朗読 ブッダの真理の言葉 写経

第一章①

 

この時間は、

日曜日のお昼の投稿は、

そもそも愚痴をこぼさない懺悔をする投稿コーナーで考えていました。

だが、しかし、この病院介護施設で太郎事件その他のあらゆる人間社会の縮図に会いまた、

以前からブッダの清らかなお言葉の転写をYouTubeで聞き、それをiPadに写経し、自分の人生に照らし合わせ考え、理解し、その福徳を読者の皆さんに回向したいと思っていましたので、それを行います。

また、法句経はかの某国では、うちの2人の娘美雪美咲も小学校?で学んでいる経典です。

善行に上座部も大乗も無いと思います。

真理に上座部も大乗も無いと思います。

 

全部で26章ありますので、

一章一章写経し、

と言ってもiPadにインプットし、

①写経 投稿一周目

②自分の極私的現実に照らし合わせ懺悔する。

投稿ニ周目以降は理解納得するまで考え、

次の章へ進みます。

を繰り返します。

どうかお付き合いください。

 

「法句経(ほっくぎょう)、ダンマパ(:Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズムで伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、ーリ語で「真理: dhamma)の言葉(: pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する[1]。」Wikipedia

 

朗読 ブッダの真理の言葉

ダンマバダ 法句経

第1章 1組ずつ

 

物事は、

心に基づき、

心を主とし、

心によって作り出される。

 

もしも穢れた心で話したり

行ったりするならば、

苦しみはその人に付き従う。

 

車を引く牛の足跡に、

車輪が付いていく様に。

 

物事は、

心に基づき、

心を主とし、

心によって作り出される。

もしも清らかな心で話したり、

行ったりするならば、

福楽はその人に付き従う。

影がその体から離れないように、

 

彼は我を罵った、

彼は我を害した、

彼は我に打ち勝った。

彼は我から強奪した。

と言う思いを抱く人には、

恨みは終に止む事がない。

 

彼は我を罵った。

彼は我を害した。

彼は我に打ち勝った。

彼は我から強奪した。

と言う思いを抱かない人には、

終に恨みが止む。

 

実にこの世に於いては

恨みに報うるに、

恨みを持ってしたならば、

終に恨みの止む事がない

恨みを捨ててこそ止む。

 

これは永遠の真理である。

 

我等はここにあって死ぬ筈の物である、

と覚悟をしよう。

この断りを他の人々は知っていない。

しかし、この断りを知る人々があれば、

争いは静まる。

 

この世の物を清らかな物であると

思い為して暮らし、

眼などの感覚を抑制せず、

食事の節度を知らず、

怠けて勤めないものは、

悪魔に打ちひしがれる。

 

弱い樹木が風に倒される様に、

この世の物を不浄であると思い為して暮らし、

眼などの感覚をよく抑制し、

食事の節度を知り、

信念あり、勤め励む者は、

悪魔に打ちひしがれない

 

岩山が風に揺るがないように、

穢れた汚物を除いていないのに、

黄褐色の法衣を纏おうと欲するする人は、

自制心が無く、

真実も無いのであるから、

黄褐色の法衣に相応しくない。

 

穢れた汚物を除いていて、

戒律を守る事に専念している人は、

自制と真実とを備えているから、

黄褐色の法衣を纏うのに相応しい。

 

誠でない物を、

誠であると見做し、

誠である物を、

誠では無いと見做す人々は、

誤った思いに囚われて、

終に誠に達しない。

 

誠である物を、

誠であると知り、

誠では無い物を

誠では無いと見做す人は、

正しき思いに従って

終に誠に達する。

 

屋根を粗雑に葺いてある家には、

雨が漏れ入るように、

心を修養していないならば、

情欲が心に侵入する。

 

屋根をよく葺いてある家には、

雨の漏れ入る事が無い様に、

心をよく修養してあるならば、

情欲の侵入することが無い。

 

悪い事をした人は、

この世で憂え、

来世でも憂え、

2つのところで

共に憂える。

 

彼は自分の行為が穢れているのを見て、

憂え悩む。

 

良い事をした人は、

この世で喜び、

来世でも喜び、

2つのところで、

共に喜ぶ。

 

彼は自分の行為が清らかなのを見て

喜び楽しむ。

 

悪いことを為す者は、

この世で悔いに悩み、

来世でも悔いに悩み、

2つのところで悔いに悩む。

 

私は悪い事をしましたと言って悔いに悩み、

苦難のところ、地獄などに赴むいて、

罪の報いを受けて更に悩む。

 

良い事を為す者は、

この世で歓喜し、

来世でも歓喜し、

2つのところで共に歓喜する。

 

私は良い事をしましたと言って歓喜し、

幸あるところ、

天の世界に赴いて、

更に喜ぶ。

 

たとえ為になる事を、

数多く語るにしても、

それを実行しないならば、

その人は怠っているのである。

 

牛飼いが他人の牛を数えているように、

彼は修行者の部類には入らない。

 

例え為になる事を、

少ししか語らないにしても、

理法に従って実践し、

情欲と怒りと迷妄とを捨てて

正しく気をつけていて、

心が解脱して執着することのない人は、

修行者の部類に入る。

 
合掌
 
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