旗の台の事務所で高木さんの最近の状況を紗矢さん、小川さんから聞き、木下探偵は高木さんの死は単なる事故死ではないとの思いを強くした。借金を苦にしての自殺や何らかの事件に巻き込まれたのかもしれないと考えた。
三人が事務所を後にしてから、事務所の机に座って助手のみやこさんが運んでくれたお茶を飲んでいたが、ベネチアン・パスタへ行って詳しい話を聞く必要があると感じていた。
そこでみやこさんにベネチアン・パスタへ連絡して貰い、お店の場所と営業時間を確かめ、高木さんが好きなイカ墨のパスタを食べに行くことにした。
翌日、木下探偵は池上線の五反田駅に着くとみやこさんから教わった通り五反田東急の1階にエスカレーターで下りた。五反田東急は正午頃でお昼の弁当やお惣菜、飲み物を買うお客で少し混雑していた。木下探偵は五反田東急を出てJRのガード下を潜り大崎橋の方へ向かった。途中にはジビエ料理の店やラーメン屋が並んでいる。ジビエ料理の店はガード下なのだが、二階もあるらしい。こんなに天井が低いのにどうやって二階を作ったのか不思議でならない。ガードを出るとすぐに立食いのうどん屋があるのだが、この店はいつも行列ができている。そんなに美味しい店なのかといつも不思議に思うのだった。五反田には不思議な店があるものだ。
立食い寿司や喫茶店を過ぎるとすぐに大崎橋だ。橋のたもとには喫煙所があり、そこでタバコを吸っている5~6人の人がいた。木下探偵もその喫煙所でたまにタバコを吸う。大崎橋はアーチ形になっていて人の往来が多く、車もひっきり無しに通っている。橋の歩道は広くて歩いて渡るには充分である。ベネチアン・パスタは橋を渡って左手のビルの3階にあるらしい。木下探偵はすぐに看板が出ているのを見つけることが出来た。エレベータはなく階段で3階まで上って行く。3階の扉を開けると店内だ。店内は目黒川に面したガラス張りの窓によってとても明るい。お昼時ということもあり、8席程度の店内はほぼ満席だった。


みつるは慣れた手つきでスマホの画面を操作していたが、探している店が上手くヒットしたようで、画面をじっと見つめてしばらくお地蔵さんのように黙っていた。
その側で木下探偵が事務所のサッシ窓の近くで外を眺めながら心のなかで「ベネチアン・パスタは今回の件と何か関わりがあるかもしれない。」と考えていた。しかし、それは何か根拠があるわけではなく達郎の単なる勘に過ぎなかった。
紗矢さんは恋人の高木さんが自分には内緒で何か問題を抱えていたのかもしれないと思うと、何故自分に相談してくれなかったのかと残念に思えて、小川さんの方に顔を向けて「高木さんのギャンブル癖がお金の問題を引き起こしたのかもしれませんね。」とおもむろに話しかけた。
白髪の小川さんは、「五反田のサラ金に借りていたのかもしれません。ギャンブルで負けた穴埋めだったのかも。それについては探偵さんに調べて貰いましょう。」と紗矢さんをじっと見ながら言った。
みつるは、ベネチアン・パスタの住所と電話番号をようやくメモしてそれを探偵さんに手渡しながら「web情報ではかなりの人気店のようです。口コミで高い評価がついていますよ。場所はまさしく目黒川に面しています。」と伝えた。
木下探偵はみつるからメモを受け取るとそのメモをポケットに入れて、「近々この店に行って高木さんのことを聞いてみましょう。」と言った。その言葉に三人は頷いた。
その後、四人は応接室のソファーに座って、助手のみやこさんが運んでくれた麦茶を飲んだ。初夏の季節だが応接室は暑かったので、冷たい飲み物は彼らをとてもクールダウンしてくれた。窓の外からは池上線の踏切のカンカンという騒々しい音と電車のガーガー走る音が入ってきて落ち着かない部屋だった。
すると木下探偵は小川さんに向かって高木さんの仕事のことや亡くなった日のことなどを尋ね始めた。
「高木さんがやっていたのは営業マンですか?」
「はい。大変有能な人でした。高木さんは主に都庁などの官庁の取引先を受け持ってくれていました。」
「では今話題の豊洲市場なども関係していましたか?」
「はい。築地市場の豊洲移転延期で高木さんも商談が延びて困っていたようです。」
「高木さんが亡くなった日は何時頃まで会社におられましたか?」
「それは警察でも聴かれましたが、およそ 7時くらいまで居ました。高木さんはその日は、仕事の後で誰かに会うと言っていました。」
「誰と何処で会うのかは言っていましたか?」
「五反田と言っていましたが誰と会うのかは言っていませんでした。」
木下探偵は小川さんと話しながら、自分の額を右手で覆い、じっと思考を巡らせている様子だった。
人格者の高木さんがお金に困っていたらしいという意外な展開に、金に困っての自殺という線も浮上してきた。
木下探偵は続けて、「高木さんはサラ金などに借金はなかったですか?」と尋ねた。
紗矢さんは悲しげな顔をして、「はっきりとは分かりませんが、誰かとよく電話でお金の話しをしていました。今思うと借金の取り立てだったのかもしれません。」と答えた。

木下探偵は、「高木さんの借金については後で調べてみましょう。蛇の道はヘビです。ツテはありますよ。」と述べた。

そして木下探偵は、立ち上がって事務所の窓近くに歩いて行くと窓の外を眺めた。窓からは池上線の線路が見える。その踏切を渡る一人の老婆がいた。老婆は歩くのがいかにも難儀そうにしている。踏切の向こうにはコンビニの看板が見えている。木下はそのコンビニでよく弁当を買っているのだった。老婆は反対方向から来た爺さんに、ニコッとして挨拶をしている。旗の台は老人が多く住んでいる町だ。

木下探偵は振り向いて紗矢さんに視線をやり、「ところで高木さんとはどこで知り合いましたか?」と尋ねた。
紗矢さんは、「高木さんは私がバイトしていたレストランのお客さんで、毎日のように来てくれてぃました。それで仲良くなりました。2年くらい前のことです。」と答えた。

木下探偵は、「どちらのレストランですか?五反田近辺ですか?それとも目黒、恵比寿ですか?何料理のレストランですか?」とさらに続けた。

「目黒のイタリアンレストランです。フォロ・ロマーノと言う店です。」

木下探偵は主に居酒屋しか行かないので、その店は知らなかった。ただその店の名前がとても高級そうに思えた。

小川さんは高木さんの裏の顔を知ってしまったショックで沈痛な面持ちでいたが、「高木さんはイタリア料理が好きでお昼は度々パスタを食べに行っていました。ホワイトソースのパスタが好物だったようです。」と付け加えた。

木下探偵は、「五反田に行き着けの店はありませんでしたか?目黒川近くでありませんでしたか?」と尋ねた。

紗矢さんは少し考えてから、「そう言えば、最近行き始めた店があります。確かベネチアン・パスタという店です。そこのイカ墨のパスタがとても美味しいと言っていました。」と言って、考えこんだ。

みつるは会社が五反田であるが、探偵さんと同じく居酒屋専門なので、ベネチアン・パスタは知らなかった。そこで、「今その店を調べてみます。」と言うとスマホを使って検索を始めた。