
写真は実在の団体と関係ありません。
「登場人物」と言う物語 22 自動車産業
1童貞と上陸 2買春と買夏 3樹上と巻物
4巫女と禁欲
5田舎と散逸6純粋と培養7津波とベルギー8不敬罪と星
9安倍と麻生10公務員と父11一浪一流一鮪
12選民と思想13アルバイトとあるバイト
14普通の社会人とは 15童貞喪失のヒエラルキー
16大阪の人はずる賢い東京の人は嫌いや
17鋼の熱処理 18華麗なる業界 19お客様の預者
20 就職前の経済 21人間荘 22
この物語はノンフィクションです。
○大阪と自動車
僕は本当に、大学を卒業するまで車と縁のない人間だった。自慢じゃ無いが、東京は車がいらなかった。これが、東京と大阪の大きな違いだった。だから、会社に入って、新入社員約20名全員が、女子社員までもが当たり前の様に免許を持っている事に衝撃を受けた。パンツを脱いだら、みんな包茎じゃなかった様な、一斉のせで童貞か童貞じゃ無いか白状させられた様な、衝撃を受けた。電車、バス、社会との関わりの基本は、東京と公務員の息子だけ違うのだと知った。
最初の頃は、魚田さんと会社に通っていた僕は、茨木の駅から会社まで自動車で送り迎えをしてもらった。リフレイン
僕の父もカローラに乗っていたが、自動車と言うのは社会との関わりの基本になるもの、と言う事をこの時知った。僕の父は、都の公務員だからそんな事をちっとも教えてくれなかったが、日本人は、車を作る会社に、少なからず、関わりを持つ事が多いと言う事だ。まして、僕の働く鋼の専門商社ニゲドク(呼びにくいので、今回から仮名を設定した)は、ほとんどの自動車メーカーをお客さんに持っていた。「自動車のお陰でメシを食っている」状態だったのである。自動車メーカーに足を向けて寝れない会社だった。
僕のこれからの話はやたらとこの自動車メーカー、或いはその下請け会社が出て来るので、少し記載に注意しなくてはならない。ので、全て仮名で表記させてもらう。間違えても邪推して、想像を逞しくしない様に、お願いしたい。日本は自動車産業で生きている国なのだ。その人達に迷惑をかけてはまずい。
○藤木エンジニア
最初の頃は、魚田さんと会社に通っていた僕は、茨木の駅から会社まで自動車で送り迎えをしてもらった。ーリフレインー
あの頃は、パジャマと言う車が売れていて、飛ぶ鳥を落とす勢いだったボンネット社。いつも思っていたのだが、ボンネット社の車は、電気製品みたいな雰囲気を持っていた。前と後ろがわからない車が多かった。ニゲドクは、日本中に支店があって、その地方地方で自動車会社をお客さんに持っていた。本社のある大阪では、ボンネット社との商売が多かったので、会社の社用車もボンネット社の中古車だった。
これで茨木の駅まで通い、そこから蛍池の寮まで梅田経由のVの字電車通勤も段々と疲れてきた。魚田さんは、生真面目な人なので、飲みに行くでも無いし、何より家は環状線の鶴橋と言う駅。焼肉が美味しいとは聞いたが、連れて行ってくれる気配は無い。と言うか、その時の魚田さんは50代。今の僕が年齢が、昔の僕を誘う様なものである。
そう思っていたら、ある日、僕より数年年上の藤木エンジニアが寮まで送ってくれた。藤木エンジニアは、金属のエンジニアで関西大学を出た人だった。前にも説明したが、車があれば、蛍池の寮まで「あっ」という間なのである。それをわざわざ、茨木の駅から梅田経由のVの字電車通勤では、あまりにも遠回りだった。藤木エンジニアは、工場まで自動車通勤をしており、かねてより、僕の事を気にかけてくれていたようなのである。
本当は、この人の乗っていた車から脱線したのだ。3人の登場人物の1番が、藤木エンジニアだった。でもこの人の車の説明を書こうと思った時自動車会社の説明が必要だと閃いた。
先ほども書いたが、日本人は少なからず自動車産業と関わりの深い生活をしている。ニゲドクの様に、カメレオンみたいに、その地方によって、付き合いの深い自動車会社によって、付き合いを変えている会社。会社の社用車はその自動車会社の車で無いと出入り出来ない。或いは出入り出来ない事は無いが、駐車場が違い、駐車場から事務所までが遠いなんて事はザラにある。しかも、これは社用車だけでなく、社員の自家用車にまで及ぶ場合がある。子供みたいだが、これが現実で、本音と建前だ。
藤木エンジニアは、この会社に珍しく、ベンピー社の車に乗っていた。ベンピー社は、大手ではあったが、ニゲドクが唯一、取引の出来ていない自動車メーカーだった。藤木エンジニアはそのベンピー社の新型マヤに乗っていた。今思えばそれは、会社に対する堂々たる挑戦状だった。彼は、僕を寮に送る代わりに、会社への不満を披瀝する計画だったのである。
さて、藤木エンジニアの話は次回に続く。
だが、その寮まで送ってくれた日の一言は痛烈だった。
「君な?こんな阿保な会社、働くとこ違うで」
ああ、この時藤木エンジニアの忠告に従うべきだった。免許を取って、ベンピーのマヤに乗るべきだったと、今は思うのだ。

