👨‍🦲👩‍🦲日曜日の智慧📿☸️

 

第一回「あ」①

 

「仏教用語一覧(ぶっきょうようご いちらん)では、仏教用語を、日本語にしているものを中心として一覧形式で表す。

仏教用語は、仏教発祥の地であるインドが起源であり、そこで生まれた様々な用語は中国において、「般若」「三昧」など発音漢字を当てはめた音訳、あるいは、「」「など意味の該当する漢字に置き換えた意訳の、2種の方法によって中国語化された。さらに、それらの漢字化された仏教用語は日本も伝わり、「有頂天」や「玄関」などといった一部の語は、一般社会においても日常語として使用されるようになった。

また、「」(kapāla、鉢、頭蓋骨)や「鳥居」(torāna仏塔の垣門)も仏教用語が起源であるとする説がある。」ウィキペディア

 

右半身のページで、

この仏教用語のページを新しく開いた。

よく分からない事は、

表題の掴みを羅列するだけで、

コメントは避け、

興味のある事は、

その言葉を知っていても、

仏教用語とは知らなかった事は、

コメントし、

また内容を覚え、

仏教の智慧を授かりたい。

 

合掌

 

ア行

 

阿含経

(あごんきょう、あごんぎょう、: āgama, アーガマ)とは、最も古い仏教典集(スートラ)であり、釈迦言葉を色濃く反映した真正な仏教の経典ものとされる。阿含(あごん)とは、サンスクリットパーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味である[1]阿含の類義語には(ぶ、Nikāya)があり、パーリ仏典ではそれが用いられている[1]

仏教用語

アーガマ

パーリ語

āgama

サンスクリット語

āgama

チベット語

ལུང་ 

(lung [1])

中国語

阿含

日本語

阿含

英語

"sacred work"[2] , "scripture"[3]

 

釈迦の死後、その教説は迦葉阿難を始めとする弟子たちを中心として何回かの結集を経てまとめられ、経蔵(sutta-piṭaka, スッタ・ピタカ)を形成した[1]。他方、守るべき規則は律蔵(vinaya-piṭaka, ヴィナヤ・ピタカ)としてまとめられたが[1]、一般に紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成されたものであると言われている[4] 。その経蔵はそれぞれ阿含(āgama, アーガマ)またはnikāya、ニカーヤ)の名で呼ばれた[1]

これらの現存するものは、スリランカミャンマータイカンボジアラオスベトナムに伝えられている『パーリ語仏典』と、それに相応する漢訳経典などである[1]。漢訳では増一の四阿含(しあごん)があり、大正蔵では冒頭の阿含部に収録されている。パーリ語訳では五部が伝えられている。両者は、伝持した部派や原語は異なるものの、共に同一の阿含経典群から訳されたもので一定の対応関係がある。」ウィキペディア

 

阿含経は良く分からないが。

ブッダのアーガマには興味がある。

タイにいる時、

僕は何が何だか分からないまま、

この国の仏様を拝んだ。

どこで祈っても仏様は同じだと思っていた

何か困った事がある時、

何か嬉しい事があった時、

娘の誕生日、

新車を買った時、

宝くじを買った日、

自分の会社が傾いた時、

何もすることのない日曜日、

ゴルフも家族?サービスも無い日曜日、

ロータス、

ビッグC、

ヴィラマーケット、

フードランド、

マクロなどに、

買い出しの無い日は、

買い出しのある日も、

僕はお寺に行き仏様に拝んだ。

 

僕はお坊さんに祈ってもらい、

娘の幸福と健康を祈り、

黄色い紐を腕に結わえてもらい、

頭にお祓いの聖水をかけられ、

💐や花輪を手に持ち、

金箔を仏様に貼り、

聞いた事のないお経に

その内容も分からずに神妙とした。

終わると、

昼も夜も途絶える事の無い縁日で、

クエッテイオ(そば)や、

バーミー(ラーメン)、

ガイヤーン(鶏肉)、

カオニャオ(もち米)、

カポー(トウモロコシ)、

トワ(タイ風枝豆)、

カノムチン(ベタベタした素麺みたいな)、

を頬張った。

 

いつしか何もすることのない日曜日は、

いつしか何かすることを辞めても、

日曜日はお寺に行く事となった。

 

ナモタサ、

パカワトー、

アラハントー、

サマサンプタサ、

僕が25年あの国にいて、

覚えたのはこのお経だった。

このお経だって正しい発音なのかは怪しい。

念仏を名前を知らぬまま祈り、

念仏の意味を知らぬまま祈った。

ただひたすらに、

人より少し多額のお金を棄捨すれば、

それで徳があると思っていた。

仏像をいくつも家に買って帰れば、

それで徳があると思っていた。

銅よりは銀、銀よりは金であると思っていた。

茹で卵を200個300個とお寺に供えれば、

それで徳があると思っていた。

それをタンブン(喜捨)と思っていた。

大乗仏教と、

上座部仏教の、

違いすら分からなかった。

 

でもお寺に行くと言う事は、

汚れだらけの、

油だらけの、

脂だらけの人生に、

一抹の涼風をもたらした。

僕の汚い放逸な生き方に、

一抹の爽風をもたらした。

いつしか僕は、

仏教に不離心となった。

それがこの人生の後編に、

大きな救いとなっている。

 

合掌

 

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