平山修二朗の政治活動ブログ -2ページ目

平山修二朗の政治活動ブログ

「地盤(ジバン:支持者)」「看板(カンバン:知名度)」「鞄(カバン:資金)」
政治家になる為に必要不可欠な要素だとか。
周囲を見渡してもふところを覗いても
僕にはどれも当てはまらず。
なので0から始めます。
0から始める政治生活のブログです。

仕事をやめました。

かんっぜんに私事ですが。

これからは政治活動一本です。

行く末に不安はないのかって?

楽しみもありますが、ほぼ不安です。

ニートですからね。「政治団体 代表」とかカッコつけて言うものの。

満を持して、初ニートです。

 

せっかくなのでやりたい事をやろうと思うわけです。

みなさんもやりたい事はどんどんやりましょう。

そのついでに言いたいこと言ってるこのブログをぜひ読んでください。

 

 

 

こんばんは、ひらやまです。

 

Q1.「あなたは政治に興味がありますか?」

 

街頭アンケート等のひらやま調べですが、

この質問に対してたいていの人は

「興味ない」「興味はあるが(難しくて)わからない」と答えます。

中には「自分と関係ないからどうでもいい」

と回答される方も。

続けてひらやまは質問します。

 

 

Q2.「政治が遠いものに感じますか?」

 

そのまま「はい」と答える人や

「うーん、遠いというか難しい」

「何をやっているのかわかりにくい」と答える人もいます。

最後にひらやまは質問します。

 

 

Q3.「消費税の増税についてどう思いますか?」

 

この質問に関しては、回答が一様に揃います。

「腹立つ」

素直でよいと思います。笑

 

 

いま3つの質問を挙げましたが、

実はこの3つ、根っこの所では同じような意味の質問なんです。

さてさて、どういうことでしょうか。

 

まず、3つめの質問にある「消費税」とは税金です。

税金は、政治上で使用されるお金ですね。

国が「~%」と決定し、国民であるあなたからお金を集め、

国、あるいは市で暮らすあなたの為にそのお金を使うという仕組みです。

 

つまり「消費税(の話)」=「政治(の話)」なのです。

 

 

しかし、質問の回答を比べてみると

イコールでつながる言葉なのに

 

「政治」という言葉をつかうと回答が消極的になり、

「消費税」という言葉をつかうと具体的に自分の意見を述べてくれます。

 

本質的には同じ質問なのに、

なぜこんな違いが起きるのでしょうか。

 

 

それは、あなたが政治を「知っている」のに「知らないと思い込んでいる」からです。

「政治」と聞くとあなたはどうでしょう?

やれ国会だの、やれ議会がどうだのと

難しそうなことを連想し、遠くぼやっとしたものが政治であると

決めつけてしまっていませんか?

 

逆に「消費増税」や「年金問題」、「待機児童問題」

と聞くと、ぐっと身近に感じると思います。

 

しかしながら、身近に感じるこれらもすべて「政治」にまつわるものです。

「政治」と聞いたときに、自分の身の周りにある大切な物事が

政治に由来するものであると認識できていない“灯台下暗し“の状態。

この認識のズレが、質問に対する回答に違いを生じさせているんです。

 

われわれの日常生活は、われわれの想像以上にどっぷりと政治に浸かっている。

まずはこの事実を知って頂きたかったのです。

 

 

 

さて

政治は、実はすごく身近なものであるというお話でしたが、

じゃあそもそも「政治」とはなんなのか。

 

 

はっきり言って、「政治」にコレ!といった定義はありません。

言葉にはっきりとした意味がない訳ではなく、

むしろ多くの意味がありすぎて、「政治=?」とイメージしづらくなってしまっている、というのが正しいと思います。

 

例えば辞書を引くと、“政治”=「主権者が、領地・領民を治めること」とされている場合があります。

しかしあなたが日常生活のなかで「主権者が、領地・領民を治めること」といった意味合いで

「政治」という言葉を使うことは、まぁないですよね。

 

 

なので我々 鎹(かすがい)では「政治」をわかりやすくイメージする為に

『人がよりよく、笑って生きていく為の手段』であると定義しました。

以下ちょっとした解説です

 

○『よりよく』

「現在よりも良く」という意味です。

○『笑って』

本当は「幸せに」と言いたかったんですけど、

「幸せ」とひと口に言っても人それぞれやしわかりにくいなぁ、、、という事で

他人から見ても、自分でもわかりやすい“笑っている状態“が「幸せ」であるとひらやまの独断で決めました。

○『手段

あえて手段という言葉に下線を引いたのは、

政治が手段、つまりは「自分の意思で使ってよいもの」であることを強調したかったからです。

 

 

 

生きていると楽しい事もあれば、つらい事や苦しい事もあります。

そういった問題に出くわしたとき、

「自分だけじゃ何ともならないかもしれない」

「誰か聞いてほしい、助けてほしい」

と思ったことはありませんか?

ひらやまは多々あります。

 

 

例を挙げると

「この道、人が歩いて通るには危ない」や、

最近聞いたもので言えば

「働きたいから子供を預けたいのに、働いていないと預けられない」

など、ちょっと個人の力だけで解決は難しそうですよね。

そういった問題を解決へと導く手段が「政治」なんです。

 

 

しかしながら、「政治」とは決して完璧なものではありません。

人が考え出した歪で不完全なものです。

 

例えば資金力の面で、その力の限界がはっきりあらわれます。

問題を解決する時、政治において使用されるお金は、

市民・国民から集める税金です。

何をするにもお金のかかるこの世の中では、

ひとりひとりの問題を、ひとつずつ解決しようとすると

すぐにその財布は空っぽになり、破綻します。

 

つまり、政治は個人の想いに対応することができません。

先に述べた「個人では解決が難しいから政治にて対応する」

という内容と矛盾するようですが、これが政治の不完全な部分です。

 

 

だから“声”をあげる必要があるんです。

政治は1人の為には動けない。

なら1人だけの問題にしなければいいんです。

その“声”が百人、千人、万人となれば

いよいよ政治はその力を発揮することができます。

 

 

政治とは手段です。

あなたが、ひらやまが、みんながよりよく笑って生きる為の手段です。

決して、政治家たちが決めた政策やルールにただ黙って従うことが政治ではありません。

自分たちで考え、決定し、それを守ることが政治です。

 

 

 

 

「~をして八尾をよくします!」

「私が当選したら~をします!」

と声高々に政治家は言います。

投票率が50%にも満たない現状。

つまりは政治に関心をもてない人、

言いたいことはあるのに“声”をあげる方法がわからない人が

まだ半分以上もいる現状。

 

政治家は彼らを無視するんですか?

なら政治家は誰の声を聞いて「~をする」んですか?

 

いまの政治家がやっていることが全部間違っているとは言いません。

でもまるで“ステップ1”を飛ばして“ステップ2”を行っているような違和感があります。

なによりもまずやるべき事があるように思えてならないんです。

 

その残り半分以上の人たちに

「政治とはなにか」を伝えること。

「声を上げる方法」を知ってもらうこと。

その上でみんなの”声”を聞くこと。

政治はそこからだと僕は思います。

それができない政治家なんて必要ないとも思います。

 

 

「どうせ何も変わらない」なんて

そんな悲しいことを言わせてしまっていいんですか?

僕はいやです。カッコ悪いので。

 

 

書いてるうちにだんだん腹が立ってきてしまった。

本日はこれにて。

 

 

 

政治団体 鎹~平山修二朗後援会~

代表  平山 修二朗