自分の心をみつめて

今年も大晦日を残すところとなりました。。

 

 

 

故郷に行って来ました。

新幹線の指定席は約二割の予約ということで、ガラガラでした。(なので、自由席で)

例年であれば、蔵王へのスキー客で溢れ返っているのですが。

 

 

 

 

 

 

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コロナ禍の中、山形に行ってもよいのだろうかと

随分と迷いました。

行って見送りたかったのです。

最後の親孝行ができたかな。

 

 

 

皆さんのところに、訪問できなくて申し訳ありません。

これからゆっくりと、訪問させてください。

 

 

 

こういう時でないと、なかなか妹たちと会うことができず

懐かしい再会でした。

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浄蓮の滝をバックにした、静岡旅行の一コマ。

父は立派なカメラ道具を揃えていましたが、ピントが微妙にずれていました。ウフフフ。

 

 

 

皆さんのところに、「春よ来い」。

もちろん、私のところにも「春よ来い」。

 

 

 

 

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(長文なので、スルーしてくださってかまいません。(((uдu*)ゥンゥンうん)

 

 

【危機の時代を生きる】

長期化する新型コロナのパンデミック(世界的大流行)を、どのように捉えていますか。

また、今後の見通しについて教えてください。

 

今回のコロナ禍には、医学的な感染症としてのパンデミックと、経済的・社会的に及ぼした影響という意味でのパンデミック、そして情報のパンデミックという、三つの複合的な側面があります。

 

これらが並行して進んでいるにもかかわらず、どの側面について話しているかを明確に意識せず、区別してこなかったことにより、より大きな混乱が生じたと考えています。

 

今後の見通しについて申し上げれば、まず収束とは、人口の一定数が免疫を持った時に迎えるものです。その一定数は、基本再生産数から数えて6割程度だといわれていますが、個人的にはもっと低くてもいいと思っています。3割の人口が免疫を持てば、収束へかなりの程度まで進むのではないでしょうか。

 

収束までの道程をフルマラソンに例えれば、現在は「10キロ地点」付近を走っているといえます。

 

子どもは感染率が低く、重症化しにくいなど、ウイルスの特徴が少しずつ分かってきたことは大きな前進です。また、ワクチンの開発も進んでいます。

 

一方で、流行の地域差の原因など、分からないことはまだ多くあります。冬本番を迎えるに当たり、未体験ゾーンばかりです。インフルエンザの流行が起こった場合などを考えると、折り返し地点には至っていないといえるでしょう。

 

これらを実際に経験していく中でしか、今回のパンデミックの全容については分からないと考えています。

 

このマラソンは、100メートルを一生懸命に走るような短距離走ではありません。1年、2年という長い時間を要するという覚悟を持って、長距離の走り方をしていくことが重要だと思います。

 

収束までの道程を‘‘ウイルスとの戦争‘‘と捉え、感染するかしないかが善悪の基準であるような見方をすると、社会全体が息苦しくなってしまいます。流行が落ち着き、風邪のように社会に定着化するまでは、辛抱が必要なのです。

 

 

感染症と人類の関係を、文明の発祥にさかのぼっ考察されています。

 

メソポタミア、中国、そしてインド亜大陸と、各地で起こった文明と風土、感染症と社会を俯瞰すると、「感染症と文明」を巡る四つの基本構造があることに気付きます。

 

第一は、文明が人口増加にを通して、はしかや天然痘、百日咳などが流行する土壌になることで、「感染症のゆりかご」として機能したということです。

 

第二に、文明の中で育まれた感染症は、生物学的障壁となって、その文明を保護する役割を担いました。感染症への免疫を持たない集団が侵略してきた際、攻めてきた側は、ばたばたと倒れていったのです。感染症が社会を守る‘‘盾‘‘となったということです。

 

第三は、文明が、勢力を拡大しながら周辺の感染症を取り込み、免疫を獲得して、自らの疾病のレパートリーを増大させてきた点です。これにより感染症は、文明を防御する側面を持つと同時に、文明の拡大を支援する強力な武器にもなったのです。

 

そして第四に、疾病の存在が社会のあり方に影響を与えたことが挙げられます。今回の新型コロナウイルスに当てはめれば、感染拡大が、デジタル化や情報社会へのさらなる移行を促したことにも通ずるでしょう。

 

このように、感染症と人類の関係は、決して簡単ではありません。にもかかわらず、ウイルス研究が病原体の研究として始まったために、「ウイルス=悪いもの」として考えられがちなのです。

 

実際は、病気の原因となっているウイルスは全体の0.01%に過ぎず、大半は人類にとって良い働きをしているのだということを、私たちは理解しておく必要があります。

 

 

そうした歴史から、私たちが教訓とすべきことは。

 

まず申し上げておきたいのは、パンデミックは必ず終わるということです。

 

その上で、私たちはウイルスを起こす病原体として、感染される側の宿主(しゅくしゅ)の目線からしか見てきませんでした。今後は‘‘ウイルス目線‘‘から見ることが必要ではないでしょうか。

 

どういうことかというと、ウイルスにとって、宿主である人間がいなくなれば、自分たちも生きていけないわけです。つまり、感染によって宿主の生命を奪うことは、ウイルスにとっても不利益なのです。そう考えると、ウイルスが宿主を‘‘敵‘‘と考えることは、長い目で見るとありえません。

 

ではもし、ウイルスが人間に何かしらの悪さをするのであれば、それは離れて生息していた野生動物が人間の社会に入り、これまでその動物が宿主としていたウイルスが、新たな宿主としての人間と、上手に付き合えていないからだと考えることができます。

 

そうであれば、ウイルスが時間をかけて、できるだけ穏やかに変異をしながら、重い病気を起こさないよう弱毒化することは、お互いにとってメリットがあります。そのためにどうするかを考えていくことが賢明であると思います。

 

反対に抗生物質でせん滅しようとしたり、過度な攻撃をしたりすると、ウイルスはどんどん変異して強毒化することが分かっています。いわば、素手同士で戦っている状態から、どちらかが棒を持つと、もう一方も棒を持つようなものです。それがエスカレートすると、刀や銃へと変わっていくのです。

 

そう考えると、私たちが取るべき対策はおのずと見えてきます。人間も自然の一部なのですから、‘‘一人勝ち‘‘するということは考えられません。

 

心地よいものではありませんが、「共生」の道を探っていくべきでしょう。

 

 

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共生を模索する上で、心がけるべきことは。

 

多くの人が共生は難しいと感じてしまうのは、「個」と「集団」の利益が、相反するからだと思います。

 

感染によって亡くなる人は多くいます。共生といっても、個々の遺族にとっては、とても許容できるものではありません。

 

一方で、ウイルスをせん滅させると、誰もが免疫を持っていない状況が生まれ、万が一、そのウイルスが再び人の社会に入ってきた時には、もっとひどい影響を与えることになります。そう考えると、せん滅するよりも、共生していくこと自体の利点もあるのです。

 

このように「個」の利益と「集団」の利益が相反する事象を、どのように整理していくは、いまだに答えがありません。

 

ウイルスを研究している公衆衛生の立場からは、共生ということがいえますが、現場の医療関係者にとっては、目の前の患者を救うことが第一です。

 

共生という言葉は美しく聞こえるかもしれませんが、決して簡単なものではないのです。その事実を認識し、長い時間をかけて、それぞれの場面に応じて柔軟に捉えていく必要があると思います。

 

 

‘‘一人勝ちできない‘‘という意味では、個人にあっても、自分だけの心地よさを追い求める生き方から、他者にも配慮する生き方への転換が求められています。

 

その通りだと思います。人間の行き過ぎた環境開発や、二酸化炭素の排出、資源の無駄遣いなどを見直すことも、具体的な行動ですね。SDGs(持続可能な開発目標」)の達成を含めて、次の時代に託す地球のあり方を、考えていかなければなりません。

 

歴史上、人間が文明を生み出した背景には、他者に対する思いやりや、他者を理解しようとする努力があったと考えられます。文明を築くということは、一つの社会協力体制をつくるということです。そうした協働作業は、他人に対する理解や共感がなくては成功し得ません。相手を思いやるといった精神がなければ、おそらく今のような文明は、つくられていないのではないかと思うのです。

 

今、「新しい生活様式」いう考え方が定着し、一定以上の身体的距離を取ることが当り前になりました。しかし、これは決して、未来にわたって取るべき行動ではないと考えます。

 

なぜかというと、人間は言葉をしゃべる前から、共に歌ったり、踊ったりしながら共鳴し、コミュニケーションをとってきた生き物だからです。それが人間たるゆえんであると私は思います。

 

新しい社会を築く上で、身体的距離や社会的距離だけではなく、‘‘心の距離‘‘をどう測っていくかを、真剣に考えなければなりません。これまでとは違う一つ上のステージで、人間関係を見つめ、「新しい共感」のあり方を模索していくべきです。

 

そうした社会のあり方は、「しなやかで柔軟な社会」と表現できると思います。閉鎖的、分断的に感染症に向き合うのではなく、一体となって取り組む社会です。

 

歴史上、たとえウイルスに強靭な社会をつくっても、また新たなウイルスが、その社会の弱点をつく形で現れてきました。そんな時、市民が互いにエンパワーメント(内発的な力の開花)し、高め合うような民主的な社会の方が、感染症に対しては強かったのです。

 

 

世界の各地で研究に従事してこられた経験を通して、「希望」を持つことの大切さを訴えておられます。

 

20年以上前に、エイズ対策を目的としてアフリカに滞在しました。現在のような治療薬はなく、私たちにできる唯一の対策は、予防でした。毎日、村から村へと回り、感染症予防の重要性を説くのですが、それがなかなかうまくいきません。

 

そんなある時、一人の青年が言いました。「10年後に生きている保障はないじゃないか。エイズじゃなくても飢餓や暴力、戦争で死んでいる。今、予防をする意味を感じられない」と。

 

対策がうまくいかなかったのは、感染症に対する現地の人々の理解が足りなかったわけでも、私たちの説明が悪かったわけでもなく、彼らが、10年後の自分の未来を想像できなかったからなのです。

 

未来に希望を持てなければ、感染症に立ち向かうことはできないと、思い知らされました。

 

希望を抱くことが、医学的また心理的にどう影響するかは、私の専門外ですが、個人としては、人の行動にポジティブな効果をもたらすと思っています。人間は未来が見えない中で走り続けていくことが、一番苦しいからです。

 

その意味で、「パンデミックは必ず終わる」という認識は、一つの希望になると考えます。長期化するコロナ禍に対して心が折れないためにも、希望を持てる社会を築くことが必要ではないでしょうか。

 

宗教は本来、絶望や悲しみを和らげるものであったと理解しています。そうした希望を阻むような要因を取り除くことで、ある意味では、希望の源泉になってきました。

 

そして希望を育むためにお必要な励ましや支えを、常日頃から送り合っているのが、宗教コミュニテイーであるといえます。

 

今の近代的な社会では、コミュニテイーの力が弱まってきている側面があります。

 

だからこそ、一人では難しいことも、皆で協力して乗り越えるといった社会を構築することが、ますます大切であると思います。

 

 

やまもと・たろう

(医学、国際保健学)

1964年生まれ。長崎大学医学部卒業。京都大学大学院医学研究科助教授、外務省国際協力局勤務などを経て、長崎大学熱帯医学研究所教授。専門は国際保健学、熱帯感染症学、感染症対策。アフリカ、ハイチなどで感染症対策に従事。著書に『感染症と文明』(岩波新書)、「疫病と人類』(朝日新書)など。

 

 

クローバークローバークローバー

感想や私の思いは、後日に。m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オンラインという魅力。

こういうご時世だから、三密を避けてたくさんの人と瞬時に繋がることが出来る。。

 

 

いざその中に放り込まれて見ると、、

意外にも、迷いや違和感。

「お願いだから、私に意見を求めないで、、、」と、心の中で呟くことしきり。。

いつもの開き直りはどうしたと、自分で自分に突っ込む。

「そうなんだ、私ってアナログ人間なんだ」と、自覚することになる。

 

 

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話変わって、かかりつけ医の診察の折、

インフルエンザワクチンが完全予約制で、キャンセル待ちだと知る。

ダメもとでキャンセル待ちをお願いしてみたが。。。

この時点で、完全に諦めていた。

 

 

一週間後、看護師から電話あり。想定外の電話にあたふたする。

何とか体調や体温がクリアになり、ワクチンを打った。

二の腕にブスり。打った後が妙に痛痒い。

頂いた注意事項には、24時間以内に副反応が起こることがあると。

昼寝、安静。

入浴OKと言われたけれど控えた。

注射跡が、若干固くなった。鈍痛あり。(5日目にようやく鈍痛は消失した)

 

 

「もし、発熱したらどうしたらいいのですか?」と、ドクターに矢継ぎ早の質問をしていた。

おそらく初めてのワクチン接種だものな。

 

 

「私はオンラインやら、ワクチン接種やらが苦手です」と、

オーラを出しまくっていたんだと思う。。

ベテラン風の看護師から

「子どもじゃないんだから、、、」と、言われてしまった。

言い訳をすれば、注射の際大騒ぎした訳じゃなくて、固く目をつぶっていただけです。

 

 

コロナワクチン接種は、やっぱり考えてしまう。打ちたくないなあ。

 

 

 

 

 

 

「生き抜く力は わが生命に」

 

病気をした人は

その分、

人のことを思いやれる。

慈愛が深まる。

病気は、

いろいろなことを

教えてくれる。

死を見つめたり、

生きる意味を考えたり、

人生のかけがえのなさが

見えてくるものだ。

すべて、

より高い人生の頂(いただき)へと

登っていくための

通路なのだ。

教科書なのである。

 

 

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私も一生向き合う病気を持っています。

持ちたくなかったけど。

この年齢になると、大なり小なりあります。

 

 

今日も元気で!

 

 

 

 

 

強さに裏付けされない優しさ。

それは、ただの優柔不断なだけだ。

 

 

「しっかり生きろ」

久しぶりに会いに来た、次男から言われた。

次男の頭には、若白髪が増えていた。

 

 

嬉しかったな。

おかんに対して、厳しくも愛情が込められた言葉だった。

胸に込み上げてくる感情を抑えることが出来なかった。

(陰でこっそりとね、、、笑)

 

 

コロナ禍という試練の一年。

諦めないことが、新しい一歩につながると。

 

 

息子よ、

「希望」という思いを、

胸に秘めて、しっかりと生きていくよ。

 

 

クローバークローバークローバー

 

 

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医療従事者の方の言葉は重い。

コロナのワクチンへの妄信は禁物と言われ

想像していたとはいえ、正直ショックを隠し切れなかった。

 

 

換気の大切さ。(換気扇を活用する方法もある)

マスクは、不織布マスクがベスト。

あり難いアドバイスに、いつも頭が下がります。

ありがとうございます。<(_ _)>

 

 

感染症は、コロナウイルスに限らず

時を待たず、急激に悪化して重篤な状態になる。

家族の闘病を目の当たりにしてきたので、身に染みている

 

 

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三連休の私たち家族は、

人混みを避けて、人が少ない時間帯を選んで出掛けた。

まるで指名手配犯のような行動に笑えた。

 

 

手をこまめに洗うことで、カサカサ。

何なら、指先にはひび割れも。

(鉛筆も持てるし、ピアノも弾けるし、編み物もできるよ)

 

 

次男が喝を入れてくれたので、埃だらけだったわが家が、

少しずつ綺麗になっていくことは喜びだ。

(見えるところだけやっていると、知らず知らずのうちに埃が積もる証拠を家政婦は見た!)

 

 

今日も元気で!

 

 

 

 

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他者の苦しみに胸を痛める

同苦の心

他者の幸福を願う

やむにやまれぬ祈りの心

この女性の心が

世界に友情を広げる

 

 

 

世界地図には載っていない

一番身近な「ご近所」から

人間の「尊厳」と

「幸福」と「平和」は広がる

 

 

 

 

 

 

 

近況です。

おそうじロボットルンバを、充電しても一時間の活躍で

「ルンバを充電してください」と、話してくる。

 

 

 

ありゃりゃ、これはもしかしてバッテリーかもしれない。

もうそろそろ八年目のルンちゃんなのだ。

私と同じでポンコツやんか。

 

 

 

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そして、バッテリー交換で、またいつものように

止まらない活動を始めた。(ちょっと目を離すと、何でも吸っちゃうのです)

 

 

 

人間も、バッテリー交換できればいいですが、

そうはいかない部分が辛いところです。

 

 

 

「老い」という喜怒哀楽を、毎日味わいながら過ごしています。

喜びや楽しみだけでなく、思わぬ落とし穴にはまったりもします。

 

 

 

分かっていたつもりだったけれど。

 

 

 

自分の弱さに向き合うのは、意外と勇気がいりますね。

 

 

 

また、リスタートしました。

因みに洗濯機や、トイレのウォシュレットも壊れかけています。

あと車もです。笑

一瞬前のことを思い出すまで、時間がかかり過ぎて自分でも驚きです。

ゆるゆるとやっていきましょう。

 

 

 

今日も元気で!

 

 

 

茂木健一郎                     2

 

 

 

日本学術会議のこと、ユーチューブでも喋っているけれども、ここにも書いておこうと思う。

 

 

今回の6人の先生はすべて学識的には申し分のない方で、その任命をしないというのは学問的に見たらかなり異例なことだと思う。

 

 

 

一方で、政府というものはときどきそういうことをするものだということも事実だと思う。

 

 

日本の「学問」が、国だとか、大学だとか、そういう既成の権威に頼りがちで、メディアもそんな報道をしがちなのは残念なことで、これを機会に学問は国からもっと独立したらよい。

 

 

東浩紀さんが言ってたけど、国立大学の教授をしている人が、国のことをいろいろ批判するけれども、国立大学への税金投入や自分の給料、研究費は出せというのはなんだかすっきりしない話で、でもそのような主張を正当化する「理屈」はうまく考える。

 

 

東さんはゲンロンカフェをやって自分で本を出して偉いと思う。それが唯一の道だとか、みんながそうすべきだとは思わないけれども、「国立大学教授」とかそういうのをありがたがって、マスコミも自動的に学究として扱うというような風潮はどうなのか。

 

 

AIの世界では、たとえばディープマインド社はケンブリッジにいく電車が出発するキングス・クロス駅の近くにある会社だし、イーロン・マスクもハイパーループとか勝手に研究、提案している。

 

 

人文系でも、シンクタンクとか、国とか大学とかそういうのと独立してすぐれた研究をしている人たちが枚挙に暇がないし、independent scholarもたくさんいる。

 

 

やはり、日本は、そもそも学問のあり方が国とか大学とかいう権威に頼りすぎていて、世界全体からみれば洗練されていないなあと感じる。

 

 

内閣府に直属の日本学術会議に任命されなかったからといって、学問の本質には全く関係ないし、そもそも政府はそんなもんだと思って研究しているのが本当の学問の自由であるという気がする。

 

 

もちろん、政府がもう少しリーズナブルなふるまいをすることに越したことはないけれども。

 

 

(クオリア日記)

 

 

 

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クローバークローバークローバー

 

茂木さんのユーチュ-ブを観ただけでは、この問題の本質は解りづらかったが、こういうことだったのかと腑に落ちる部分があった。流れとしては自然なのか。

 

 

日本人は既存の権威に対して、無意識に信頼してしまう傾向があって、それは私だけかもしれないけれど、なかには、立派な人格者もいるし、そうでない人もいるという

ことだろう。

 

 

また、意見が多数だから正しくて、少数だから間違っているというのもちょっと違うと思う。そういう判断は、とかく危険を伴う。

 

 

心配なのは、今度の臨時国会がこの問題一択になり、

本当の意味で審議されなければならない問題が

置き去りになるのは、避けていただきたいのです。

 

 

国難といわれるほどの経済状況をどうやって立て直していけばよいのかとか、コロナ対策との両立とか、問題は山積しているのですから。

 

 

 

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過去二年間不順でしたが、今年は順調にキンモクセイが開花しました。

 

 

 

 

 

 

 

働く人へ、いや全ての人への応援歌だったような気がする。

 

 

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原作は池井戸潤さん。

私は読んでいないのですが、なかなか読み応えのある本だと紹介されていた。。

 

 

 

コロナ禍のなか、収録現場も中断を挟んで、七か月という長きにわたる。

裏方を支えたスタッフの方たちのご苦労を考えると、お疲れさまでした、そしてありがとうと。

今は、当り前のことがあたりまえではなくなった時代だからこそ。

 

 

 

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熱い熱い男たちの熾烈な闘い。。

どんでん返しの連続に、目が離せなくなった。

かつて敵だった人たちが、手を組む醍醐味。

リーダーのあり方や、仕事に対する情熱に相槌をうつ。

 

 

 

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原作では、主人公を通して、このような言葉がふんだんに語られる。

 

 

「生きていればこそ」

花ちゃんと主人公の会話は、ジーンと来て涙がこぼれそうだった。

 

 

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配役の意外性がお見事。

あすなろ白書で好青年を演じた筒井道隆が悪徳弁護士に扮した。

そのタスクフォースから債権放棄を迫られ、各銀行のバンカー達が意地を通した場面は、現実味がありそうで思わず鳥肌が立ち、拍手を送っていた。。

 

 

熱いメッセージは確かに受け取った。。

どこまで出来るか分からないけれど、自分の立場で出来ることを。

 

 

 

 

 

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きみの笑顔と 喜ぶ顔が

オレのすべてさ

 

 

 

なぜに そんな道を選んだ..........

そんなことは オレにだって分からない

 

 

 

けれど 生まれ変わっても

きみを 守りたいのさ........

 

 

 

運命に さからっても

何もかも 分かっていても

止まらなくなるのさ

 

 

 

 

 

umbrellaは、あるドラマの主題歌。

エンディングに流れると

悲しく、切なくなった。

乙女チックに、感傷に浸るわたし。

たまには、そんなときがあっても

いいでしょう.......

 

 

 

 

 

 

 

 

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残暑お見舞い申し上げます。

 

 

 

匿名で書き送ってくる人って、何がしたいんだろう。

 

 

誰が送ってくるのか不明ですが、

ホント、しつこいんです。

24(一日の時間)-8(睡眠時間)=16(残りの時間)

ひどいときは、この16時間で、メールが約30通来ました。(平均して1時間で2通)

よっぽど暇です。

送られたメールを来た瞬間に削除したら、すぐに送り付けてきました。(削除→送付)

 

 

こうやって当事者間で、エスカレートしていくのだそうです。

なので、相手にするのはやめました。。

 

 

「やられたらやり返す、倍返しだ」って、叫びたいです。

 

 

このようなメールが送り付けられてきます。

  ↓

クローバークローバークローバー

どうやらあなたは大きな悩みをお持ちのようですね、、、。

その悩み、

http://sfkc-awi.luckpitfall.com/%3FBEYK%3D718868yesly

クローバークローバークローバー 

 

 

 

 

 

こういうケースは、「つきまとい」というそうです。

 

穏便に解決しようと思いました。が、無理なようです。

そう判断しました。

今後は、警察に対応を委ねました。

 

 

冷静な判断なのか分かりません。

今、問題になっているにも関わらずですから、

相手は間違っていることをしている等とは、夢にも思っていないと思います。

 

 

詳しい経緯は書けませんが、誰かというのはだいたい把握しています。

メールというのは、ショートメールのことです。

また、皆さんのすぐ近くに別アカウントで存在しているかもしれません。

 

 

大変迷惑しています。投稿はおやめください!

 

 

 

 

 

 

茂木健一郎

 

 

 

コンビニのレジ袋の問題が、ぼくにはよくわからない理由のひとつが、えっ、あれ、みんなゴミ袋として使っているんじゃないの、と思うことだ。

 

 

市販のゴミ袋、大きすぎるし、ゴミを入れて、しばって、最後にゴミとして出すにはレジ袋はとても便利だし、無駄になっている感じが全くしない。

 

 

ひょっとしてレジ袋でゴミ出ししてはいけない理由でもあるのかと思ってちょっとぐぐってみたけど、特になさそうだし。

 

 

ゴミ袋ばかりあれこれ言うのは、要するに、もっと他にもプラスティックごみたくさんあるんだけど、とりあえず減らせるような気がするものに目をつけているだけのような気がして、全く理解できない。

 

 

エコバッグ持って買い物に行ったら環境にやさしい、とかいうのもポエムな気がして共感できない。

 

 

だって、環境問題ってもっと構造的なものだよね。。。

 

 

レジ袋が有料化されること自体は、隠れたコストが顕在化するだけだから別にいいと思うんだけど、レジ袋減らせキャンペーンには全くと言っていいほど共感も理解もできない。

 

 

繰り返すけど、環境問題ってもっと構造的なものだよね。。。。

 

 

誰がなんのためにやっているんだろう。自己満足?

 

 

(クオリア日記)

 

 

 

 

 

レジ袋が有料化になって、一番に感じたのは、

コロナ禍で右往左往しているのに、「今、それをやりますか」ってことでした。

 

 

コンビニだけでなく、スーパーやドラッグストアのお店が有料になりました。

それだけじゃなかった。本や、靴、洋服購入の際も有料になっていました。(迂闊でした。笑)

「なんだか、よく分からない」っていうのが正直なところ。

茂木さんと理由は違いますが(笑)。

 

 

わが家でレジ袋はごみを入れる袋として使っており、45リットルの大きな袋にまとめる。

出されたごみは燃えるごみとして焼却されます。

 

 

海底が汚染されている映像などを見せられると、しょうがないのかなと思いましたが、「待てよ」と。

海や山、川などに、ごみを不法投棄することのほうが、問題なのではありませんか。

 

 

二点目は、主婦の感覚で、価格+消費税+レジ袋代は、

消費税の上乗せのような気がしてしまうのです。

(ケチくさくてすみません)

買い物にレジ袋や紙袋はセットですから、塵も積もれば、、、です。(つ、辛いなあ)

 

 

リサイクルの取り組みは、自治体によってバラツキがあり、ごみの分別化は進みましたが、プラスティックごみの処理の仕方や、再利用にもっと工夫がほしいですね。

 

 

 

ここまで書いて、中学生や高校生に議論してもらえば、もっと建設的な意見が出てくるような気がしましたので、この辺で。

(中途半端な意見で恐縮です)

 

 

ちなみにエコバックは持ち歩いていますが、忘れることがあります。(マスクOK、帽子OK、メガネOKと、外出時に緊張感があり、エコバックまで気が回らなくなる時がありまして)

 

 

 

クローバークローバークローバー