8月は二回も面会に行けた。

手紙のやりとりは向こうが週に一通。
私も週に一通。
いまはこれで充分。

面会の日取りなどは一切手紙には書かない。
むしろ行けるかどうかはわからないから期待はしないでと書いてあるから
面会に行くといつもびっくりしている。

8月はどうしても二回は行きたかった。
毎日暑い日が続き
身体が心配で無事なことを確認したかった。

今の世の中でこんなアナログなことが体験出来るって
待ち人ならではかもしれない。
今は遠くにいる友人にでさえ
連絡はいつでもとれるし
テレビ電話で姿も見れる。
FBだのLINEだの投稿記事を見れば
どんな生活をしているか察しがつく。

それがどうだ。
無事かどうか確認するのでさえ
あちらからの本人による手紙が来なければ
何もわからない。
そして日にちにもタイムラグがある。

ビルマで戦死したおじいちゃんの葉書を
終戦記念日の日に出して見た。
何かオッサンからの手紙に重なるような気がした。
お国の為に戦った軍人さんと
悪い事して刑務所に入っている人とでは
大違いでものすごく失礼なことなんだけど
どちらも
限られたスペースの中で
小さな字でこちらに伝えたい事を必死で書いてる。
おじいちゃんも
戦地で相当ひどい生活をしているだろうに愚痴は書かず
家族の安否を気遣い
お父さんが帰って来るまで
元気で一生懸命に頑張って下さいと子供たちに宛てている。

オッサンの手紙にも
私の身体の安否確認と
私への励ましの言葉だ。
いつもいつも手紙の最後に
「笑顔で頑張れ」と書いてくれている。

何でもが機械まかせで
情報が行きかう中
手書きの手紙の有難さ。
身に染みます。