予め記しますが、文中の手記は本物でそれ以外は本人から聞いた話をまとめて記しました。

知人に高校を出るまで母親が後妻で継母だった事を知らずに育った者がいた。実母とは死別だった。

18になり、彼は大学入学及び上京その他で戸籍謄本を見ざるを得ない状況になり、父親は彼に事実を話した。そして今まで参っていた一族の墓の後ろにある一人の女性の名前が実母であることを始めて知る。

当然だが彼は相当なショックを受けた。

今までのように継母を お母さん と呼べなくなり、微妙な距離感が生まれる。

一人暮らしを始めた彼はバイトで金を貯め、大学2年の夏休みにバイクで九州を旅した。なお上京してから一度も帰省はしていなかった。

実母の出身地である鹿児島県指宿市を目指して。

途中立ち寄った知覧町の某施設にて読んだ自分と同年代の青年の手記に彼は衝撃を受ける。

その日の夜、指宿市の宿に入ると会った事の無い母を思うと共に、継母への感謝で涙が溢れた。旅先から送った絵葉書の書き出しは お母さん だった。

その年の冬休みに帰省した彼は両親を近くの店へ食事に誘い、一人暮らしで知った有り難みを感謝の言葉と共に伝えた。
始めて座敷で酌み交わした杯に父親は嬉しさの余りピッチが上がり酔い潰れ寝込んでしまった。

二人になって継母は旅先から送られた絵葉書を読んで涙した事を語る。彼はある青年の手記を読んでそういう境地になった事を語った。

母を慕いて

母上様御元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母 有難い母 尊い母
俺は幸福であった
ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと

相花信夫(少尉 昭和20年5月4日出撃戦死18歳)

母はおしぼりを目に当てた。彼は照れたようにグイッと酒を煽ると酔い潰れた父親を眺めて「ふつつかな父と子ですが、これからも頼みます」と軽く会釈した。

約十年後、彼は伴侶を得た。3歳の娘を持つ2歳年上の女性と。
約十年ほど前の話です。

その日の朝、私は上司と取引先の方と共に仕事の打合せを大阪の某有名ホテルの喫茶ロビーにて朝食ナイフとフォークをとりながら行っておりました。

上品なクラシック音符が流れる空間で、テキパキと動く容姿端麗なウェイターさんやウェイトレスさん。

ほのかに漂うコーヒーコーヒーの香りと、パン食パンの香り。

西洋人客遧の特有の体臭と香水の匂い。

ガラス越しに見える庭園と差し込む日の光晴れ

優雅な時間ですキラキラ

食事を終え、コーヒーコーヒーを飲んでいたところ方々のテーブルから ブッ!!っと飲み物を噴く音となんともいえない雰囲気がただよう事態が起きました。
 
少し前、おそらく寒い地方の山間部電車から観光でこられたと思われる宿泊客の団体の方々が56人が鄕鄧喫茶ロビーに来られました。
しかしメンバーは全員でない模様。60代くらいの男性が訛りながら奥さんがまだ来ないことを周囲に謝っておられました。

しばらくして、ホテルのロビーをオロオロしながら歩いている60代くらいの女性…。周囲をキョロキョロしています。

喫茶ロビーでそれに気づいた男性が 地方訛りで叫びました煆。

「オメー、コッ!」(お前、こちらへ来なさい)

「オメー、コッ!」

その瞬間、多くの人が男性を驚いて見て瀨、飲み物を飲んでいた人は噴出し、そうでない方はニヤリ淏と致しました。

なお、西洋人客や男性のテーブル、一部のテーブルでは何の!?反応も起きませんでした。

私のテーブルでも皆がニヤリとし、名古屋人の私も周りの反応にすぐに気がつきなんともいえない空気が発生いたしました。

その後一定の緊張感があったテーブルの空気が崩れ、大爆笑が発生煜。

爆笑は周囲に飛び火。

わからない人は皆キョトン!?としています。

やがて、再び凛とした高級ホテルの空気が戻り何事も無かったように時が過ぎていきました。

オメー、コッ!
最近ご無沙汰です炅。

Hey you come on. (終了)