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プルシェンコ、大手術で腰から4本のボルト除去

2014年03月06日 17:00 発信地:モスクワ/ロシア

【3月6日 AFP】ロシアの国営放送は5日、同国の男子フィギュアスケート選手であるエフゲニー・プルシェンコ(Yevgeny Plushenko)が大手術を終え、腰部から4本のボルトを取り除いたことを明らかにした。イスラエル人医師が手術を執刀し、全快の見通しが立てられている。

 プルシェンコは、ソチ冬季五輪フィギュアスケートの男子シングル・ショートプログラム(SP)を目前に控えた練習中、以前から問題を抱えていた腰を痛め棄権を発表した。プルシェンコは、ロシア代表として団体戦ですでに金メダルを獲得しており、国内ではそのまま個人戦にも出場することを疑問視する声も多かった。

 自身の棄権が議論を呼び、五輪の男子シングルに影を落としながら、31歳のプルシェンコはイスラエル・テルアビブ(Tel Aviv)の病院で腰部の新たな手術を受けた。

 注目を集めることを苦にしないプルシェンコは、ロシアの国営放送であるチャンネル1(Channel One)に手術中の撮影を許可し、今週手術が行われると、病棟で緊張しながら術後の第1歩を踏み出す映像もカメラに収めさせた。

 同局は、手術の目的は人工椎間板を支えるため、破損したボルトを交換することだったと伝えている。しかし、医師が確認してみると現在は自身の骨が椎間板を十分に支えられる状態にあり、4本のボルトすべてを腰部から取り除く決断に至ったという。

 プルシェンコはソチ(Sochi)で現役引退を表明したものの、リンクへの復帰の可能性は除外していないという。

「なにかが壊れるんじゃないかと心配するのをやめることにする」

 病院のスモックに身を包んだプルシェンコは述べた。

「もしかしたら、フィギュアスケートを続けるかもしれない。差し当たり、冗談ということになるけどね」

 賛否両論の虚勢を張る性格のプルシェンコは、「メダルのためには何かを犠牲にしなければならない。僕は自分の健康を犠牲にした。僕が愚かだという人もいるが、英雄だという人もいる」と語った。

「でも僕は僕のままなんだ。フィギュアスケートが大好きで、リスクさえも愛している」

 同局は、取り除かれたボルトのぞっとするような映像も放映し、その中には破損した1本も含まれていた。これは容易には折れないとされており、「本来であれば、これは宇宙空間でも耐えられるくらい強いものですが、3回転半のアクセルで2つに折れてしまったのです」と報じられた。

 ロシア語を話すイスラエル人の担当医は、手術は大成功を収め、数か月中にもプルシェンコが全快するとしている。

「半年後には何の制限もなくなるだろう。スケートもできるようになるはずだ」

(c)AFP



プルシェンコ9年間の手術遍歴

2014年3月5日 ヴィクトル・ツァプリン, ガゼータ・ル

 フィギュアスケート男子シングルのエフゲニー・プルシェンコが、再び腰の手術を受けた。一連の手術シリーズに、新たな外科手術が加わった。

イスラエルの病院で3日、プルシェンコの腰椎の手術が行われ、無事成功した。これはフィギュアスケートを始めてから13回目の手術である。腰から取りだされたのは破損したボルト。ソチ五輪で強い負荷がかかったことで折れてしまった。プルシェンコは今後、リハビリを受ける。
 医療センター「ラマト・アヴィヴ」のイリヤ・ピャチゴルスキー所長の言葉を、ロシア通信がこう伝えている。「手術は終了し、すべてが順調。折れたボルトの両部分を摘出した。特別なフュージョンという部品が腰椎と一体化するようにボルトが必要。すべてが固まっていたから、(すでに不要となった)他の3本のボルトも取り除いた。今はボルトのないフュージョンつきの腰椎になっている」。
 これまでさまざまな手術を受けてきたプルシェンコにとって、ボルトの破損は”氷山の一角”である。

鼠径ヘルニア除去(2005年)

 2002年ソルトレイクシティ冬季五輪で銀メダルを獲得してから3年、モスクワで行われた世界選手権に参加した。大会前に激痛を感じ、ショートはなんとか滑ったものの、フリーは棄権。
 次のトリノ冬季五輪まで残すところ1年弱となっていたため、さまざまな医師に痛みの原因を聞いた。原因を明言したのはサッカークラブ「ゼニト・サンクトペテルブルク」のミハイル・グリシン医師。鼠径輪に問題があり、ドイツ・ミュンヘンの病院で詳しい検査を行えば、しかるべき診断結果がでるとの意見を述べた。実際にその通りで、ドイツの医師は手術初日に一つ目の鼠径ヘルニア、翌日に二つ目の鼠径ヘルニアを除去した。一ヶ月間リハビリを行い、痛みのことを忘れた。

半月板除去(2007年)

 厳しい練習をしてのぞんだ2006年トリノ冬季五輪で金メダルを獲得した翌年、再びミュンヘンの病院に入院。片方の膝の半月板が負荷の強さに耐えきれず、バラバラになっていた。崩壊によって生じた隙間には膿がたまっていた。
 サッカー・ドイツ代表のハンスウィルヘルム・ミューラーウォルファルト医師が手術を担当し、時間はかかったものの、無事成功した。

半月板改善(2010年)

 2010年バンクーバー冬季五輪でアメリカのエヴァン・ライサチェクに負け、銀メダルに終わったため、世界選手権での雪辱戦に燃えていた。
 だが医師はプルシェンコの膝の状態が悪いことから、参加を厳しく禁止。再度の手術で以前手術した半月板の状態は改善したが、1年以上競技から離れた。

半月板修正(2012年)

 再び半月板の故障を抱えたが、今度はもう片方の膝。2014年ソチ冬季五輪まで残り2年で、プルシェンコを不安にさせた。ヨーロッパ選手権では、大量の鎮痛剤を打って滑ることができたが、その効果がいつ切れるともわからず、リスクがあった。7度目の優勝を遂げた後、ミュンヘンの担当医師が手術を行い、半月板の損傷部分を切除し、磨いた。半年後には大会に出場。

椎間板ヘルニア除去(2012年)

 2012年はケガばかりでひどい年だった。大きな椎間板ヘルニアが見つかり手術。手術は成功したが、これは腰椎の問題の序章でしかなかった。

椎間板置換(2013年)

 もっとも災難だったのはこの年。ヘルニア除去後、健康状態は急速に悪化。朝は熱い風呂に20~30分つかり、練習前と練習後にはマッサージに耐えなければならなかった。

 このような状態に業を煮やし、イスラエルの病院を受診。MRI検査を受けた結果、椎間板の1枚が完全にすり減った状態で、神経が挟まっており、もう1ヶ所のヘルニアもあった。ソチ五輪の1年前にポリマー製の人工椎間板が埋め込まれ、4本の金属製のボルトで固定された。

ボルト摘出(2014年)

 地元で開催された五輪で、不運なことが起こった。団体戦では、その後個人戦で金メダルを獲得した日本の羽生結弦にショートで負けただけで、フリーでは見事1位になった。だが個人戦前に練習していたところ、腰に痛みを感じ、さらに転倒。その後棄権した。
 プルシェンコは健康状態が良くなったら、自身のアイスショーを行う予定。次回の2018年平昌冬季五輪への出場も否定していない。


プルシェンコは健康状態が良くなったら、自身のアイスショーを行う予定=Getty Images/Fotobank撮影

生中継されるプルシェンコの手術

2014年2月26日 アナスタシア・ボグダノワ, ガゼータ・ル

 ロシアのフィギュアスケート選手エフゲニー・プルシェンコは、脊椎の再手術を受ける。オリンピック出場後、人工椎間板を固定していたボルトの一つが折れたためで、手術の模様は生中継されるという。

 3月2日に脊椎の再手術が予定されているフィギュアスケートの二度の五輪チャンピオンであるエフゲニー・プルシェンコは、手術の模様をリアルタイムで中継するつもりだと述べた。
 プルシェンコは、「R-スポルト」にこう語っている。「3月2日に手術が行われ、四本のボルトのうちの折れた一本が取り出されます。その模様をお見せしたいので、多くの方がそれを目にすることでしょう」。それは生中継されるのかとの記者の質問に、本人は、肯いたが、詳細は明かさなかった。

ソチ五輪でまたもや負傷

 プルシェンコは、ソチ五輪の際の練習中に腰のけがを悪化させたため、男子シングルをショートプログラムの本番直前で棄権し、ほどなくイスラエルへ向ったが、同地で医師らに次のように告げられた。人工椎間板を固定している四本のボルトのうちの一本が折れており、激痛の原因はそれであった、と。
 再手術は、一年前の手術より大がかりなものとなる。ボルトが折れているため、椎骨の一部を摘出してもう一度埋め込むという。

あわや身体障害者に

 プルシェンコが検査を受けている医療センターの所長イーゴリ・ピャチゴルスキー氏は、もっと深刻な事態も予想されたのでプルシェンコはとても運がよかった点を指摘し、「インタファクス通信」にこう語った。「ボルトは折れてずれていました。ジェーニャ(プルシェンコの愛称)は競技をストップしてよかったです。あのまま続けていたらボルトが脊髄に達し、身体障害者になるところでした」
 本人も、その知らせにぞっとしたことを明かし、第一チャンネルの記者にこう語った。「あれは、まさにショックでした。身体の異変は感じましたが、まさか歩けなくなって麻痺するところまでいくかもしれなかったとは…。たしかに、私は、歩くことも、動くことも、しゃがむことも、眠ることも、横になることもでき、どこも正常なのですが、痛みが強まっているので、何か手を打たなくてはなりません。私は、フィギュアスケートというこの道を選び、つねに自分が一番であることを示してきましたが、今は、何も要りません。検査を受けたあとで何かを決めることのほかには」

快復には時間がかかる

 昨年、プルシェンコは、四本のボルトと一つのポリマーの人工椎間板を埋め込んだ。その難しい手術が行われたのは、ザグレブでの欧州選手権のあとだったが、そのとき、彼は、椎間板がすり減った状態で出場し、ショートプログラム(SP)で転倒して負傷したのだった。のちに、医師らは、すべての原因は椎間板ヘルニアであると説明した。
 しかし、地元ロシアでの五輪の準備をしなければならないプルシェンコには、快復にかける時間はなかった。彼は、オリンピックの男子シングルの枠数が決まる世界選手権を欠場したが、代わりにロシア代表として出場した若手のマクシム・コフトゥンは、17位に終わり、ロシアは、一枠しか獲得できなかった。

 五輪後、プルシェンコは、完治するまでリンクに立たないとして、「R-スポルト」にこう語った。「今回は、急ぎません。前回は、一年前に手術が行われたので、地元での五輪に出場するために急ぎました。でも、今は時間があるので、二度とこんな目に遭わないように慌てずにしっかり治したいです」
 3月18日に彼のアイスショーの国内ツアーが始まるので、快復の期間がどれくらいになるかは定かではない。当初、ショーの開幕は3月初めに予定されていたが、けがのために一連の公演は9月に延期された。


ウラジーミル・ペスニャ撮影/ロシア通信


↓別ブログに、プル様の手術関連ニュース動画を紹介しております。

http://ameblo.jp/shuppansport/entry-11789622836.html
プルシェンコ手術

プル様は手術しすぎです……。

それだけ無理をしてきた結果なのですが、何とも痛々しいです。

「ボルトは折れてずれていました。ジェーニャ(プルシェンコの愛称)は競技をストップしてよかったです。あのまま続けていたらボルトが脊髄に達し、身体障害者になるところでした」

危なかったです。ソチ五輪の個人戦は棄権して正解でした。

やっと自国での五輪も終わりました。

これからは身体を守って、プロとして長く活躍して欲しいと思います。

平昌五輪もでちゃう……?



↓プル様の今後の活躍を期待しております。


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