こんばんは。

 

いつも読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

自宅にて闘病していた父が一昨日、あの世へ旅立ちました。

昨日家族葬を済ませ、とりあえず一段落したところです。

 

これまでご心配いただきました方、応援してくださった方、

誠にありがとうございました。

 

 

そして今日は私自身のがんを宣告されて丸2年の記念日でもあります。

 

 

なので、まだ慌ただしい中ではありますが、

今日の心境を綴っておきたくてブログを開いています。


 

 

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2020年2月から抗がん剤を続けてきて

大腸癌サバイバー1年11ヶ月目に入りました。

 

〜放射線10回〜同時化学療法〜

【セツキシマブ+mFOLFOX】4クール

【BV/mFOLFOX】     7クール

〜原発巣除去・周囲リンパ節郭清手術〜

【BV/IRIS】      7クール

【BV/XELIRI】    7クール

【RAM/FOLFIRI】   2クール

【RAM/IRI】               11クール継続中(できたりできなかったり)

 

現在に至ります。

 

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今日、また無事にこの日を迎えた。

 

1月23日。2年前のこの日、大腸癌ステージ4と告げられた日です。

 

1年前に書いた記事が上がってきて、

ああ、また1年無事に生きられたなあ〜〜〜と感慨深く。

 

 

おかげさまで今、わたしは元気です。

 

本当にありがたく、私を取り巻くすべての人や、モノや、出来事に感謝して過ごしています。

 

 

 


 

そして、一昨日、自宅療養で頑張っていた父がとうとう息を引き取りました。

 

この1週間は本当に怒涛の日々で。

 

 

 

 

わたしの体調不良のために入院してもらったり、

 

一晩で帰りたいと叫び、病院のスタッフを困らせ、

 

わたしも抗がん剤の副作用に呻きながら、

 

娘が祖父の説得に入院先の病院へ連日通い、

 

わたしは電話で父をなだめ、謝り・・・

情けなさ、罪悪感で何度泣いたかな、

 

 

 

このとき、声高に病院を批判し、帰りたい、家で死にたい!と繰り返していた父は

 

翌日から容体が落ちて、傾眠状態になった。

 

月曜日に父は強い腎不全に陥り、尿量も激減し、

死は秒読みという段階になっていた。

 

 

 

ほとんど話すことができないながら、声かけにはうなづく。

 

家に帰りたいか問うと、うんうんと何度もうなづく。

 

 

 

急遽、ストレッチャー対応の介護タクシーを手配して

 

月曜日に退院した。

 

 

そこから金曜日の早朝に亡くなるまでの5日間、

 

わたしたち家族はみんなで力を合わせて父の介護をやり尽くし

 

濃密な時間を過ごした。

 

 

特にわたしは24時間ずっとそばにいられた。

 

意識はあるようで、亡くなる前日まで声かけには反応してくれていたので

 

わたしもたくさん父に声を掛け続けた。

 

 

 

そんなときの

 

わたしの手を握る父の手指の力や、

 

微かなうなづきや、

 

わたしを呼ぶような喘ぎ声、

 

ハッと見開く瞼や、

 

静かに穏やかに眠る顔、

 

 

 

それらをしっかり脳裏に焼き付けることができたことを

 

嬉しく思う。

 

 

 

介護で一番大変だったのはやっぱり下の世話で、

 

死期の近づいた人の肛門は弛緩しているため、

 

父の場合は泥状便が常に出てしまう状態で。

 

 

 

体力の落ちたわたしの力では一人でケアするのが難しく、

 

そんなとき、夜中だろうが、早朝だろうが、

 

夫や娘が嫌な顔一つせず手伝ってくれたことにも大いに感謝している。

 

 

 

その5日間の中でわたしは介護疲れがピークに達し、病体が言うことを聞かなくなり、

 

父がもう直ぐこの世からいなくなる恐怖で

精神が崩壊した。

 

もう、心が壊れてしまったかのように泣き叫んだ夜があった。

 

 

そんなわたしを夫がそのまま受け止めてさすってくれた。

 

 

そうして、最後の5日間を父と共に走りきった。

 

 

 

ふう。

 

 

 

そう。

 

お通夜の日に、いとこの兄さんがわたしに言った言葉が心にとどまっている。

 

 

 

わたしの大腸がんが分かったのがちょうど2年前。

ステージ4だった。

 

父の膵臓がんが分かったのがその約1年後。

ステージ2だった。

 

手術すれば治ると言われて頑張って手術したけど

 

この秋に再発。

 

それからはみるみる病状が悪くなっていき、

 

がんが見つかってから1年持たなかった。

 

 

 

「お父さんの方が先に逝くとは思ってなかった・・・。だからこれからのこと、父を残してしまうかもしれないことを不安でどうしようかと思っていた」

 

そんな話を通夜の席で話したら、

 

 

「おじさんはきっと、しずかのがんも引き受けて、旅立って行ったんだろうな」

 

と。

 

 

 

 

 

そうなのかもしれないと思う。

 

 

わたしのがんも引き受けて、わたしよりなんとしても先に逝くことを

 

きっと心から望んでいたのだと思う。

 

 

 

そして親孝行もさせてもらえた。

 

十分ではなかったかもしれないが、

 

少なくとも「親より先に逝く」という親不孝をせずに済んだ。

 

 

 

 

ありがとう。お父さん。

 

 

大好きだよ。

 

 

 

これから寂しいけど、わたしもっと生きるために頑張るね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今夜も、あなたが安心して愛の中で眠れますように・・・

***しず華***