幸村しゅう ブログ 『私のカレーを食べてください』

幸村しゅう ブログ 『私のカレーを食べてください』

「日本おいしい小説大賞」受賞作『私のカレーを食べてください』 2021年1月22日(カレーの日)小学館より発売。
申し訳ございませんが、ブログを一部閉鎖させていただいてます。読者の皆様に、人生を荒波を吹き飛ばす程の幸運が舞い降りるようお祈り申し上げます。

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 今回は親子関係について、私なりの考察を綴っていこうと思います。(初めてブログを訪れた方は、一覧から読みたい記事にお進みください)

 

 クロワッサンという雑誌に本を取り上げていただいた際、「なぜ、主人公を施設出身にしたのですか?」と質問されました。実は、カレーの次に多くの人に尋ねられた質問がこれ。

 

「母親の味が一番、ではない、おいしい小説を書きたかった」

 

 そう答えた後、私は言葉を補足しました。

 

「料理を題材にした小説は、母親から受け継いだ味をテーマにしたり、一家団欒の食卓こそ幸せの原点といった、家族愛を賛美する結論になりがちです。けれども中には、そのような内容に心が萎んだり、疎外感を感じる人もいるのではないでしょうか」

 

 他人事のように語りましたが、個人的感想を漏らしたに過ぎません。

 

 カレー小説を書いたにもかかわらず、私は母親が作ったカレーを1度しか食べたことがありません。

 普通とは言えない家庭環境で育った私は、主人公を親子の繋がりを持たない人物に設定にし、親以外の人たちが主人公を支える物語にしました。

 

 親子関係に悩む人にとって、エールとなる「おいしい小説」にしよう! 

 

 世の中には、そんな小説を必要としている人だっているでしょうし、本を読んでくださった人の心が少しでも軽くなれば嬉しい。そんな気持ちで小説を書き進めました。

 

 

 親孝行という名の呪縛 

 

 この世で一番厄介な人間関係。それは親子かもしれません。

 

 「親が嫌い…」

 

 たとえその気持ちが真実であっても、人前でその言葉を口に出すのは憚られると思います。

 その場の空気を重くし、ドン引きされ、相手によっては軽蔑されることを覚悟しなければなりません。

 

 人が大勢集まれば、中には意地悪な人やずる賢い人だっています。

 クラスに1人や2人は気が合わない人がいるでしょうし、自分に非がなくとも、傷つけられた経験は誰しもあると思います。

 

 同級生なら距離を置けばいいし、面と向かって喧嘩をしたって構いません。そんな人など放っておいて、別の人と友達になればいい。けれども相手が親となると、少々事情が異なります。


 他の人間関係と異なり、親だけは替えが効きません。だからこそ良好な関係を築きたいところですが、親の顔を思い浮かべただけで心がどんより重くなる。そんな人もいるでしょう。

 

 けれども親と相性が悪かろうと、離れて暮らしていようと、時折胸がチクチク痛みます。

 なぜなら美徳の金字塔ワードが、心の鐘を鳴らすから。その言葉とは――

 

 親・孝・行

 

 すべての人の心に深々と根付いているこの概念は、潜在意識に刷り込まれているため、私たちは親に対してネガティブな感情を持つことに、罪悪感を覚えます。 

 

 生んでくれたこと、育ててくれたことを、恩と思って感謝しなければならない。

 

 心のどこかで、親を愛せぬ自分を責め、親に感謝できない自分を責めている人もいるのではないでしょうか。

 

 

 あなたの親はどんな人ですか?

 

 詳細は控えますが、私の母は相手が最も嫌がる言葉を、最も的確なタイミングでぐさりと突き刺す、いうなれば人の心を傷つける才能に長けた人でした。

 

 戦国の世に生まれ、槍でも持たせれば、加藤清正のように歴史に名を残すひと角の人物になれたかもしれません。

 ですが幸か不幸か、昭和という時代に生まれた母は、女性としての幸せを掴もうと、結婚、出産という道を選択します。

 

 子供は親を選んで生まれてくると言う人もいますが、実際はくじ引きのような出会いから親子関係がスタートします。

 

 前世、槍を握りしめていた武将気質の母親は、残念ながら子育てに関心を示す人ではありませんでした。吉凶入り混じる箱の中から私が選んだおみくじは、罰当たりな発言で恐縮ですが、凶だったのです。

 

 親がどのような人物であれ、幼子は親の庇護がなければ生きていけません。そして親に本能的な期待を抱きながら成長します。

 

 自分の存在を肯定してほしい。

 かけがえのない存在として愛してほしい。

 

 この思いは、「この世に自分が存在しても良い」という社会的生物としての承認欲求に他なりません。

 

 ここで、想像力を働かせてください。

 

 3歳のあなたは、親から日常的に暴力をふるわれます。

 10年後、あなたは親に性的虐待を強いられそうになります。

 

 私の体験談ではありません。ですが、児童養護施設で実際に聞いた話です。

 

 ここまで極端ではないにしろ、自分の価値観を子供に押し付けたり、過保護だったり、多分に感情的だったり、子育てを放棄したり、精神的に未熟な親だっているでしょう。

 親と死別したり、離婚により片親の顔しか知らない子供も、少なからずいるはずです。

 

 状況により、親や周りの人たちから投げかけられる言動は異なりますが、人格を否定されたり、愛情をかけられなかった子供は、犬や猫だって愛がない人には懐かぬように、親に愛情を抱けぬまま大人になります。

 

 

● ひとりの未熟な人間

 

 親から自立すると、子供の交友関係は一気に広がります。様々な考えを持つ人たちに揉まれ、良くも悪くも人間というものを学び、慌ただしく仕事をこなしていくうち、いつしか親が自分を産んだ年齢を超えます。

 

 観察眼を養い、一人の人間として冷静な目で親を見つめると、今まで気づかなかった「精神的未熟さ」が、浮き彫りになって現れるかもしれません。

 

 ここでいう未熟とは、「自己中心的な視点」を意味し、そのような人は自分の経験や価値観で他人をジャッジします。

 

 映画の助監督をリタイアした後、私は東洋医学を学び、デイサービスを立ち上げました。

 高齢の方々と毎日接するうち、年齢を重ねれば多少性格丸くなっても、精神が成熟するわけではないという事実を学ぶに至ります。

 

 人生の先輩を侮辱しているわけではなく、性格が丸くなったと感じるのは、ひとえに感受性や反応速度が緩やかになったからで、日頃から自分の思考を冷静に見つめ、研鑽を重ねなければ、心というものは成熟しないのです。

 

 自分の親も、人として成長過程を歩いている未熟な人間に過ぎない。

 

 そんなことに気づくと、力関係は逆転せずとも、親子関係の天秤が左右のバランスを取り始めるようになるかもしれません。

 

 

親子関係を超越する


 年齢が上がるにつれ、人の関心は友人や恋人、新しい家族など、自分を取り巻く人間関係に移っています。罪悪感で心が痛むことはあっても、最低限の関わりをこなせばよいと、親と割り切って付き合うようになります。

 

 この頃になると、私も母のもとに生まれて良かったと思えるようになりました。ですがこの学びに至るまで、実に多くの年月を費やしました。

 

 けれども、それで心が平穏になったわけではありません。なぜなら人は夢を見るからです。

 

 今思い出しても最悪の気分になるのですが、夢の中で、私は母の首に手をかけて――、

 

 夢から覚め、茫然としました。

 

 時間とお金を費やして癒したはずの心の傷も、経験から得た学びも、結局のところ意味をなしていなかったのです。

 頭では理解したつもりでも、夢はコントロールすることができません。

 

 ここまで苦しめば、もう十分ではないか…。

 

 その後、母とは疎遠になりましたが、両親も私の気持ちに気づいているので連絡を迫ってくることはありません。

 

 自分を解放し、私は初めてあることに気づきました。

 

 私が自由な存在であるのと同様、親も自由な存在ではないか――。

 

 子供は親に最低限の優しさや、できれば尊敬に値する人物であってほしいと望みます。ですが親にだって一個人としての考えがあり、自分が生きる道を自由意思で選択していいはずです。

 

 子供の養育を放棄しようと、ろくでなしの人生を送ろうと、それは本人の意思で選択した結果であり、たとえ親子であっても、相手が何を考え、どのように行動するか、ひいてはその人が形成する世界観や、人生に介入することはできないのです。

 

 過度な期待を手放し、自由な世界へ相手を解き放つ。

 

 親の在り方に同意することはできずとも、一人の人間としてある程度理解を示せれば、学びとしては十分なのではないでしょうか。

   

 誰しも、自分の親のもとに生まれた意味を考えることがあると思いますが、私の場合、親の庇護を受けずに育ったからこそ、自立した人間に成長することができたと思っています。

 

 幼少期を顧みて、あれ以上の不幸が起こることはないと腹を括れば、何にだって挑戦することができました。職業を自由に選択し、日本一周や世界一周の旅など、自分がやりたいと思ったことに着手し、様々な経験を存分に味わってきました。

 

 そしてありがたいことに、小説の主人公同様、私も周囲の人たちの愛情に恵まれました。

 

 今だから言える結論として、必要以上に親との関係に悩み続けるより、異性であれ、同姓であれ、尊敬できる人たちと良好な関係を築いた方が、人生はずっと楽しく豊かになります。

 

 あなたは、あなたの人生を、自由に、軽やかに歩んでいけばいい。

 

 春になってコートを脱ぐように、心に抱えた荷物を軽くしませんか。

 

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

~未来の扉を開く~

 

 カレー屋で新年会を行った翌日、さて今年はどこに応募しようかとパソコンを立ち上げました。   

 「小説 新人賞」と打ち込み、サイトを開くと、結構な数の新人賞がずらずら現れます。

 これだけ新人賞があるのだから、どこかに引っかかっても良さそうだよなぁ。

 

 「こん、ばかたれが!」

 

 武田鉄矢に叱責されるまでもなく、虫のいい甘ちゃん思考は1年以内に吹き飛びます。

 

 純文学でもラノベでもない。ミステリーやサスペンスは不勉強だし…。

 そうやって絞っていくと、応募できる賞は意外と少なく、加えて私はひとつだけこだわりがありました。 

 それは受賞作品が書籍化されるということ。

 

 既に9回応募を重ね、次こそは!と、目をギラつかせて探していると――、

 

 「第2回 日本おいしい小説大賞」

 

 そんな一文が目に留まりました。

 新設の賞らしく、参考にしたくとも書籍化された作品はありません。

 

 「おいしい、つったってねぇ…」

 そういえば、昨日食べたカレーは可もなく不可もなくといった、とぼけた味だったなぁ。

 

 んっ? 

 

 デイサービスで働いていた頃、カレーの小説を書かなかったっけ?

 カレーが引き金となり、海馬の奥に埋もれかけていた10年前の記憶が蘇ってきました。

 

 慌てて押入れを探しましたが、当時の住まいから引っ越したせいか原稿は見つからず、歴代のパソコン内もくまなく探しましたが、データはどこにもありません。

 最終的に小物が突っ込んであるケースの片隅で、埃をかぶっていたUSBメモリの中に原稿のデータは残っていました。

 

 ホッと胸を撫でおろし、原稿を読み返します。生まれて初めて書いた小説なので、改善点は多々ありますが、弁護士のトヨエツというキャラクターと、主人公とトロ子(友人)との関係は良いのでは? 

 自己満足で恐縮ですが、そのような感想を抱きました。

 

 よし、おいしい小説大賞に応募しよう!

 

 意気揚々とノートを取り出したものの、はたと手が止まります。

 

 まずは、タイトルを変えなければ…。

 

 10年前の小説は、時間をかけてじっくり煮込んだ後、更に1日寝かせたカレーライスと友情を重ね合わせた物語だったので、「翌日カレー」という何とも冴えないタイトルがついていたのです。

 

 腕を組み、しばし考え、物語の最後に書かれていたセリフをノートの表紙に書き込みました。

 

 「私のカレーを食べてください」

 

 新たなる挑戦は、ここからスタートしました。

 

 

 しかし致命的な問題が、私の前に立ちはだかります。

 

 「カレー」が、ちっともおいしそうじゃない!

 

 図書館に駆け付けた私は、カレーに関する本をありったけ借り、時間とお金が許す限りカレーを食べ歩き、スパイスを買っては香りや味を自らの五感で確かめました。

 小説を読んだ方はお気づきかもしれませんが、くしくも私は、小説の主人公・成美と同じ道を辿りながら、小説を書き進めていくことになります。

 

 昨年の日記を紐解いたところ、第1稿が書き上がったのが3月9日。

 翌10日、丸1日かけて小説を読み返し、私はあまりの不出来さに布団をかぶって3日間寝込みました。

 しかし寝込みながらも必死に頭を働かせ、落胆の原因を探ります。

 

 10年前の落選は、ひとえに技術不足による稚拙さが原因でした。

 ですが長編小説を3本書き、何度も手直しを経験した私は、「今回は三人称に挑戦しよう!」と背伸びをし、それ故、主人公に感情移入できない小説になってしまっていたのです。

 

 諦めるか、布団から抜け出しパソコンに向かうか――。

 

 おおおお!

 

 雄叫びを上げながら布団を蹴飛ばし、私は小説を一人称に直す作業に取り掛かりました。

 ですが寝込んだ3日が仇となり、締め切り当日の3月31日、午後4時を過ぎた時点で1枚も印刷できていない状態。

 

 ま、ま、まずい…。

 

 郵便局を検索し、21時まで営業している渋谷郵便局に、でき立てほやほやの原稿を抱えて飛び込みました。

 しかしここで、まさかの70人待ち!そして人があふれかえる局内は、恐ろしいほどの 

 けれども私は、密より怖いものがありました。

 

 この人たち、もしかして全員ライバル?

 

 「日本おいしい小説大賞」以外にも、3月末日が締め切りの文学賞はいくつもあります。

 賞に応募する人は、必ず「消印を押してください!」というはずなので、私は順番を待ちながら、窓口に立つ人々のことを眺めていました。

 

 ところが消印のことを口にする者など一人もおらず、世の中がひっくり返りそうな時期に、呑気に小説を書いているのは自分だけだと思い知ります。

 

 小説を書き終わった達成感より、社会に1ミリも貢献していない自分が情けなく、私は忸怩たる思いで帰路に就きました。

 

 

 それから数ヶ月後、大賞受賞の連絡が来ます。

 

 結果的に私が賞をいただいたのは、10年前、デイサービスのスタッフの言葉に触発されて書いた処女作でした。

 

 私が自分のおこずかいで初めて買った本は、多くの子供たち同様「ドラえもん」です。

 ご存知の通り、小学館から出版されたマンガですが、幸運にも私は、初めて手にしたマンガと同じ出版社からデビューを飾ることができました。

 

・カレーを題材にしたおかげで、印度カリー子さんにレシピを書いていただけたこと。

 

・助監督時代は悔しい思い出しかありませんが、そのご縁で椎名誠さんに帯の推薦文を書いていただけたこと。

 

・小学館に転職したばかり編集者が、たまたま手に取ったのが私の応募作で、重版祈願と称し自腹で100杯カレーを食べてくれたこと。

 

・担当になった女性編集者からの貴重なアドバイス。(彼女の一言がラストシーンの土台を作った)

 

・そして選考委員に山本一力先生がいらっしゃらなかったら、大賞はいただけなかったと思います。

 

 デイサービス時代、私に小説を書くきっかけを与えてくれた女性は大の遅刻魔でしたが、私はスタッフの遅刻すら咎められない、器の小さいダメ経営者でした。

 

 しかし彼女が放った何気ない一言が、私の人生を大きく変えたのです。

 

 遅刻魔の彼女が天使だったと気づくまで、10年の歳月を要しました。

 

 今は気づかずとも、皆さんの周りでも奇跡の歯車は動き始めているかもしれません。

 

~今、目の前で、未来への扉が大きく開こうとしていた~

 

 小説の最後の一文で、この章を締め括らせていただきます。

 

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 次回⑨は、いよいよカレーについて綴ります。

 

 

~1次次選考すら通らない~

 

 これでもか! と情熱を注ぎ込み、自信満々で応募した作品は、まさかの1次選考落ち。

 

 ですが落ち込んでいる暇などなく、図書館に駆け付けた私は、「小説家になるには~」「新人賞を獲る!」といった類の本を借りられる分だけ胸に抱え、図書カウンターに並びました。

 

 ピッ!ピッ!

 

 学生ならまだしも、私は若くありません。本のバーコードを読み取る電子音が、針のように心を突き刺します。 

 

「この人は、私をどう思っているのだろう…」 

 

 痛いです。惨めです。どっからどう見ても、私は落伍者以外の何者でもありません。

 

 だけど本当に惨めなのは、挑戦を諦めてしまうことだ!

 

 気持ちを奮い立たせ、私はネットで情報を漁りました。

 しかし、そこに書かれた言葉は――、

 

「1次選考に落ちた人は、元々才能がないのだから、さっさと諦めた方が良い」

 

「1次に落ちるのは、箸にも棒にも引っ掛からない作品だ」

 

 うっせぇ!

 

 汚い言葉で恐縮ですが、敗者の心を支えているのは「負けん気の強さ」だけなのです。

 

 冷静になって数字に着目したところ、1次選考を通るのは応募総数の1割から2割弱。

 ということは、そこから漏れたところで、けちょんけちょんに言われる筋合いなどないわけです。

 

 鍼灸の他、私はマッサージの国家資格も持っているのですが、千本ノックの如く人の体に触れる以外、上達の道はありません。

 その過程で、治療家としての「」ができあがってくるのです。

 

 何にせよ、初期段階は千本ノックのように数をこなすことが、最も有効な上達手段なのでしょう。

 

 書いては応募し、落選したものを直しては別の賞に応募する。

 そんなことを繰り返していると、1次選考に引っ掛かるようになりました。ところが、そこから先に進めません。

 

 新人賞を突破するための講座に通うことも考えましたが、そこにお金をかける余裕はありません。

 

「小説というのは、人に教わるものではない」

 

 屁理屈とも強がりとも取れるゴタクを並べ、私は孤独の挑戦を貫きました。

 

 預金残高は減る一方ですが、戦前の画家のように食費を削って絵具を買ったり、結核で亡くなるような時代ではありません。

 

 作家になる前、ジャズバーを営んでいた村上春樹さんは、借金が返せず、道にお金が落ちてないか、奥さんと探しに行ったことがあるそうです。(そこで、1万円札を拾う執念が凄い!)

 

 道にお金を拾いに行くほど困窮しているわけでもなく、助監督をしていた頃、モンゴルで2ヶ月生活したせいか、私は物に執着しない人間になりました。

 

 モンゴルで暮らす遊牧民は、羊に食べさせる草を求めて、春と秋に長距離移動を行います。 

 そのため木の柱を数本立て、周りにフェルトを巻き付けた「ゲル」という組み立て式の家に住んでいます。

 

 借りてきたラクダと数頭の馬で引っ越しを行うので、持ち運びできる程度の荷物しか持つことができません。

 家財道具は、小さなタンスと必要最低限の食器と鍋類。衣類は夏用、冬用、冠婚葬祭用の3枚のみ。

 

 モンゴルで過ごした経験が、こんなところで生かされるとは思ってもいませんでしたが、私は少々の貧しさは苦にならず、華やかな場所や派手な人付き合いは元々苦手です。

 

 気心知れた古い友人とのみ、細々と連絡を取っていましたが、友人は私の状況を知ってか知らでか、あれこれ詮索することなく、昔と変わらぬ態度で付き合ってくれました。

 

 今思えば、上手に知らぬ振りをしてくれていたのだと思います。(ありがたや~)


 けれども、結果が出ない生活を延々と続けていると、坂道を転がる雪球が徐々に体積を増すように、胸の中で悲しみとも、苦しみとも言い切れぬ惨めさが、どうしようもなく膨らんでくるのです。

 

 さりとて、どれほど行き場のない気持ちを持て余していようとも、人様と足並み揃えて年越しを迎えます。

 新年会と称し、幼馴なじみとランチを食べようと寄ったお店が、運悪くまさかの定休日。

 仕方なく隣のカレー屋に入店した翌日、思わぬ方向に人生が動き始めます。

 

 次回⑧は、奇跡に救われる完結編です!

 

 

~挑戦者の心を折りに来るもの~

 

 小説を書いている人に限らず、イラストや漫画など絵画全般、音楽で身を立てようとしている人、スポーツで結果を出したい人、等々。

 

 すべての挑戦者のを阻むもの。

 

 そのひとつは年齢でしょう。

 

 肉体のピーク、才能のピーク、商業的ピーク。迫りくるタイムリミットを前にして、血反吐を吐くような努力を重ねている人も多いと思います

 

 25歳までに、30歳までに何とか結果を出したい!

 

 そんな涙ぐましい努力を続ける挑戦者の心を、バッキバキに折りにくる最強の

 それは収入格差、ぶっちゃけお金です!

 

 才能は目に見えませんが、通帳の残高はハッキリ見えます。

 

 30歳までは、周りもあたたかい目で応援してくれるでしょう。けれども30歳を過ぎた途端、周囲の目つきが変わります。 

 応援に使われていたエネルギーが将来を心配するエネルギーに取って代わり、親は「人並の収入を得られるまっとうな仕事に就きなさい!」と、口酸っぱく言うようになるのでしょう。(ちなみに私は30歳前に転職しました)

 

 けれども誰よりも将来に不安を感じているのは、聞く耳を持たぬ振りをしている本人なのです。

 そうこうしているうちに、同級生との収入格差、社会格差はますます開いていきます。

 

 そしてある日を境に、友人たちが結婚する時期を迎えます。

 自宅に届いたきらびやかな招待状を前にして、憂鬱になる人もいるかもしれません。ご祝儀を用意しようにも懐事情は厳しく、出席したところで周りとの格差を嫌というほど思い知るからです。

 

「今、何してるの?」

 

 明るく声をかけてくる友人が疎ましく、独身の人は「自分には結婚する資格などない」と、が萎えてしまうかもしれません。

 

 私の話に戻りますが、既に才能がないのは嫌というほど知っています。加えて仕事を辞めてしまったので、通帳の残高は減る一方。

 

 これぞ、まさに背水の陣!

 

 そんな生活を続けていると、10円、100円のわずかな金額が気になり、次第に人と会うのも、外へ出るのも億劫に感じるようになります。

 

 しかしながら実に不思議なもので、人間はもがき苦しんだ末、なす術が尽きると、悟りに似た境地に達します。

 

「周囲と自分を比べるから、苦悩が生じるのだ」

 

 極端な話、誰とも会わず、やりたいことに夢中になって打ち込んでいれば、格差に苦しむことはありません。出かけなければ服もいらず、粗食の方が体が軽く、頭も冴えるのです。

 

 社会的判断は抜きにして、世の中には気が済むまで自分自身と向き合いたいと望む人もいると思います。また、そういう生き方しかできない人もいるのではないでしょうか。

 

 周りに背を向け、トンネルを掘るようにへ進んでいく

 暗闇の中を歩きながら、私は光を求めるように希望の言葉に手を伸ばしました。

 

 

カーネル・サンダースは、フライドチキンのレシピを売ろうとしたが1009回断られた。 

 

シルベスタ・スタローンは、1000回オーディションを断られた後、「ロッキー」の脚本を書いた。 

 

・ディズニーランドを作る際、ウォルト・ディズニーは銀行の融資を302回断られた。

 

・「ハリーポッター」を書いたJ・K・ローリングの小説が受け入れられたのは、13社目だった。

 

 優れた技術書より、自分より惨めな話の方がよっぽど心を鼓舞します。

 

 「結果が出るまで書き続けてやる!」

 

 気丈な覚悟で、私は執筆を続けました。

 

 初めこそ、落選結果にショックを受けましたが、テニスのラリーのように応募を繰り返していると、1週間の落ち込みが3日に縮まり、しまいには9%のストゼロ(アルコール飲料)500mlでリカバーできるほど、神経が図太くなってきます。

 

バッチコイ!

 

 最低でも、J・K・ローリングの13回の壁を破るまで応募を続けよう。

 

 そして私はJ・K・ローリングの如く、ローリングストーンの如く、坂を転がり落ちていきます。

 

 

 次回⑦は、一次選考すら通らない現実について綴ります。

 

 

「私のカレーを食べてください」応募から受賞、書籍化までの道のりを綴らせていただきます。

 

~諦めなければ、道は開ける~

 

 何がしかの賞に応募した原稿が一次選考を通れば、文芸誌や特設サイトに名前が載ります。 

 けれども本屋の片隅で、自分の名前が載っていない文芸誌を握り締め、茫然と立ち尽くした経験を持つ方も、中にはいらっしゃるのではないでしょうか。

 

・大賞を取るのは自分の小説だ。

・力試しのつもりで臨んだが、一次選考くらいは通るだろう。

 

 応募するときは、誰しもそう信じています。

 

 人目を気にしながら文芸誌を開き、自分の名前がどこにもない時の気持ちは、悔しいとか残念などという生易しい言葉で表現できるものではありません。

 渾身の努力が水の泡と化し、己の才能のなさに絶望し、生きていることさえ否定された気分になります。

 

 胃の奥から込み上げる苦汁を飲み下し、涙をこらえ、歯を食いしばりながら帰路に就く。

 酒を飲んでも苦しみは薄まりませんが、飲めない人は尚、苦しいかもしれません。

 

 そんな経験を繰り返すうち、いつしかが折れます。

 

 将来への不安から、挑戦することを諦めてしまう人も多いのではないでしょうか。

 

 20代の頃、私は映画の助監督をしながら、シナリオを書いては賞に応募していました。

 けれども嫌というほど落選を繰り返した末、夢を諦め社会人として地に足が着いた生き方をしようと腹をくくりました。

 

 ● 受賞した小説が生まれたのは、今から10年前

 

 「日本おいしい小説大賞」に『私のカレーを食べてください』を応募したのは、2020年3月末日。

 その10年前、私は介護予防デイサービス兼鍼灸院で働いていました。

 

 介護予防デイサービスというのは、高齢者の方たちに機能訓練(体操)やリハビリを行う施設です。

 そこで私は毎朝1時間、高齢者の方たちの前で体操を行ってました。

 

 ある昼休み、1人のスタッフが、

 「晴耕雨読じゃないですけど、私は鍼灸治療をしながら、小説を書きたいんですよね~」

 そんなことをつぶやきました。

 

 「ふーん」

 

 シナリオライターを目指しながらも夢破れ、その結果、転職した私はスタッフの言葉に耳を貸そうとしませんでした。

 

 けれども、いつまでも胸の中にモヤモヤが残り、就寝しようとベッドに横たわった瞬間――、

 

 「あれこそ、私の夢だ!」

 

 心の奥に封印していた夢が、再び目覚めてしまったのです。

 

 けれどもそんな夢が芽生えたところで、私はシナリオは書いたことはあっても、小説を書いたことは今まで一度もないのです。

 書きたい気持ちはメラメラと燃え盛っていましたが、何を題材にすればいいのかさえ分からない始末。

 

 当時の私は、デイサービスの仕事が終わった後も鍼灸治療を行い、土曜は朝から晩まで治療に従事していたため、自分の時間などまったくありません。

 疲労とストレスから箸も握るのも億劫になり、スプーンを往復するだけで事足りるカレーライスに心身ともに救われている状態でした。

 

 「カレーの話なら書けるかも…」

 

 バカバカしいほど安直な理由で、私はカレー小説を書き始めました。

 

 小説を書きあげ、郵便局から原稿を送った後、ふと空を見上げたら、が無性に美しかったことを覚えています。桜が咲いていたということは、3月31日にどこかの新人賞に応募したのでしょう。

 ですが桜以外の記憶がないので、一次選考にも引っ掛からなかったのだと思います。

 

 結果こそ出ませんでしたが、書き上がった小説は、20代に書いたものとは明らかに内容が異なっていました。

 

 この経験を機に、私の意識は徐々に変わり始めます。

 

 「作家になるとか、新人賞を受賞する以前に、創作するための時間が欲しい!

(皆さんの中にも、自分の時間を切望している人が、大勢いらっしゃると思います)

 

 デイサービスと鍼灸院で働きながら、私は映画や小説では到底学ぶことができない「生身の人生」というものに触れさせていただく機会を得ました。

 

 人間は、自覚することなく年を取ります。

 そしてそのスピードは、自分が思っている以上に速い。

 

 人生の荒波に翻弄されるが如く、ただ流される人生では情けない。

 やりたいことをやらずして、後悔と言い訳だらけの人生も嘆かわしい。

 

 「自分のやりたいことに、思いっきり没頭したい!」

 

 夢破れて転職したにもかかわらず、人生についてたっぷり学ばせてもらった私は、小説を書きたくてたまらなくなりました。

 

 考え抜いた末、自分の人生を再構築すべく、私は仕事を辞める決断を下します。

 

 せっかくだから広い世界を見てみようと、日本一周、世界一周の旅を経験した後、小説の執筆に取り組みました。

 

 意気揚々と執筆に励みましたが、望む結果はそう簡単に出るはずもなく、落選の日々が続きます。

 
 次回⑤は、挫折から転職するまで過程を綴ります。
 

~ブログに来てくださった皆様、心よりお礼申し上げます~

 

 拙書「私のカレーを食べてください」をお読みくださり、誠にありがとうございました。

(お読みになってない方も、どうぞ続きをご覧ください)

 

 
 私は物心ついた頃から読書が好きでした。いつも本を読み終わると――、
 
 「作者はどのような思いでこの本を書いたのだろう」 
 
 そんなことを考え、悶々としておりました。

 それ故、作者自身が文庫本のあとがきを書いていると、嬉しくなって熱心に読みふけったものです。  

 

 それが、このブログを書き始めた理由です。

 

 「私のカレーを食べてください」を、より一層楽しんでいただくため、ネタバレ混じりの思いを書き綴っていこうと思います。
 

● テーマ曲について

 誠に勝手ながら、この小説にはテーマ曲があります。

 

 「誰がそんなもの決めたんだ?」

 

 あいすみません。私でございます。

 本をパタリと閉じた後、この曲をお聞きください。

 

 

 

 

 

 「さぁ行くんだ。その顔を上~げて~!」

 

 顔を上げれば、今までと違った風景が見えてくるかもしれません。

 

 胸に希望の光を宿した成美のように、銀河鉄道999に乗り込む鉄郎のように、未来に向かって走り出す高揚感を感じていただければ幸いです。

 

 

● 諦めるという言葉について 

 

 諦める――。

 その言葉を投げ捨てた私は、もはや無敵といえた。(p.261参照)

 

 無敵というのは、あなたが最強になることではありません。

 「あきらめるもんか!」と腹をくくると、敵は周りの誰かではなく、昨日の自分になるのです。

 

 261ページにある「諦める」という字は、常用漢字なので、本来ふりがなを振る必要はありません。

 ですが世の中には、何らかの理由で、学習環境が整わなかった子供時代を過ごされた方もいらっしゃるのではないかと思います。

 

 この本を手に取ってくださったすべての方に、「あきらめない」というメッセージを届けたい。

 

 「諦める」という漢字につっかかってしまう方にも、「あきらめない」ことの大切さを理解していただけるよう、敢えてここだけはふりがなが振らせていただきました。

 

 

 ● 最後の一行

 

 キリストの有名な一説に、叩けよ、さらば開かれんという言葉があります。

 深く学んだわけではありませんが、「行動すれば、可能性が開ける」ことのたとえなのでしょう。

 

 トヨエツの事務所に辿り着いた成美は、ドアこそ叩きませんが、インターフォンを押します。

 

 成美がここに来ようと思った「意志」「覚悟」「行動力」こそ、未来の扉を開けるとなっていることは、読者の皆さんもお気づきでしょう。

 

 この小説の最後の一行、

 「今、目の前で、未来への扉が開こうとしていた。」

 

 この言葉は、主人公の成美だけに向けられた言葉ではありません。

 

 この本を最後までお読みくださった読者の方々に対し、著者として何を差し出すことができるか、考えた末の一行なのです。

 

 毎日膨大な本が出版される昨今、本屋には様々な書籍があふれ、小説だけにジャンルを絞っても、ひとりの人間が読みこなせる量をはるかに超えてしまっています。

 そのような状況の中、この本を手に取っていただけたのは、わずかながらでも目に見えないご縁があったからかもしれません。

 

 そのことに感謝し、誠に僭越ながら、『最後までお読みくださった方の心の扉が、未来に向かって開きますように――。』

 

 最後の一行は、そのような祈りを込めて書かせていただきました。

 

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。