最近めっきり酒が弱くなってきて、なんとなくお茶でやり過ごすことが多くなったのだが、「なんとなくお茶」では面白くないので、ちょっとお茶を勉強しようと思って始めてみたら、けっこうハマりだしてきた。小生はそもそもワイン業界にどっぷり浸かっていたこともあり、やや脳みそが「ワイン的」に考える習性があるのだが、そういう視点でお茶を見てみると、なかなか興味深いことに気付き始めた。

 

 例えば、茶にも「品種」がある。戦後の国策で「やぶきた」という品種一辺倒だったのだが、最近は色々と新たな品種や「在来」と呼ばれる、もともとその土地に合った名も無い品種も「品種茶」として見かけるようになった。こういった土着品種復活の潮流はワインの世界にも頻繁に見られるし、日本酒なんかは「夏子の酒」に代表される「幻の米復活」みたいな流れがもっと顕著にあるかも知れない。

 

 前述の「やぶきた」は、比較的栽培が簡単で、気候に対する適応力もあり、収量効率も高い、ワインで例えるとカベルネ・ソーヴィニョン(Cabernet Sauvignon)種といったところか。1990年代、赤ワインに含まれているポリフェノールなどの成分が、体に良い作用をもたらすのではないかということが引き金となり、とりわけチリ産のカベルネ・ソーヴィニョン種のワインは「チリカベ」と呼ばれ、低価格ながら力強い味わいと芳香が人気を呼び、一躍第5次ワインブームの主役に躍り出た。はじめて飲んだ赤ワインがこの品種という人は、他の品種に比べて圧倒的に多いのではないだろうか?  

 

 同じように「やぶきた」は、戦後間もなく選定された品種で、甘みのある濃厚な滋味と優雅な香気、そして病害虫にも比較的強く、適応力と生産性が高い点でも、まさにカベルネ・ソーヴィニョンに匹敵する。戦後の見返り物資に選出され、生産性を高めるために国策により改植が進み、今でも日本茶の80%以上を占めている。加えて緑茶カテキンをはじめとするポリフェノール効果は、今でも茶を語る上で話題の中心のひとつであり、健康飲料的側面で注目された点でも、カベルネ・ソーヴィョンと同じ道を歩んでいる。

 

 カベルネ・ソーヴィニョンは、「ワインと言えばフランス」の、かの有名なボルドー地方メドック地区の主力品種なのだが、ボルドーのワインは一般的に数種類のブドウをブレンド(=「アッサンブラージュ」と言う)してつくられる。毎年作柄の異なるブドウに対して、常に良い品質水準を保つために行われるカベルネ・ソーヴィニョンをメインに様々なブドウのアッサンブラージュはまさにワインメーカーの腕の見せ所だ。

 

 ひとくちにメドックのカベルネと言っても、作付されている畑によってその性格は全く異なる。土壌、日照時間、風通し、降雨量などこうした地域的微気候をあらわす「テロワール(TERROIR)」と言う言葉は、今ではだいぶ市民権を得てきたようだが、現代のワイン造りは「いかにテロワールを表現できるか」にかかっていると言っても良いかも知れない。

 カベルネ・ソーヴィニョンの脇をかためるのは「メルロー」「カベルネ・フラン」「プティ・ヴェルド」「マルベック」と言ったブドウ品種だが、これらはメドック地区では脇役でも他地域に行けばメインのブドウになれる実力派たち。テロワールの多彩さは、同時に最適品種の選抜という重要な課題をワイナリーに与えてくれている。

 そして、テロワールを突き詰めていくと、ゴールのひとつは完全な自然回帰であり、ビオディナミに代表されるような昨今の「自然派ワイン」ブーム、当然の帰結と言っても良いかも知れない。

 

 話をお茶に、とりわけ最も馴染みの深い煎茶の世界に話を戻すと、世界的なワイン産地ボルドーは、さしずめ日本一の茶所である静岡。カベルネに匹敵する最主力品種は当然「やぶきた」種だが、脇をかためるのは「さやまかおり」「かなやみどり」「おくひかり」「おくみどり」「めいりょく」といった、昨今ささやかに注目されつつある「品種茶」ブームのスタープレーヤー達。

 ボルドーの最良生産地であるメドック地区に匹敵するのは「牧の原台地」か? ここを中心として、山側や海側に、多彩な「テロワール」が存在し、先述の様々な品種たちが作付されている。そして、ワイン同様、昨今、特に若い生産者たちによる「自然茶」生産は、明らかな潮流のひとつとなりつつある。

 

 伝統的に煎茶は収穫の後、様々な工程を経て「荒茶」という状態に仕上げられる。市場ではこの荒茶の状態で各茶問屋と取引され、茶問屋では仕入れた何種類かの茶葉を使って「合組(ごうぐみ)」という作業を行う、合組はいわばボルドーワインのアッサンブラージュ、合組を行うのは「茶匠」と呼ばれる職人さんたちで、いわば茶のマスターブレンターである。合組を経て最終的な「仕上げ茶」となり、一般的に街で売られているお茶はこの「仕上げ茶」ということになる。ワインで言えボトリングされた状態だ。

 

 ボトリングされたワインや日本酒は、一般的には温度管理が重要だ。保管温度は一定でなくてはならず、寝かして保管したり、飲む前には立てて落ち着かせるなど、なかなか忙しい。抜栓温度にも気を使い、ツウになればワイングラスまでこだわることだろう。どちらかというと、瓶詰された液体を「育てる」といった雰囲気がするのが、こういった醸造酒たち。

 

他方のお茶はというと、見た目は色気のない「葉っぱ」の状態、通常は「冷暗所に保存」程度で良いが、真空包装や窒素充填包装にも限界があるため、こちらはなるべく早く召し上がっていただきたいのが一般的で「育てる」感はあまりない。ただし、これを淹れる時に十分な愛情を注いであげなくてはならない。即ち、茶種による湯温の選定にはじまり、適切な急須、湯呑、湯量、浸出時間、煎の数などなど。いくら素晴らしい生産者に育まれ、素晴らしい茶匠により仕上げられたお茶も、淹れ方や扱い方を間違えるとその真価は味わえない点も、ワインも茶も同じだ。

 

 こういった嗜好品度の極めて高い飲料を、単に「アルコール飲料」と「非アルコール飲料」と捉えるよりは、どちらも同じような目線で語るように出来たら、それはまた新しい「何か」が産み出されていくような気がしてならないというのは、めっきり酒が弱くなった者の、都合のいい逃げ道か? いくら茶とワインに共通点が多く見出しても、茶では「酔えない」ということを、どのように受け入れるか? はたまた、もう少し突き詰めていくと「酔える」ようになるものだろうか…?