こんにちは。

がん闘病中カウンセラー しず華です。

 

 

今年の1月にガン宣告を受けてから、すぐに闘病生活に入り、

今日まで、「命」というものについて思いを巡らしてきました。

 

 

 

 

 

そんなわたしに伝えられることはなんだろう。

 

わたしが自分の病気をこうしてSNSに公表してまでも

 

わかってほしいことってなんだろう。

 

考えてみれば、

 

たくさんの人になにか特別たいそうなことを伝えたいのではなくて、

 

 

 

わたしが「生きていく」ことを信じてほしくて、

 

わたしが「生きていく」ことを応援してほしくて、

 

わたしの「大切な願い」をわかってほしくて、

 

発信しています。

 

 

 

 

なかにはわたしのブログを読んでくださる方の中には

可哀想って思う人もいるのかもしれないけど、

 

でも正直「可哀想」ってわたしはいらない。

 

なんだか「可哀想」って思われるのってさ、あなたとわたしには、距離があるって感じてしまうんだ。

 

(そう思ってくれる人を否定することではなくて、そう思うのはきっとその人がそのように反応してしまうという、その人の心の癖なので問題ではない)

 

可哀想とか、そういう同情という気持ちは、

きっとわたしが今でも自分に向けている気持ちでもあるのだきっと。

 

自分が自分を、不憫に思っている・・・認めたくないけど、かっこ悪いけど、

そういう部分が在るのだ。きっと。

 

だから、誰かがわたしを不憫に思っているに違いない、同情されているのかも、かわいそうと思われてるのかもと、

ネガティブな曇った鏡が映し出してくるのだ。

 

 

 

 

だからこそ、わたしを見てくれる人たちには、

 

わたしの「命の力」「魂の力」を信じて応援して欲しくて、

 

そうなるとわたしも嬉しくて、

免疫力が上がるから、発信しています。

 

 

 

とても利己的な理由でした(笑)

 

まーそれでもいいやんやけど。

 

 

 

 

きっとわたしはこれからもつねに顕在化した

 

「命の形」

 

「命の意味」

 

「命の重さ」

 

と付き合って生きていくのだろうね。ずっと。

 

 

 

そんなわたしですが、

 

そんなわたしだからこそ、

日々感じている様々な大切にしたい想いや、

命のおはなしをこれからは少しづつお伝えしてけたら・・・と思っています。

 

いつまで続けられるのかわからないけど、

「命のおはなし」をシリーズ化してみようとね、ふと思ったわけです。

 

 

スピリチュアルもあまりわからないし、信仰心もあまりないわたしでも、

 

ただただ、そんな自分が日々感じたり、思ったり、願ったりしたことを書いていくことで、

 

同じように命の向き合っている方々や、

 

そうでなくても今以上に、自分の命を輝かせて生きていきたい方々の

 

なにかの気づきになると嬉しいなぁと思っています。

 

 

 

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前置きが長くなってしまったあせるお願い

今日は第1話目として・・・・

 

 

 

初めてガンを宣告されたときに感じたこと 書いてみます。

 

言ってみれば、それまで自分とは切り離していた「死」という得体のしれないものに、

腕をむんずと掴まれたときの感情かな。

 

 

正直、宣告を受けたとき、診察室でドクターとわたしの二人だったんだけど、

 

それを聞いて、なぜだか、とても冷静に聞いて、

 

いや内心は心臓バクバクだったかもしれないけど、

頭の中は静かに、取り乱すこともなく聞いて。

 

 

なぜだか

 

ホッとした。

 

ああ、答えがここにあったんだ、と納得した。

 

年末から続いたひどい全身の苦痛の謎が、謎ではなくなった安心感。

 

ずっと、迷宮入りしてた、1+1=2 を確認したようなね。

 

 

 

 

 

 

そして、次に、(家に帰ってから)

 

どうしよう…

 

と思った。

 

 

その

 

どうしよう…

 

は、きっと

 

これから周りに迷惑をかけてしまう

 

の、「どうしよう・・・」

 

だった。

 

 

 

 

 

次に、はじめて体の深部から湧き上がるような

 

 

怖い。

 

 

を感じた。

 

 

 

 

消えてしまうのかな、わたし。

 

思考ではわかってる「死」の定義を、

どうしても自分に当てはめられずに、

 

でもむんずと腕を掴まれて、

それを無理やり当てはめられて逃げられない恐怖。

 

 

 

ただただ、恐怖

 

 

 

ああ、受け入れるなんて無理。

 

わたしはそんな器、持ち合わせてない。

 

現実だと思いたくない。

 

きっと夢だ。

 

 

 

ようやく帰宅した夫に「怖い」と言ったら、とめどなく泣けてきた。

状況は夫も個別に主治医に会いに行って聞いていた。

(わたしが聞いたよりもシビアな内容)

 

 

 

しゃくりあげて泣く。

二人して泣く。

 

 

やっと泣けた。

泣いたら、怖さが半分になった。

 

一緒に泣いてくれる夫がいてくれて幸せだと心からそう思った。

 

 

 

 

 

ホッとして(安堵)

 

どうしようとおろおろして(不安)

 

怖い(恐怖)を感じる

 

 

 

 

ガン宣告を受けた夜のぐちゃぐちゃな感情はこんな感じ。

 

 

 

そうして「泣く」ことで感情をたくさん外に出したおかげで、

 

気が狂いそうなその「怖さ」は一旦落ち着いたのだと思う。

 

今でもたまにわたしの中で暴れだしそうな「恐怖」を感じそうになると、

 

見ないふりをするのはやめたほうがいいことを知っている。

 

 

 

「怖いよ〜〜〜〜!!」って一人のときに叫んでみたり、

 

しみじみ泣いてみたりして感じ切るようにしている。

 

時には、ああ、わたしは今怖いんだな〜〜〜〜って俯瞰できるようになったし、

 

客観的に自分の感情の動きを見ることで、

 

取り乱したり、恐怖の闇から逃れられなくなることもなくなった。

 

 

 

 

 

そして時には夫にも聞いてもらうことにしている。

 

普段は男性にありがちな解決したがり、思考優位の彼だけど、

 

わたしが不安や恐怖を訴えるときは、ただただ感情に寄り添ってくれる。

 

そんな夫には感謝しか無い。

 

本当によく頑張っているねって言ってもらって、涙が出て、癒える。

 

 

 

今日はがんを宣告された日の「感情」を振り返ってみました。

 

ここからわたしの「命」に向き合う日々が始まります。

 

また書いていきますね。

 

 

 

 

 

 

今夜も、あなたが安心して愛の中で眠れますように・・・

***しず華***