではないかと想像してしまう(私って病気だろうか?)。

 私はパジャマ姿の上にチャンチャンコを羽織り、宅庵の居間に凍り付きながら突っ立っている。間違いなく誰か、人間が、階段を登って来る。人気のない森の暗闇の中、ゆっくりと、意識的に大きな音を立てている。その規則正しい重い足どりは、挑発的で不気味な勝利を確信している。

 居間の掃き出し窓から見える玄関ポーチは闇の中にある。やがて姿を見せるであろ足音が徐々に迫ってくる。チビの野球のバットが目に入った。とてもそんな物は持てない。未知なる恐怖にバットで立ち向かう勇気など私にはない。どんな状況が展開されるのか。なるようにしかならないだろう。やがて、その時が来た。一際大きな音を立てて、玄関ドアーの前で足音が止まった。

 「マツダさ~ん。ヨシダで~す」。ガクッときた。何という緊張の長い一瞬であったろう。ドアーを開けると、血糊のべっとり付いた斧やノコギリの代わりに懐中電灯があった。アイスホッケーのフェイス・マスクの代わりに、チョットのお酒でふにゃけた近所の笑顔があった。








明日の 46 続く。




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44. 『煙突がやってくる!?』  二住生活人にも降りかかるゴミ問題


 東京の私の住むマンションから、世田谷砧(きぬた)公園そばに立つに世田谷清掃工場の煙突が見える。そして、長野県八千穂村にある私の週末の家「宅庵」のそばにも煙突が見えてきそうだ。ごみ焼却場の建設計画が持ち上がっている。「えー?、何で八千穂なの?」の疑問の後、「まー、反対するだけでは脳がない」と思い、村の人や村長さん、別荘にいる方々と会い、少々考えることとなった。

 ゴミの焼却施設から出るダイオキシンなどによる環境汚染の問題は、今や全国的な問題であり、どこに住まいを持ったところで逃れることはできない。自分なりに納得しなければ、今後どこにも住めないことになってしまう。

 大気汚染や河川や湖、地下水、海水の汚染は全国至る所で発生している。海山の生態系も壊れつつあって、魚や動植物の世界にも奇形の発生率が増し、見るからに奇妙醜悪な生物が生まれ始めている。原子力関連の事故もあるし、これからはかなり深刻に心配しなければならないだろう。環境ホルモンの問題も含め、精子の数が減ってきたとか、訳の分からない子供が生まれたり、奇形児の出生率が上がるような不安もある。

 フロンガスによるオゾン層破壊も止まらない様子で、有害な紫外線が増加し、動植物や人体に深刻な影響を与え始めているとも聞く。環境についての不安は東京にいたって、八千穂にいたって同じ事だと思うようになった。

 我々、団塊の世代は、近代合理主義などという不合理に何の疑問も持たず、大量生産、大量消費の物質至上主義を信じて生きてきた。エコノミック・アニマルなどとと呼ばれながらも盲目的に働いて、「名犬ラッシー」や「パパは何でも知っている」の家庭を実現すべく努力してきた。溢れる物に囲まれてどんどん生活は楽になった分、ゴミも沢山出してきた。

 ゴミは誰かが安全に処分してくれる物として、気持ちのどこかで気にはなっていたものの、総じて無頓着でいた。多くの電気製品や建築資材その他の物品の中に重金属などの有毒物質が多量に含まれ、環境や人体に有害であることを知り、社会問題化している。かさばるゴミが集められ、小さく裁断され、焼却され、毒性ばかりが濃縮された状態で大気や地下水を汚染してしまっている。

 宅庵から歩いても行ける近所に、焼却灰などを捨てた、管理不十分な最終処分場がある。下流の六市町村に影響が及ぶ水源涵養(かんよう)林と呼ばれる森の中に、人里離れてそれは存在する。見た目には汚染物質が垂れ流されているように見える。近隣山荘に住む方々の殆どは行ったこともないだろうし、多分知らないだろう。

 そして今回のゴミの焼却場が、宅庵から直線距離で一キロ程の所に新たに建設されるかも知れないと言うことだ。既に村にある焼却場は旧式の施設であって大気を汚染し続け、異臭さえ漂い、専門家の意見では有害であり直ちに閉鎖すべきとも言われている。ゴミの収集方法やリサイクル・システムを整備すれば今後の焼却施設は全く必要ないとの意見もある。

 都市部の公害を逃れて、週末の住まいに自然を求めたところで、目には見えない水や空気の汚染からは逃れることはできない。地球温暖化、遺伝子操作やクローンの問題も含め、来るべきミレニアム(千年期)は、人類存亡の試練の時になって行くような気がしてきた。

 他人事のように気楽に考えていたゴミ問題が、にわかに自分に降り注ぎ、都市と田舎に住む二住生活人として、どうすればいいのかをもっと考えてみる必要がある。








明日の 45 続く。




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