顔のないヒトラー達 2016 ドイツ
監督 ジュリオ・リッチャレッリ
前書き
昔、あるテレビを見た。まだ、ドイツが西ドイツの頃だ。
戦後の敗戦国の責任の取り方が、同じ敗戦国でも日本とドイツ
、
イタリアでは違う。要するに日本は、
その評論家は言いたい見たいだった。
昔はこうして、自分の国を馬鹿にして、アメリカ、
褒めて置けば、評論家も、食いっぱぐれない時代だったのだ。
西ドイツが、どれだけキチッとした国であるか?
キチンとポーランド、フランス、ソ連などに謝った、あれは偉い!
と。全くの出鱈目で、日本人も西ドイツ人も弱い人間の、
だったのだ。この映画は遅すぎたくらいだ。
まず映画レビューの前に、この事を伝えたい。
出演
アレクサンダー・フェーリング (Johann Radmann)
検事。1950年、戦後の西ドイツ、
ムードに疑念を抱く。
強制収容所アウシュヴィッツ、そこで行われた残虐な行為。
アウシュヴィッツの職員のリストを元に追求していく。
しかし彼女のマレーネ、その家族、自分の父、母、その、
再婚相手、その頃のドイツ人を洗えば、いくらでも、
汚れた手が現れるのだ。
ヨハンは挫折し掛かる。
ヨハンの恋人。自分のレーベルの洋服を作ることを夢見る。
ゲルト・フォス (Generalstaatsanwalt Fritz Bauer )
ヨハンの上司。
ヨハンの情熱でアウシュヴィッツの事件が明るみに出る事を、
密かに、希望している。
検事。ヨハンの友人。
その他、検事、友人、事務員、
その立場から、
しり、今まで馬鹿にしていた友人でない検事まで、動く。
逆にヨハンは一時的に挫折をする。
最終的にヨハンは検事に復帰して、
アウシュヴィッツで犯罪行為をした人々を摘発する。
フランクフルト・アム・マインが舞台のこの映画。
アウシュヴィッツの鉄格子のデザインと、
フランクフルト・アム・マインの駅の鉄格子が重なって見えます。
2000年前後に行ったフランクフルトアムマインと、
2015年前後に行ったフランクフルトアムマインは明らかに違う
移民で、あの美しい街は壊れてしまった。
この映画でも戦後1950年にしては綺麗な街だ。
あの美しさを取り戻して欲しいと思う一方、
移民も助けないわけには行かない。
それくらい、この街は乱れている。
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