こんにちは、
しゅいです。
私が学生の頃、
卒業式で泣いてる子達を見て覚えた違和感について告白しよう。
回り見渡すと、みんな
しくしく、してた。
学園生活は終わるかもしれないが、
もう二度と会えないわけではなく、
外でお互い誘えばランチに行ける。
なのに、なんで悲しいんだろう?
(そんな疑問が絶えない学生時代でした。)
今思えば、これは「みんなで過ごす時間」や空間に
依存しているだけなんです。
自主的に友達をさそえばいつだってあえるでしょう?
でも、学校という場は自主的に何をせずともみんなが顔を合わせなきゃいけない「集まる場所」
だからこそ、楽でイベントもたくさんあり、楽しい学生生活から一転、
これからは一人で精神的に独立していかなきゃいけない。という将来への不安もあり
まだここにいたい。というさみしさもあり。思い出にすがりがちになるのでしょう。
。。。
そんな気持ちとは反面、
そうでない子もちらほら。。。そぅ。例えばわたし。
。。。
私は好きなやつとは外でいつでも会えると思ってるから微塵も悲しくならなかった。
むしろ勉強も学校のイベントもワクワクしなかったので時間の無駄とすら思っていた、協調性のない子でした。笑
さて!
そんな学生時代思ってたことをなぜひっぱりだして書いているかといいますと、
前回、紹介させていただいたこの本・・・
これを読んでいてしっくりくることがたくさんありました。(本当に素敵なほんだった!)
この本ではあの世とこの世では一見違う世界に想像しがちだけども実は同じ魂は永遠に生き続けて
遊びがてら地球にポンッと生まれてくるらしいのです。
どちらかというと、こっちが仮想現実であの世が本当の自分の魂がいるなんでも願いが叶ってしまう本当の世界。
一見、最高じゃん。っておもいがちな「あの世」の世界はなんでも願いが叶うし手に入るからめっちゃつまらない。らしいです。( ´∀` )
だから、私たちは生きるのが大変な肉体的な痛みも伴う地球人として生まれてきてあらゆる経験をしたい。と願いうまれてくるそうです。
わざわざ自らの魂が選んでうまれてくるんですって。
そこでね、
さっきの卒業式の話にもどるんだけど、
すっごく不謹慎な言い方に聞こえる人もいるかもしれないが、
この卒業式で体験して思った事と同じような感覚で「死」が存在したらどうだろう?
つまり・・・
魂が繰り返すってことは、実はあの世ではあっさり会いたい人に会えたりとかして。
あの世とのこの世の境はループする不変的なもので終わりがあるんではなくて、
卒業式でもう二度と会えない、別れ。みたいなイメージを「死」ぬときも思わせるからネガティブなイメージだけど
実は本来あるべき場所に戻るだけの話でなんの悲しいこともない。って思うの。
その人のこの世でのミッションが終われば「遊びできてる時間」が終わるからもとあるばしょに帰る。
ようは私たちの魂はこの世での経験を手みやげにおうちに帰るって感じ。
その経験をいいものにしたいよねって話です。
私はせっかくならジェットコースターみたいで楽しくてとにかくワクワクのとまらない怖いもの知らずな人生にしてそれをみやげに
あの世に持っていきたいです。
・・・
ちょいちょい、
現世は架空現実という言葉を耳にしますが
私はこれに一票。
夢に出てくる世界が本物だとしたら私たちは現世に遊びに来てるに過ぎない。
だから「ただ、楽しみましょう」ってことだし
何も恐れる必要はないってこと。
全てを手放すべきなのは
限りなく本当の自分に近づく為。
ようは、怖いものが何もなくて
楽しきゃ何でもいいってこと。
