15年以上になるかと思うが、おそらく設置されてからずっとやってきた。

 この間、自分に与えられた役割だと自覚し、使命感も感じていた。


 ネーミングは堅いが、障害を含めた特別な支援を必要とする子どもたちを軸とした教育を進める上で、周り(教員、子どもたち、保護者、地域、関係各機関)に働きかけ、その子にとってより良い教育を目指して調整してきた。

 具体的には、
障害があるかもしれない子ども、不適応を起こしている子どもらの保護者や担任に寄り添い、相談に乗ったり、関係機関へつなげたり、


通常学級内での配慮を検討したり、
 

通級指導教室や特別支援学級への入級を勧めたりした。
 

保育園や幼稚園、中学校へ出かけていき、そのスムーズな就学の接続ができるように取材し、情報を提供したりしてきた。
 

また、招かれていろいろなところで特別支援教育について話をする時間を設定させてもらったこともあった。

 

 この15年の間に、この教育への関心の高まりとニーズの大きさを実感してきた。始めのうちは保護者や先生方から、「うちの子どもは関係ない」という受け取られ方をすることが多かったが、そのうち、進んで相談に来てもらうことが増えてきた。

 積極的に相談に来てもらってきた保護者の子どもたちは、情緒的に安定し、笑顔になっていくことが多かった。関係者が一緒になって考えることで、より良い就学や支援が受けられるようになったことには満足感を感じていた。

 一方で虐待を指摘し、児童相談所へ通告を勧めたりもした。家庭内の問題で学習環境が整わず、不適応を起こしている子どもには、保護者の意識の改善が必須だと思った。ただ、教員は大人は教育できないし、強い指導はかえって逆効果を生むこともあり、児相に任せることになったことが幾度もあった。

 私の勧めで家庭から引き離された子どもがいる事実は、今でも私の心を痛めている。

 教員を退職し、この役割は終わりとなったが、ここで学んできたことは自分の大切な財産となっている。今後は障害のある人の福祉のために、この特別支援教育コーディネーター経験を活かして行きたいと考えている。

 

 それもまた、私の夢の一つである。