人はどうして孤独を嫌うのか。


それはそもそも人は

1人では生きていけないからだ。


群生生物として、生態系を発展させていき

猿人類の中でも特定の虚像を信じる

信仰心を芽生えさせ、共通認識の獲得により

ひとつの目的に向かって他者と共存し

環境適応しながら、他の種族を圧倒し

この地球上で生態系のトップへと進化してきた。


冒頭に戻るが

なぜ人は孤独を嫌うのか


孤独=死


群生生物においては死を意味するからだった。


しかし

現代では孤独だからといって死ぬことは無い。

日本においては特に

生活保護や、ネットの普及により

いつでもどこでも色んなコミュニティに

帰属することが出来る。


手軽に繋がりを感じれる分

従来の繋がり、

対面でのコミュニケーションや

直接的な肌と肌、感覚のある触れ合い等の

重さは人によるが変わってきている。


便利な時代だからといって

生物としては、重要視されてきた部分が

軽視されつつある、この現代において

そのギャップに苦しむのは

生物的反応としては至極

当然のことと思える。


ではどうすればいいのか。

各個人によって見解は異なると思うが

1個人の私の意見としては


逢いたい人には逢いに行くべきだし

時間がない、手段がない、それでも逢いたいなら

逢いたいと素直に伝えることだ。


なぜなら

画面越しの文字での触れ合いでは

到底体感することが出来ない。

僅かな表情の違いや

皮膚と皮膚の触れ合い、感覚、匂い、音

そういった現実からなる感覚とゆうものは

その瞬間にしか存在しないのだから。


元旦

1年の内の1日だけを

家族の元へ帰り過ごした人もいれば

毎日家族と過ごす人もいる。

1年のたった一日で被災した人もいれば

家族の元へ帰らなかったが為に一生会えない人

が出来てしまった人もいるだろう。


明日の保証はどこにも無いのだ。

会えないのなら電話でもいいだろう。

声には、目に見えない色々な情報が乗っている。


くだらないネットニュースや

誰かの不幸、スキャンダル

どうでもいい情報過多でノイズが酷い世の中だ。


そんな世界でたった1人の声に耳を傾け

相手を思い想像しながら会話し、

泣いたり笑ったりする時間とゆうのは

とても価値がある時間だと私は思う。


苦しかったら頼ればいい。

電話を掛けて折り返しが来るのを待てばいい。

本当に必要としているのであれば

相手は必ずかけ直してくるであろう。


大切にしているとはそう言うことだ。


優しいとは人を憂うと書く。

憂う人に寄り添う人が語源だそう。


たとえ体感出来なかったとしても

見えないところで支えられているのであれば

それは優しさや思いやりを

みんな受けとっているのだ。


だから心配しなくても

あなたは孤独じゃないのだ。


数え切れない程の出会いと別れを人生で

経験するだろう。


街中ですれ違うだけの人や

一生会うことの無い人

一生を添い遂げる人


数多の人が居る中で

自分と今なお関係が途切れず

支え合いながら、共に同じ時間を

生きている身の回りの人を大切に

そして大切にされている自分を大切にして

毎日を過ごす事が

生きている幸福度を上げていくことにつながる。


自分が幸せだと実感して

初めて他人の幸せを考えることが出来る。


人間は弱いから

まずは自分を自分で愛してあげよう。