市ヶ谷駅の改札を出て、なんとなくいつもと感じがちがうのであるが、それが自身の
内側でついに殻を破ったという感じなのだが、しかし、じつに5年もの間うじうじとして
いたとでも言うのだろうか。そんなはずはないのであるが、しかし、わたしの足取りも
ぜんぜん軽くて、ああ、横浜のK氏がまだ来てないけれど、横浜のK氏と5年間ここで
毎月のように立ち話をしたことが、結果としてこの傍若無人な腹が据わったような気分
をもたらしてくれたような気がする。
10分前だけど、ひとりでパレスチナ旗を掲げて立っていようと思ったが、アタックザック
と黒色中型拡声器を路上に置いて3分くらいぼんやりしていたら、松田さんが現れたの
で、がぜん闘争心に火がついていつものように横断歩道の信号にパレスチナ旗を結び、
黒色中型拡声器にマイクをセットして、頭に巻いた赤色のバンダナを外してパレスチナ
のハッタといってただの布という意味なのであるが、日本でいう、いわゆる大き目の
スカーフなのだが、その柄はもう世界的に有名になった中東のテロリストたちが頭にみ
んな巻いているやつであるが、そうだ、一種の舞台衣装みたいなもので、これを頭に
巻くといかにもという感じで、市ヶ谷駅を通行中の市民諸君にはたぶん、すごく分かりや
すいと思うからさ、それで、最初の5分間くらいは、2人でアジテーションは始まったの
だった。ぜんぜん平気さ、それから、また5分くらいして2人の仲間がきて、15分くらい
してもうひとりの仲間が来て、結局、7時にイスラエル大使館に向かったのは5人だ
った。駅で横浜のK氏を見たと仲間のひとりが言うのだが、他の4人はだれも見て
いないのだ。でも、きっと駅の中にいたのだろう。駅の中で誰かと待ち合わせで柱に
もたれかかっている人々と同じように、パレスチナの緑色革命の横断幕を持つて
たっている我われを見ていたのだろう。<よしよし、おれが居なくても、ちゃんと
やっているな、>とか思っていたに違いない。
しかし、今日はめずらしく、交差点の向こうの交番の巡査長みたいな中途半端な感じ
の中年のおやじがひとり出てきて、マイクを持って必死にパレスチナの危機的現状を
訴えている松田さんに向かって、<おい、このパレスチナの旗を信号機に結んでいる
のを外せ、>とか言ってきたのだが、すかさず、松田さんは、<いまマイクで話して
いる最中だろうが、>と怒鳴ったら、その巡査長みたいな中途半端な感じの中年の
おやじは、かたほうのあしを貧乏揺すりしながら、しばらく黙ってなにかバインダーの
報告書にボールペンで書いていたが、すごすごと交番のほうに帰って行った。
でも変だな、知らないはずの松田さんから2度も<ラッパは持って来たのか>って
聞かれた。
おまけに、きょうは<吹くまえになんかしゃべってからにしろよ>とか言われたので
<パレスチナ人の犠牲者のためにこの演奏をささげます。断じてイスラエル側の死者
たちのためのものではありません。>とマイクに向かって言ってから3分間だけかじか
んだ指と20時間くらいまえの冷たい湿ったリードを噛んで、やろうと思ったことの半分
くらいしかできなかったのだけれど、最悪の状況下で演奏するということがじつは、
ニュウ・ジャズの大事な面目なのである。このことを忘れてストリート・ミュージシャン
でございますというやからは最初からなにか間違ったものを求めていると言われても
仕方がないと思う。内容などはなからずっこけることなど承知したうえでのこと、この
意外性こそが、ただひとつのこの現在の世界中の文化の閉塞状況を打ち破る方法
だと思うからだ。
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