登場人物」と言う物語12
1童貞と上陸
2買春と買夏
3樹上と巻物📜
4巫女と禁欲
5田舎と散逸
6純粋と培養
7津波とベルギー
8不敬罪と星
9安倍と麻生
10公務員と父
11一浪一流一鮪
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この物語は、全てノンフィクションである。
僕は、大学で真剣に勉強をし始めたのは、大学3年生からだった。普通、大学1年2年で取ってしまう語学やら、体育を丸々残し、初めての下宿生活とアルバイトと東南アジア旅行に精を出していたのだから仕方ない。流石に大学3年生ともなると、単位もギリギリで、同じ教室の同級生もいい加減呆れて代返もしてくれなくなった。そもそも、大学の全ての学部の教室は、山の上に⛰あり、僕がいたサークル棟は、山の麓の駐車場の側。授業に出るぞと気合い入れても、気がついたら、サークル棟におり、そこの人たちと雑談、食事をし、そのまま帰ってしまうということも少なくなかった。立派な学食は安くて美味しく、教職員用のレストランのサイコロ🎲ステーキは更に美味しかった。お金がなければ、サークル棟には、カップヌードルもハンバーガー🍔もあった。勉強をサボる環境が、至れり尽くせりだった。ただ一点、このサークル棟では、麻雀をやる人が多く、これが馴染めなかった。そもそも僕は時間を取られるのが嫌だった。僕は不思議で仕方がなかった。ファミコンもそうだが、こうゆうことに時間を人生を取られるのを異常に嫌がるところが僕にはある。やって見れば、面白いんだと思うがダメだ。何が面白うて短い人生をこれに使うのだ?今の若者は、僕みたいな傾向の若者が多いようであるが、でも麻雀は携帯📱のゲームなんかで、依然廃れるどころか流行る傾向にあると言う。
いくら、授業はサボっても楽しい学園生活とは言え、段々と大学そのものに行くのが億劫になった。逆にアルバイトが好調だった。CSKというコンピュータの会社が、多摩ニュータウンの永山の駅の側にあり研修センターがあった。この研修センターは宿泊施設があり、1か月に10日ぐらいのシフトで夜勤に入りフロント業務をする。これで一泊1万円前後貰える。警備員が別にいるのでややこしい事は何もする必要は無いのだ。ただ、チェックインチェックアウトをし、時々10階建てぐらいの研修センターを見廻りする。スーツを着て電話応対。所謂「美味しい」バイトとはこれのことで、「若い内の苦労は買ってでもしろ」を嘲笑っているかのようなバイトであった。しかも、研修で来ている彼等の夕飯は常に大量に余っており、(久々に会った人と居酒屋にでも行ったのだろう)僕は2食3食を平らげ、その後のメタボライフの基礎を築いたバイトであった。
これに加え、家庭教師のバイトも好調で、僕は大学後の生活設計が段々と考えなくては行けなくなってきた。この所謂美味しいバイトをする前に、いくつかやった、美味しくないバイトにより、例えば引越しセンターや、例えば第1家庭電気の月賦係や、例えば地下鉄のタイル運びや、例えば寒空の下で交通量調査や、JRAになったばかりの中央競馬会の警備員のバイトなど、日本社会は僕にとって碌なものじゃ無く、美味しいバイトも、いつか辞めなくてはならず、やっぱり、東南アジアに行って仕事をするのが1番ではないか?と考える様になってきた。
❶東南アジアも含めた外国で働く。
❷自分の好きな仕事を探す。
❸公務員をする。
ただ、❸は既に大学受験の時にカットしたもので、ありえない。
❷は、映画とかクリエーターになりたいと言うのと、食品関係(桃屋、丸美屋)に行きたいと言うのがあった。しかし、最終的に❶に落ち着いたのは、ただ一度の人生、人付き合いが苦手で日本では童貞の僕は、東南アジアに行かざるを得ないのでは?という結論である。汚い、乞食の多い国ではあったが、活気があったし、外国にいれば外国語も覚えるだろう。そうなれば、日本に帰ってきてもチヤホヤされそうだ。こんなところか?(本当の心中を正確に表現するのもなかなか難しい)ただ、この時、何を読んだのか忘れたが、「海外で働くにしても日本人である事は辞めるな」「海外に進出している日本企業、日本で雇われるのと、現地で雇われるのは雲泥の差だ」という情報があった。であるからこそ、こちらで雇われて赴任するのが一番の選択肢だった。
そうゆうわけであるから、大学中退など考えられない選択肢だ。仮に5年になろうが8年になろうが、卒業しなくては駄目だ。人によっては、このような決断は、親に相談するのだろう。だが、既に父をアリキックで🦵倒してしまい、でも学費を出して貰っている僕としては、これ以上の親子の相剋は、取り返しのつかない事になるばかりだったし、母は基本的に無関心だった。大学は卒業するで決定だ。今から、ハンドボールでも、第2外国語の中国語でも、単位を落としては駄目だ。残りの単位を見るに、大学4年卒業は絶望的、大学5年はギリギリだ。その日から僕の戦いが始まった。
それまでの僕は、なんの為に生きているのか、よく分からなかった。そして定まったのは、「海外で働く」であった。多分誤解をされているのは、僕が、愛の為に東南アジアという勘違いをされているので言っておく。後ほど、詳細に説明するが、この時、BJMとの仲は冷え切っていた。向こうは上手く騙したくらいに思っているのかもしれないが、真面目にそれは無い。じゃ無ければ、HIVまで持ち出して引き留めない。僕はエピキュリアンなのだ。結婚をしたいという願望は無かった。結婚💒❌、愛欲○(好き嫌いあり)、女性△(好き嫌いあり)、家庭❌、子供◉、である。
僕が就職するまで、もう1、2章続きそうだが、お付き合い下さい。
#今だから言えること