「冒険」とは何か辞書をみると「危険な状態になることを承知の上で、あえて行うこと」と書かれていた。「冒険」の主たる構成要素が、辞書の通り「危険なこと」だとすれば、谷川岳の一ノ倉沢はまさしく「冒険」の舞台としては世界一といえるかもしれない。


谷川岳は遭難死者数が800人以上と、エベレストの倍以上の数に上っており、「遭難死者数世界最多の山」として知られている。

その遭難のほとんどは一ノ倉沢における登攀ルートで発生している。



高校生のときはじめて一ノ倉沢を見に行ったとき、その迫力に圧倒された。とてもではないが、あの迫力は写真では伝わらない。

当時の私はその迫力を前に、ここを手と足で攀じ登る人がいるということが信じられなかった。

かなり高い確率で死ぬリスクを背負って挑戦をつづけ、結果このエリアで世界で一番の死者数が記録されたことに対し、それは何か高尚な意義があるような気はするけど、理解できないなという感想をもった。

そんな知識もあり、一ノ倉沢には圧倒的な迫力と畏敬の念のようなものを強く感じたが、同時になにか高貴な美しさのようなものも感じた。その迫力と美しさの入り混じった風景に魅了されて、その後もことあるごとにここを訪れている。


パラグライダーを担いで山に登り、飛ぶという行為を去年始めた。

当初は、管理されたフライトエリア外で飛ぶだけでも興奮していたが、なにかそこに付加価値というか、より面白味のあるハイク&フライトをしたくなった。


以前に、私と同じようにハイク&フライトをしている方の記録で、谷川岳の肩の小屋付近の残雪を使ってテイクオフしている動画を見たことがあり、なるほど残雪を使えばテイクオフは楽なんだなと気が付いた。

その記録では肩の小屋から天神尾根沿いにフライトし、湯桧曽のあたりに着陸していた。同じ谷川岳をハイク&フライトするにあたっては、

せっかくなら少し違った趣向を持ちたいとおもって決めたのが一ノ倉沢を飛ぶことだった。

あの畏敬の念をもって見上げていた一ノ倉沢を飛んだらどんなふうに感じるのだろうと考えるだけでゾクゾクとしたし、そもそも谷川岳からパラグライダーで一ノ倉沢を飛んだ前例はそう多くはないだろう。

この新奇性のあるフライトが、自分にとっては冒険みのあるチャレンジに感じられた。


離陸の候補地は2つある。

ひとつは先に述べた肩の小屋の下の残雪で、もうひとつは北側の一ノ倉岳の山頂付近だ。地形的にみて残雪が残っていそうだ。

着陸地の候補地は土合駅の北側の湯檜曽川の河原だ。

足元は岩で不安定だが、川は広くひらけており、高度処理やアプローチが容易だと判断した。


経路は4.6kmで高度差は1000m以上あるので、余裕を持って着陸地まで行ける。


当日、まずは着陸候補地の河原を偵察した。


写真ではわかりにくいが、思った通り河原は十分な広さがあり着陸は問題なさそうである。

遠くに谷川岳の頂が見える。あそこからここまで飛んでくるのかと思うといまだ現実感を伴わないふわふわした心持ちになった。


冒険だチャレンジだと言う割には、楽さを金で書い、ロープウェイで天神平まで上がった。

5月も後半ということもあり、残雪の少なさを危惧していたが、思った以上に雪が残っている。


天神平から肩の小屋までの夏道は1/3ほどは雪に埋もれており、ところどころピッケルを使って歩いた。


肩の小屋直下の残雪はしっかり残っており、テイクオフするには斜度も広さも十分だった。

ただ、風は弱いものの北寄りで、テイクオフには追い風となるため若干の不安が残る。

テイクオフ候補地のもう一つの一ノ倉岳の北側斜面なら向かい風でテイクオフできそうだなと判断してそちらに向かう。


稜線に出ると、切り立った谷が見えた。

ゴツゴツした岩肌が、いつも以上に迫力を持って感じられる。ソワソワするような不安に駆られながら稜線を進む。

一ノ倉岳についてみると、北側に雪が残ってるかと思いきや、東側斜面に雪が残っていた。

少し斜度がきついが、十分な広さがある。

遠くに見える越後山脈が美しい。


風向きは安定しないが、弱いので離陸には問題ないだろうと判断した。

ただ、いざパラグライダーをザックから取り出し、準備をする段階で「本当にここから飛ぶのか」という疑問というか、実行の覚悟に揺らぎが出てきた。

正直に言ってことにここから飛ぶのは怖さしかない。

ここまで歩いてきただけでも、残雪と新緑の山を十分に堪能した。歩いて帰ればなんの不安もなく楽しいままで帰れる。わざわざ怖いと思うことをしなくてもいいのでは。そんな感情だ。

計画の段階で一応リスク評価はしている。1番リスクが高いのは、一ノ倉沢の上空で何かがおこり谷の中に墜落または不時着した場合である。最悪の場合、岩壁に引っかかるなどしたら救助は極めて困難である。昭和の時代に、登攀中に滑落して亡くなったクライマーが、ザイルで宙吊りになり、回収が困難となったために自衛隊がザイルを銃で撃って遺体を落として回収したという事件が頭をよぎる。



パラグライダーが飛行中に制御不能になり墜落するという可能性はゼロではない。パラグライダーは布でできた翼の中に空気が入り込みその形を維持して飛ぶが、乱気流などによって翼が潰されてしまうことがある。基本的には潰れてもすぐに回復する。私自身も今までに飛行中に乱気流で翼が潰れ、ヒヤッとすることはあったが、基本的にはパラグライダー自体の持つ動的安定性により勝手に回復した。特に私が乗っているグライダーは初級機であり、安定性と回復性が高く、完全に制御不能になって墜落する可能性は極めて低い。

ましてや今日のような高気圧に覆われた大気の安定度が高く、風自体が弱い状態なら、乱気流自体のリスクが低い。

これらを考えれば、発生しうるリスクは許容範囲内だろうと頭では理解してここまできた。

ただ、理解と感情は別物である。

なぜ怖いのか自分でもよくわからない。

具体的になんのリスクに脅威を感じているかも定かではない。

ただ、自分がやろうとしていることに対し「やっていいものだろうか」という疑問にも似た恐怖だ。

そもそも、パラグライダーで飛ぶこと自体、他の趣味に比べればそこそこの危険(2万人程度の愛好者人口に対し1年間に数名が亡くなる)がある。

でも普段フライトエリアで皆と一緒に飛ぶ時には恐怖感はほぼない。

乱気流で荒れている時でさえ、周りのパラグライダーも同様に煽られているのを見ると安心する。

このような心理効果を学術的になんと言うかは知らないが、俗に言う「みんなで渡れば怖くない」だ。

今ここで感じている恐怖は、単純にリスク評価しきれなくて怖いのではなく、「みんなが渡っていない」ことに由来する怖さだろう。

わざわざ「人がやっていないこと」をしにきたのにである。

そんな矛盾した感情を押し殺すかのように、機械的に準備を進める。

怖いのであればやめれば良いのだが、自分があれだけやりたいと願っていたことに対する義務感のようなものを感じていた。


準備が整い、風を待つ。

相変わらず風向がコロコロ変わるが、正面から吹いてきた瞬間に意を決して走り出す。

なにか自分の迷いを置き去りにしたいがためか、いつもより力強く雪面を蹴って懸命に走った。



数秒後、グライダーが浮力を持って飛び出した。

うまく言語化できないが、職業パイロットでもある私は、航空機で2500時間以上の飛行時間(パラグライダーではせいぜい10時間程度だが)を持っており、空を飛ぶことはもはや日常とも言える感覚がある。しかし、航空機でもパラグライダーでも、離陸の瞬間の地上の世界線から、飛行の世界線に変わるこの瞬間は、一種の瞬間的なパラダイムシフトというか、世界がぐるっと変わる感じがして好きだ。特にパラグライダーでハイク&フライトをするときは強くそれを感じる。


一ノ倉尾根の北側を滑空し、対地高度を上げる。

右旋回して今回のテーマの一ノ倉沢に向かう。

尾根を越えて谷に入ろうとした瞬間、急にパラグライダーが右に大きくロール(傾く)した。


ロールした瞬間


それまで全く乱気流の予兆も感じなかったので、この現象には心底驚いた。幸い回復操作でロールは収まったが、今度はパラグライダーが前後に揺られるピッチングが始まった。

もはや景色を見る余裕などゼロで、とにかく荒れた状態が収まってくれと願いながら飛んだ。

フライトプランを考えていたときは谷川岳の稜線近くを飛び、迫力のある景色を見たいと思っていたが、そんなプランはどこかに飛んでいき、とにかく早く安全な方向へ向かおうと飛んだ。

尾根から離れると大気は安定し、スムースな飛行になった。

高度にも余裕があるので、360度旋回をして景色を楽しむことにした。



確かにそれは、麓から見上げるものでもなく、稜線から覗き込むのでもない、見たことのない谷川岳の景色ではあった。

また、地上からでは部分的にしか見れない谷川岳全体を、俯瞰して見れているということが、なにか自分が支配的立場になったかのような感覚を微かに覚えた。

もっとも、一ノ倉尾根での擾乱でビビり散らかした余韻と、これからまだ着陸が無事できるかの不安がほぼ全てであり、正直言って景色を楽しめたかと言えば楽しめてはいない。

湯檜曽川にでて着陸予定地へ飛んでいく。まだだいぶ高度に余裕がある。

湯檜曽川の翡翠色の水が美しい。



慎重にアプローチをして、狙い通り湯檜曽川の河原に降り立った。

達成感というよりは安堵感でいっぱいだった。

しばらくその安堵感に浸りながら谷川岳を見つめていた。

30分ほどそうしていただろうか。

やっと動き出す気力が生まれ、いそいそとパラグライダーを片付けながら考えた。

自分はなんのためにこんなことをしているんだろうと。

今回のハイク&フライトが楽しかったかどうかと言われれば、楽しくはなかったと断言できる。

終始恐怖と戦っていたフライトであり、1番高揚した瞬間は間違いなく着陸した瞬間である。


冒頭で述べた、冒険の定義が「危険なことを承知で行うこと」であれば、自分のやったことは冒険と言えるかもしれない。客観的にみてどれだけの危険があったかはわからないが、恐怖と戦って成し遂げたとは言える。

ただ、自分はそれに価値があるとは思えない。

ただリスクをテイクして、自分の命を賭けのような行為に使いたいとは思わない。

人が発想しえないような困難な領域での活動を、人から抜き出た技術や知識で成し遂げることに価値があるのではなかろうか。

そういう意味ではもっと知識や技術を身につけなければなとも思った。


冒険の定義を調べた際、辞書の定義とは違った見解を示している記事を見つけた



冒険家である萩田は、英語で冒険にあたるadventureの語義を分解し、それは「外に対して拡大していく行為」という言葉であり、リスクを取るかどうかは本来関係ないと言っていた。

この解釈には強く頷けるものがある。


ハイク&フライトをする人間にとっては、パラグライダーで一ノ倉沢を飛ぶことはそこまで困難なことではない。ハイク&フライトで残雪期の黒部横断など、客観的に見てもパラグライダーの、というよりは人間の能力の拡大とも言えるくらいのスケールの冒険をしている人もいる。



それらに比べれば、自分のやったことは客観的に認められるほどのアドベンチャーではなかったかもしれない。

ただ、内在的な意味においては、それは確かにアドベンチャーであった。高校生の自分が畏敬の念を持って一ノ倉沢を見上げたとき、まさかそこを飛ぶとは想像もしなかった。ただ見上げるだけだった領域に飛び込むということは、まさしく自分の活動領域の拡大であり、まだ見ぬ地平線を体験したいという欲求であった。


先日、K2の未踏ルートに挑戦して無くなった登山家のドキュメンタリーをみた。

彼らの挑戦を海外の記者がこう評していた。「彼らの冒険は、栄誉を得るためではなく、純粋な、まだ見ぬ体験を求めての行為であった」


私は今後もまだ見ぬ地平線への欲求を持ち続けて生きていきたい。