「登場人物」と言う物語 25
1童貞と上陸 2買春と買夏 3樹上と巻物4巫女と禁欲
5田舎と散逸6純粋と培養7津波とベルギー8不敬罪と星
9安倍と麻生10公務員と父11一浪一流一鮪
12選民と思想13アルバイトとあるバイト
14普通の社会人とは 15童貞喪失のヒエラルキー
16大阪の人はずる賢い東京の人は嫌いや
17鋼の熱処理 18華麗なる業界 19お客様の預者
20 就職前の経済 21人間荘 22 大阪と自動車
23 泳げタイ焼き君 24 ハスラーとバチュラー
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この物語はノンフィクションです。
僕は1992年に就職した。そして平成を丸々某国で過ごし、
僕は政治家は大嫌いだ。学者も大嫌いだ。そもそも人間が嫌いだ。
僕は、この日本に生まれ本当に運が良かったと思っている。
父母の前にも何人もの父母がいるのだから、皆が皆、
でも人間と言う大枠で言えば、人は仏様(神様)
この親子と言う仕組みが人を苦しめる。この子供の為に、
この親子と言う仕組みが人を苦しめる。
この親子と言う仕組みが人を苦しめる。政治を私物化し、
この親子と言う仕組みが人を苦しめる。
この親子と言う仕組みが人を苦しめる。根拠のない不敬罪が、永
「責任(せきにん、英: responsibility/liability)とは、
これから起きるであろうことあるいはすでに起きたことの原因が行 為者にあると考えられる場合にその行為自体や行為の結果に関して 、対処する任務や義務の事。 責任を負う(役割に就く)者を指して、責任者という。」Wiki
だから、僕は二枚舌の小泉が嫌いだ。
「派遣労働を推進したのは小泉と竹中か
永井 俊哉
Freelancer
公開日: 2021年11月18日
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「日本経済はなぜ没落したのか」の視聴者から「
派遣労働法を取り入れたのは、小泉、竹中世代?」 という質問が来たので、お答えいたします。多くの人は、 規制緩和によって派遣労働を推進したのは、 小泉と竹中と思っていますが、労働者派遣法が成立したのは、19 85年の中曽根内閣の時です(施行は翌年)。つまり、 この規制緩和は、1980年代の土光臨調と中曽根行革にまで遡る ということです。但し、当時派遣が解禁されたのは、 専門知識を必要とする13業務に限定されました。 中曽根行革に続く行革は、橋本行革です。1996年、
橋本内閣の時代に、対象業務が26業務に拡大されました。 しかし、最大の規制緩和は、1999年の小渕内閣によってなされ た改正で、この時に、派遣労働の対象が原則自由となり、 禁止業務だけが定められるネガティブ・ リストの形を取るようになりました。2003年に小泉内閣のもと で製造業務への労働者派遣が解禁されたとはいえ、 なぜ非難されるのはもっぱら小泉内閣で、 より抜本的な規制緩和に踏み切った小渕内閣ではないのでしょうか 。おそらく、小渕内閣が公共事業を増やしたのに対して、 小泉内閣は減らしたので、小さな政府を嫌う勢力は、 小泉内閣だけを攻撃したいからでしょう。 派遣労働に関するもう一つのよくある誤解は、
パソナ会長の竹中平蔵が、 自社の利益のために派遣労働を推進したというレント・ シーキング説です。 竹中が大臣あるいは参議院議員の任にあったのは、2001年4月 から2006年9月までで、パソナの特別顧問に就任したのは20 07年2月、会長に就任したのは2009年8月です。そもそも、 竹中は派遣労働を直接所管する厚生労働大臣には就任していないの ですから、 竹中が中心となって派遣労働を推進したというのはおかしな話です 。もちろん、竹中は、 政治家を辞めた後にも様々な政策を提案していますが、 直接政治権力を持っているのではない以上、責任は、 提案を受け入れる政治家にあって、民間人の竹中にはありません。 」Wiki 全文
小泉が嫌いだと言いながら、小泉擁護の記事を参照する。
「2003年に小泉内閣のもとで製造業務への労働者派遣が解禁さ
れたとはいえ、なぜ非難されるのはもっぱら小泉内閣で、 より抜本的な規制緩和に踏み切った小渕内閣ではないのでしょうか 。」Wiki
この人が誰か知らないが、つまり小泉を擁護したい訳で、結局「
僕の政治的立場を述べさせて貰った。
政治家は嫌いだ。
すみません。気がついたら、政治的立場で終わってしまった。
合掌
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