昨夜、旦那さんと話していて一つ解明できたこと!

 

 

私ね、人によるんだけど

一体何を言いたいのか、わからない時があるな~とふと思ったの。

 

 

だから、なんて言い返したらいいのかよくわからない、という状況が

たまに起きるんです。

 

 

で、具体的に思い当たった友人Aさん(旦那さんと共通の人)の

名前を旦那さんに言ったら、

「俺でもAさんの言うことがわからない時があるよ。

で、なぜ“わからない”のかの理由もわかるよ」だと~!

 

 

 

まぢで?

すごいね!なんでなんで????

私、全然わからないんだけど滝汗

 

 

 

 

旦那さん曰く、Aさんと旦那さんはだいぶ似ているらしい。

 

 

Aさんは自分の感情をとても細かく見れる人。

で、会話するときにその感情が10あるとして

最初の1と結論の10しか言わないらしい。

(確かに喜怒哀楽の表現、めちゃくちゃ豊かな人だわ)

 

 

旦那さんの場合は1から7ぐらいまでを感じられる人で、

Aさんほどの幅がないから、

旦那さんでもAさんの話が分からない時がある。

 

 

ざっくり説明するとこんな感じらしい。

 

 

で、気が付いたのは

私は私の感情に無頓着だったから

Aさんの1~10までの感じていることが想像すらできていない

ということ。

 

 

だから端折って話をするAさんに、私がついていけなかったんだびっくり

 

 

 

 

そんな長年の謎(しかも放置していた)が解けた昨夜の話。

 

 

 

 

なので、ブログのタイトルの答えは・・・

自分の感情に鈍感だから

人の話の真意が自分の中に

入ってこないということが起きる。でした。

自分とのコミュニケーションが取れていないんだもんね。

それで他人とはうまくやろうとしても、スカスカやん。

自分、置いてけぼりやん。

 

 

 

今の私にとっては全てのカギは

「自分の感情に丁寧に向き合うこと」

 

 

これに尽きる。

 

 

 

自分と丁寧に付き合ってこなかったから

人との付き合いに戸惑ってしまうし

自分のことを見ないで外ばかりを見て

無駄に優等生目指そうとするし。

 

 

全ては現状を見ることからだよね。

問題解決は足元からしかできないのに、

つい遠くを見て、「あー、無理」って

落ち込んでしまう。。。

 

 

 

セルフ・コンパッションも

人付き合いも。

大事なことは同じ。

 

 

自分が自分の人生に躓いているのは同じ理由だった。

原因は親の無関心からだけど。

それは今更仕方ないこと。

 

 

今できる事をやる。

 

 

いつでも自分の感情を丁寧にくみ取ってあげること。

そしてそのためには大事な大前提があって

常に自分に対して「慈悲の心」を持つこと。

 

 

「いい悪い」の単純な分け方をしない。

たとえネガティブな感情であってもいいじゃん。

どんな感情を持ったとしても、まずは自分が

そのまま優しく受けれる心を持つだけで安心するよね。

 

 

 

今日も梅雨の空。

 

 

自分のご機嫌をちょっとでも取ろうチュー

 

今からラーメン食べにいこうかな照れ