普通米と無洗米どっちが好き?
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お米の日
幼稚園まで、虚弱体質だった。
入った幼稚園は「こひつじ幼稚園」と言って見るからに弱そうだった。
幼稚園の前の道で、友人に呼ばれ何も考えず道を渡り、僕はトラックに、
轢かれた。頭蓋骨骨折、右手、左足骨折。瀕死の重傷で、3か月入院。
蘇った僕は、親から栄養をこれでもか?と与えられ、小学校、中学校を経て、栄養超過のデブの道へ。
ただ思うのは、そうは言っても中学校、高校までは、今思うとそれ程太って、いなかった。何故なら自分で食べるものを選ぶ権利が無かったから。
ただ変なコンプレックスがあって、自分はデブだと。
下宿して、原付を買った当時のあの吐き気のするようなデブ。
食べ物、
1人、
お金、
全てが私を自由と言うデブにしたのだ。
とすれば、小中高は親の料理で自分は不自由と言う自由を得ていたのだ。
もし自分が親の束縛から逃げ出したいと思うなら、先ずはなによりも、
親の代わりに自分を縛る何かを持っていなければならない。
自分で自分を縛るには余りに弱かった。
とは言え、高校でお米3杯、平気で食べていた。
それだけ食べても、親は怒らなかった。
食べ方も汚かった。教えてくれたがこの件に厳しい事は無かった。
米とはつまり一つの椀に一粒の米も残さず、
それが胃を通り、腸を通り、12時間から48時間かかって、
消化されている間に、3回から7、8回次の食事をしているのだから、
ただおかわりをするのではなく、
私は与えられた一杯一膳に注意を払って食べるべきだったのだ。
米は一粒で遠い未来を数え、
米は一椀で近い感謝を教える、
1日3回、多くもなく少なくもなく、
それは私を活かしてくれる。
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