1週間はひたすら、ファラオ、毎日先生が来て
自分の出来栄えを見ていかれる。
体中にある、我々の理解では継ぎ目をチェックして
いるのだろうが、もっと高度な言い方があれば、
ありがたい。
食事は翌日から食べれて、これは驚きであった。
ただ味は相変わらず、その文末がガサリしたもので、
周りにはひた隠しにすべきものであった。
きっと悪いことをしたに違いない。
一言、美味しいと。
右手はその気配をけして、手術前存在感がなかったが、
手術後は、特に朝、どちらかの方向に体をねじって、
挨拶をしてくる。
その日までどれだけ右手を無視して生きてきたか。
久々に見る右手はちょっと向きが違って、肉にも
膨らみがある。
普通なら全く動かない手を持って悲しむべきところ、
不思議とその感情は湧いて来ない。
事前の予報と実際の自分、違う。
それはカッコつけてるとか、そんな感じではなく、
事実を漠然ととらえているというか。
一年、2年で段々と喪失感が実感を持って行くのだろうか