僕が『性同一性障害』という言葉を知ったきっかけと自分史を添えて書いていこうと思います。
はじめに、自分自身がそうであると確信したのは
中1の終わり頃から中2になるくらいの頃です。
それまでの過程を自分史とともにまとめて書いておきます。
幼少期
僕は幼稚園の頃から男の子とよく遊んでいました。
4〜5人の男の子のグループにポツンと1人混じっていました。
活発でよく男の子と遊んでいたけれど、仮面ライダーではなくプリキュアが好きでした。
おままごとも別に嫌いではなかったです。ぽぽちゃんとかもやっていたし。
でもポケモンだったり男の子が好むものも勿論好きでした。
身内や近所に住む子たちが女の子が多かったのもあったせいか、自然と女の子の遊びもしていました。
この頃なんて性別の概念なんて到底分かるはずないですし、自分の意思で好きなものを選択して遊んでいた記憶です。
また、両親や祖父母に否定的な事を言われた記憶はありません。
好きなようにさせてもらっていたと思います。
両親も、両親の友人も、身内も、僕が初めての子、初めての孫だったのでみんな揃って僕の事をとても可愛がってくれて、愛情注いでくれていました。
ポケモンにハマっていた頃、「俺はサトシだ、サトシって呼べ!」的なことを言っていたりしていたこともありましたが
笑って軽く訂正されたような記憶があります。
小学校入学〜
小学校へ入学し、小学2年生から仲の良い友人に誘われてサッカーを始めました。
気付けばサッカーに熱中していて、長かった髪もバッサリ切り、服装も男の子のものしか着なくなっていました。
元々可愛らしい、女の子らしい服なんてあまり着てませんでしたが。
記憶にあるのは小2くらいの時。
お母さんが一度だけ心配したのか、スカートを買ってきてくれた時がありました。
服を買ってもらった事に対して喜びは感じましたが、中身を見たら素直に喜べませんでした。
その後、嫌々ながら1度だけ学校へ履いていき、学校へ着いてすぐに体操着のズボンに履き替えました。
そして帰ってきてすぐにタンスの奥へ隠した記憶があります。
その頃から女の子のものを拒絶、嫌だなという感情を抱くようになりました。
─────────────────────
話は少し戻ってサッカーを始めるのに、男の子しか居ないチームだったので、最初は両親や監督からも不安で心配だと言われていました。
しかし、入る前から僕は不安や心配などひとつもありませんでした。
幼稚園からの友達だし、とにかく居心地がとても良くて。
そして何よりもサッカーに夢中でした。
同じ地域の他チームに比べ、僕の入ったクラブチームは少しレベルも高く、
そしてサッカーのスキル以外にも人間として、基本的な挨拶や礼儀もしっかり指導してくれる、叩き込んでくれる環境でした。
当時のコーチに「女の子だろうと関係なくダメなことはダメと俺は叱るし、厳しく接するよ」と言われた時、
もちろん怖いと感じましたが、正直嬉しかったのを覚えています。
そうは言っても優しくしてもらっていた感覚は自分でもわかりますが、できるだけ皆と同等に接してくれていたことが何よりも嬉しかったです。女の子と言うワード以外を除いて。
学年が上がるにつれて、周りのレベルもスキルもどんどん高くなっていき、練習や試合もかなり増え、合宿もそれなりの頻度でありました。
男子のクラブチームに女子1人入るとなると年齢が上がるにつれて自然と距離感もそれなりに出来てしまうと思います。
ですが僕は周りの仲間たちに恵まれていました。
小学校でもずっと一緒に居て、休み時間遊んだり、授業中も一緒にふざけ合ったり。
サッカーの時もずっと一緒でプライベートでも沢山遊びました。
「お前のこと女だと思ったことなんかないわ」なんて言われたこともありました。
普通は傷つく言葉ですけどね。僕にとってはすごく嬉しかったです。
合宿の時なんかも、コーチが部屋は流石に分けないとといった話をすると、
「○○(僕の名前)は俺らのところ来てもいいよ」
「1人寂しいじゃん、俺らのところ来いよ!」なんて声をかけてくれました。
他チームも同じ宿でその他チームにも女の子が居た時には、
女子部屋として別部屋があって、その時一度だけ1人部屋になった時がありました。
その時も「ビビりなんだからこっちくれば〜」と夕食の時にぼそっと言ってくれました。
泣きたくなるくらい嬉しい言葉ばかりでした。なんて素敵な友達を持ったんだろうって。
きっとこのチーム入っていなかったら最後まで
このチームでサッカーを続けることは出来なかったと思います。
小学校を卒業しても今でもずっと友達で、今も遊びに行ったりご飯行ったりするほど仲良しです。
他にも僕は幸い、成長期も遅かったので、特に何も問題もなく。
上裸でみんなと水遊びして遊んでいましたし、着替えも自分は気にせずに着替えていました。
自分の両親含め、周りの親達からはちょっと〜と言われてましたが、当時の僕には何がダメなのか分かっていませんでした。
こうして周りの友人や環境のおかげもあって小学生の時は、
モヤモヤすることがあっても最小限に抑えられていたので性別について特には気にすることなく生きていました。
中学入学〜
そして中学校入学。
僕にとっては沢山の変化と悩みが出来ました。友人と環境に恵まれて、小学生の時に何も悩むことがなかったから。
1つずつわかりやすくまとめて書いてみます。
①制服
小学校卒業式、中学校入学式から既に制服が、スカートが嫌だと感じるが仕方ないものだと思い我慢。
午後は基本ジャージなので午前我慢すれば良いや程度の気持ちでした。
ですが中2あたりから完全に気持ちの変化とともに制服に対してかなり拒絶反応が起きていました。
体育も無いのに雨で濡れた、汚れたなんてよく嘘をついて午前中から着替えたりしていました。
②体の変化
中1の頃はまだ成長期が来ていませんでした。
サッカー、陸上駅伝、スポーツばっかりしていたので体型もThe男子でした。
中1だと体格の差はまだ男女間でもあまり無いので
特に気にすることなく。運動していない男子よりも全然筋肉もありました。
中2へ進級してかなり変化がありました。胸の成長、中3手前で月経も来ました。
成長期がやっと来たので、身長もかなり伸びてすごく嬉しかったですが、少し体格が女性らしくなって来た気がして。
かなり細身だったので、写真や他人から見たら全く変わりないという感じでしたが、個人的にはこの辺から気にするようになりました。
男女間でも身長だったり、体格の差がかなり顕著に見えてきて、かなり違和感を感じました。
サッカーをしていたので尚更、変化に敏感で周りよりも強く感じました。
中学から女子のクラブチームに入ったのですが、部活動のサッカー部や男子のクラブチームともやることが多々あったので、スピードで勝てない、自分のフィジカルが通用しない、力で勝てないと。悔しくて仕方なかったです。
他に身体面で言うと、修学旅行や合宿の時のお風呂が本当に地獄でした。
男女の区分が増え、自分の意思とは関係なく男の子と居ることが制限されたような気分でした。もっと具体的に書き出したらキリがないのでこんな所でストップします。
モヤモヤがどんどん膨らみ、自分一人で悩むのが辛くなってきたある日。
違和感に感じていたことを1つずつ、ネットで検索しました。
色々漁ってみると僕と同じように感じている人や
「トランスジェンダー」「性同一性障害」などといった普段聞いた事のない言葉が沢山出てきました。
この時今まで感じていた違和感は何だったのか完全に腑に落ちました。
これが自分を知った、向き合うことになった"きっかけ”です。
ですが、僕はこれを知った時に自分の心の中に閉まっておきました。
「絶対に誰にも話せないな」と。
元々の性格上、自分の感情を誰かに伝える事が
凄く苦手でした。正直今も感じています。僕のスーパー短所です。
今これを言わなかったら絶対に後悔が残ると自分自身も分かっているのに、誰かに自分の想いを伝えることが怖いです。誰も傷つけたくないし、極力言い合いもしたくない。自分が1歩引けばいい我慢すれば良いと。
何か伝えようとしても、遠回しな言い方しか出来なくて、相手に上手く伝わらず逆に揉めたり、喧嘩になってしまったり。本当は素直に伝えたいのに。
両親とは喧嘩はしますが、はっきり自分の本当の気持ちを伝えられたことなんか数えられるくらいしかありません。
反抗はかなりしてきましたが、その反抗は我慢が溢れてしまった時に反動でよくなりました。
その後もこの事は2年半近くずっと隠していました。こんな感じの性格だったので身近に居る人間には話せる訳がないのでひたすらネットに頼りました。
SNSを通じて自分と同じような人達と繋がり、そこで悩みなどを吐露するようになりました。当事者の方が書いてるブログを読んだりもしました。
手探りで情報を得たばかりの頃は、治療が出来ることや改名のことができること等、
全く知らなかったので驚きました。
それを知った当初は中学生でまだ親にも話せてない状態で、なによりもサッカーに熱中していたのでまだ治療はできないやとまた自分の心の中へしまい込みました。