我が家には、
何年か前に高校を卒業した娘が2人います。
今日、施設にいる母に小さかった頃の
子供達の映像を見せるために編集をしていました。
「こんな時があったな。」「よく大きくなった。」と
しみじみ思っていました。
子供達にとって修学旅行は、
今でもかけがえのない思い出です。
時折楽しげに話していました。
だから、
セウォル号事件は、人ごとではない思いです。
悲しみに堪えながら、
子供達の最期の映像を公開した
親、家族の気持ちが痛いほどわかります。
大きく傾いた船内で、
必死に陽気に振る舞っている姿が
映し出され、次第に死を感じながらも
船内放送の指示に従い必死に絶えている
様子から、覚悟を決めて、親、家族に
最期のメッセージを送る様子が記録されていました。
彼ら、彼女達には、無限の可能性があったはずです。
悲しすぎます。
自分に置き換えてみます。
2人の娘が、このような事態に巻き込まれた
どうだろう。
出てくる言葉はありません。
でも
不慮の事故なら
呆然、愕然としながらも
時間をかけて、立ち直れるかもしれませんが、
今回の様な事件は、
どうだろう。
息絶えるだろう自分の子供の様子を
公開するということは、
悲しみを遙かに超えた憤り、
悲しみを遙かに超えた疑問
悲しみを遙かに超えた・・・
言葉では言い表せない。
そんな今回の事件は、
「お金」と
いう物によって引き起こされた。
「お金」ってなんなんでしょう。