平和を望む人達にとって、

人と揉めること、争うこと、喧嘩することを

出来るだけ避けたいと思うと思うんです。



私もそうでした。



だからこそ、

揉めるのが嫌だから

人の借金を引き受ける。



争うのがめんどくさいから、

自分さえ我慢すればいいと思ってたし、

泣き寝入りもしてました。



喧嘩もしたくないから、

言いたいことも言わずに不満が増えて…



なんで私はこんなに我慢してるのに

いつまで経っても報われないんだろう?と

いつもいつも嘆いては悲劇のヒロインしてました。



これを自己犠牲といいます。



がそう決めて、

自ら犠牲者になっているだけで、

相手はラッキーとしか思っていないのです。



人はみんな自分が可愛い、

人はみんな自分の事しか考えない、

人はみんな清く正しい訳ではない。



私はただ単に、

自分の意見を言うことから逃げていただけで、

それはなぜかというと揉めるのがイヤだからで、

揉めるかもわからないのに

自分の意見を言うと揉めると決めつけていたから。



ほら、

相手に気を使ってるようで、

自分の事しか考えていない。



意見を言い合うことは、

揉めることでも、争うことでも、

喧嘩でもないのですが、

 

過去の経験で、

そうなると決めつけてしまうことで、

無意識に避けるようになり、

 

結果、自分ばかりが損な役回りになり、

陰で愚痴や不平不満を言うようになります。



その愚痴や不平不満は、

巡り巡って自分に返ってきて、

 

また愚痴や不平不満のことばかりを

引き寄せる事になります。



自分で決めてることなのに。



人のせいにする。



自分を被害者にして、

相手を勝手に加害者にする。



それをやめるためには、

やっぱり思ったことを素直に言うしか

解決策はないです。



拗ねて話すと、

喧嘩腰になりますので、

素直が大事。



自分を損な役回りにして、

いい人するのをやめる勇気を持ちましょう。



経営者同士なんて、

我の強いもの同士ですから、

 

ぶつかることも通り道です。



図太く、いきましょう。笑



時にはぶつかる時もあります。



雨降って地固まる


ということわざがあるように、

ぶつかって初めて改善に向かう事も

たくさんあります。



意見を言うことは、

争うことではなく、

 

話し合うという

コミュニケーションをしているだけなのです。

 

どちらが正しいのではなく、

どちらも正しくてよくて、

価値観が違うから。



その価値観をお互いに共有出来て、

相手を知るためにも、

自分を知ってもらうためにも

とても大切なことだと思うのです。



みんな違って当たり前、

擦り合わせ、承認、相互理解のためにも

揉めること、争うこと、喧嘩することを

恐れずに人と向き合っていきましょう。