昨日すごく久しぶりに娘と新宿高島屋に行った!エレベーターの中で、婦人服バーゲン と書いてあって、私はバーゲン会場の壮絶な奪い合いが大嫌いで、通り過ぎようと思ってた。
けど ちょうど エスカレーターで降りたら、その会場はガラガラだった。
ふっと見たら、ゴージャスなレースのロングコートを、マネキンが着ていた。
1万1000円と財布も大丈夫だったため 、試着してみた。
レースはとっても フェミニンで女性的。
そのレース素材なのに、フードがついたようなスポーティーなブルゾンのようなロングコート。
昔 バーバリー でワイン色のレースのトレンチコートが欲しくて着てみて、
値段にびっくりして辞めた記憶が蘇ってきた。
私は 婦人服を、ユニクロと GU 以外では、最近ずっと、買った記憶がない。
そこ以外では欲しいと思わないできた。
高級品はプライドが高くて個性がうるさすぎる。
かといって、
どこを見てもただ売るために作っている 流行りのものは、見るだけで疲れる。
ユニクロやGUには一生懸命 みんなが (多分 誰かが)いろいろ人間のことを考えて 、これからのの身につける衣類のことを考えている …
その潔さがあって、そこが好きなのだ。
購入しやすい 値段設定も、有りがたいのだ。
その私が、
衝動的に心が踊って嬉しくて、 春夏用のレースのフード付きロングコート を、買った!三女はいつも
買えばいいよ
と言ってくれる。
罪悪感 より ワクワクを優先させていいよ…という深くて、さりげない優しさのある子だ。
私はウキウキしながら レースのコートを、買って家に帰り、
タグを外して 、ハンガーにかけて、
自分に羽織ってみては鏡に映して喜んでみた。
昔は マルかバツの私だった。
白黒はっきりつけていたい。
マルかバツじゃなきゃいけないと思っていた 。
そして マルかバツか で答える方が面倒くさくないし、 すっきりしているし、 とても綺麗だと思っていた。
ところがだ。よく考えてみると、
自分の身につけるもの一つを取ってみても 全ては マルかバツじゃないんだ。
髪型にしても全く手をかけない ストレートが美しいのだと、勝手に思っていたけれども 、
それは若さや 、ツヤツヤのキューティクルの髪が美しいのであって、
手をかけない年寄りのロングヘアは何故か哀れになってくるのだ。
人間はありきたりものには目を 止めない。
コテコテに小細工されたものに目が行く んだ。
でも コテコテすぎると重たい。
お出かけのフォーマル 具合によって
コテコテ 具合を100% 90% 80% そしてさらには 50%0%とカジュアルにむかって減らしていく。
そして フェミニンとスポーティーも同じようだ。
レースふわふわのゴージャスな素材を、スポーティなデザインにしたそのレースのパーカーは、
バーバリで見たレースのトレンチコートみたいに、フェミニンな素材を機能的なものにしていて、とっても素敵だった。
洋服にしても、完全なスポーティーなもの
そして、 機能的にとんがったもの、というのは、全く若い美しい肉体にはぴったりと合う。
ところが、 年齢を重ねてくると、
人生にも、容貌にも、シワや たるみや個性や 癖や生きる道 やその人のあり方が出てくる 。
小さな 細部の組み合わせで
その人の趣味や 個性をシャーロックホームズのように推し量る。
その人の持っているものや、身につけているもので、
人としての生き方や、細胞が、語ってくれるのだ。
そして、その人の価値観や 個性、ひいは人生に対する考え方、生き方が、出てくるのだ。
それは人によって 白黒はっきりつけられないぐらい様々な色に輝いている。
傾向的 に 似通うことは確かに、ある。
でも 誰一人 同じ色はない。
1人ずつが自分の人生を個性で 輝かせるために生まれてきているのだ。
試験問題は、 マルかバツかもしれない。
でも洋服も髪型も 容貌も、白や黒だけでなく 、若い 年取ってるだけでもなく、男か女でもなく、
いろんな色に輝いている。
生きることも、考えることも、ますます様々な色に輝くのだ。
これからは、
100% 働いてしまうのでなく、
何%か仕事をしたら何%かは緩む、
そんなメリハリ つけた、 アップダウンのある 、凹凸のあるバランスの中で生きていきたい。
呼吸も、吸ったら吐く、
食べ物も、食べたら出す、
プラスばっかりじゃなくてマイナスもある。
そんなことを考え、
私は地球のバランスってすごいなあと
そしてそのバランスが何て美しいのか
と思った。