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ひとつの穴🕳を狙う欲望

 

前回、欲望について、

「今回、この事に対する8つの認識が出たが、次回も含めこれを修正し、追加し、考察していきたい。それと同時にWikiのこの項目の勉強を進め、何らかの真理を掴みたい。愛しても居ない男と愛している男との区別をどの様につけるのか?」

などと大風呂敷を広げて見たが、重要なのは🅰️「〜したい事」🅱️「〜したくない事」の2点に過ぎないか?これにもうひとつ、🆎「どっちでもいいこと」これを入れれば、人間はこの3つの甘い、辛いの味付け次第でどの様に生きるにもこの選択を「欲望上」常にしている筈だ。それを、理屈をこねれば、いくらでも勉強するタネはあるものでちょっと面白くない。「欲望」ではなるべく個別具体例を毎週上げて行く事で「欲望」の理解を深めて行きたい。大きな大河ドラマは、連続金曜日ドラの〜「登場人物」と言う物語〜に任せ、ここは気楽に欲望を語り呟きたい。

 

それで今日は、ゴルフ⛳️について語りたい。僕は、スポーツで”まとも”にやった事があるのはゴルフしかない。”まとも”というのは、学生の時代体育連盟に入った事がない。クラブ活動、スポーツセンターなどの類を何もした事がない。就職して、東南アジアに赴任して、そこには日本人のコミュニティーとも言うモノがあり、仕事の関係上参加しない訳にも行かず、最初は嫌々参加したものである。もともと運動神経が鈍い。実は運動神経が鈍いと言うのは良く分からない言葉だと思っているが、運動した事によって得られる期待が、人に比べて大きく乖離していると言うべきか?

人がスポーツを教えてくれて、「やってみ」と言われやって見ますよね。

そうすると、「教え」に対する結果の値が低い場合、教えてくれた人は、なんらかの不満を出しますよね。

そうすると、その不満に対する強い期待に勝手に反応し、それ以下にはなってもそれ以上には出せなくなってしまう。

だからスポーツは苦手となってしまった。おまけに人間関係についても問題を抱えている僕は、スポーツ❌となってしまった。

僕に愛がない。僕に優しさがない。スポーツを得意とする人はみんなそういう人に見える。頂点に行ったスポーツマンが、人格者見たいに語られる事が多いが、それは幻想である。欲望の勝利者なんだと考え、スポーツからは手を引いたのだ。素晴らしいスポーツマンが嫌いなわけではない。そのプレイに心底から感動することも多い。でも人格とごっちゃにされると幻滅だ。

 

ゴルフに戻る。そんな僕がゴルフ🏌️‍♂️で当然そういう、他のスポーツと同様の結末を迎えてもおかしくなかった。確かに最初は苦労した。最初の初プレイでいきなりコンペに出された。仕事もせずゴルフしかしない上司の半ば強制であった。

○肥溜所長

は、現地企業の工場の20歳年上の責任者であった。僕は彼を信じるしか道はなかった。会社に入って1年で赴任したのであるから、「やりません」とは言えない。肥溜に限らず、現地の日系企業の責任者は似た様なものだった。責任者は王様だった。ゴルフと夜のカラオケにその朝暮の殆どを費やし、ある程度の結果を部下が上げてくれれば、1カ月に一度の本社への会議出張で上手く絵を描き歌を歌えば、そして部下に切れ過ぎるモノがいなければ、(居なかった!)この男の様に20年以上責任者を続けていられるのである。

 

人の評価とはこの様に、比較的イージーな場合が多くその核にあったのは、彼がゴルフが上手かったというその一点に尽きる。この人の赴任期間の殆どが、工作員にとって保証されたものであったとするなら尚更だ。この男の20年超は他力本願、ゴルフのみであった。リーマンだろうが、コロナだろうが潰れる訳がない。一点、「あの運動神経のない国の仇に、ゴルフをさせろ。」これが指示だから難しいわけがない。リアルな御自分の人生を捨てて来られたからやって来れたのだろう。あの強引な推しが無ければ、毎週浜辺で寝そべっていた。

 

次回も「ひとつの穴🕳を狙う欲望」の続きだが、では何故ここまでゴルフをやる事が出来たのかが自分でも不思議だ。「頂点に行ったスポーツマンが、人格者見たいに語られる事が多いが、それは幻想である。」いや本当、関係ないし…。

 

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