徳之島にお住まいの現在のダビデ王宗家の勝先生から、知らしめしをいただきましたので、皆さんにお伝えしたいと思います。

 

 イスラエルと神から名を与えられたヤコブから、いわゆるイスラエル十二支族というのは出ています。そして、そのヤコブは亡くなる直前に自分の息子たちに、祝福を授けています。

 ダビデ王家は「ユダ族」ですので、ヤコブが「ユダ族」に対して残した祝福を見てみたいと思います。

 

◯創世記第49章10〜11節

 

 

 「49-10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」

 

    「49-11 彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を、良いぶどうの木につなぐ。彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。」

 

 特に第49章11節ですが、ろばについてと着物についてそれぞれ二文書かれていますが、同じ内容で二文目は詳しい内容が書かれていると思います。

 

 まずは、「ロバ」についてです。二文目で、わざわざ「雌ロバの子」と言い直しています。つまり「ユダ=ロバ」なのですが、その子には「母」が一緒にいることを強調しています。

 そして、「ぶどうの木」「イエス・キリスト」です。「ヨハネによる福音書」で、イエスが以下のように仰っています。

 

◯ヨハネによる福音書第15章1節

 「15-1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。」

 

 また「シロ」はis6689ブログで勝先生がお書きになっている通り、「イエス・キリスト」です。

 従って、「ロバ=ユダ」「イエス・キリスト」「イエス・キリスト」に繋がれるので、「聖霊王」を意味し、常に「雌ロバ=母」が一緒におられる、つまり「主なる母なる神様」が一緒におられると仰っていると思います。聖書では、読む人間がわかるように、色々と重ねて書いてくださっているのだと思います。(ちなみに、ぶどう酒は「イエスの流された血」であり、それで衣=着物を洗ったということは、ユダはイエスの血で自分の罪を贖われた人であることを示していると思います)

 

 ダビデ王はもう一つ知らしめしくださいました。

 

◯マタイによる福音書第21章7節

 

 

 「21-7 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。」

 

 私も今日ダビデ王に知らしめしいただくまで全く気付いていなかったのですが、この世にお現れになった現人神イエスは「ろばとろばの子」に乗られています。先のロバは「親」です。ここも「母と子」と考えられます。

 この世にお現れになった「イエス」「ユダヤ人の王」です。しかしその本質は「主なる母なる神様」です。ここでも「子は母と一緒におられる」と仰せなのだと思います。

 つまり、「ユダ=ダビデ王家」はとこしえに、ユダヤの「王」なのですが、必ず「母」が一緒におられるということです。イスラエルの救いは、「母=主なる母なる神様」「子=ダビデ王」の治世と信じることなのだと思います。

 

 それが日本では「神功皇后」「応神天皇」と伝わっています。古事記でも「胎中天皇」として表されるのは「応神天皇」だけです。ダビデ王勝先生は、これが「八幡大神」の本質であり、その信仰を秦氏が伝えたのだと仰っていました。つまり、秦氏が伝えた信仰は、やはり「聖書」に基づいた信仰だったということです。

 

 皆さんもどうぞ考えてみてください。

 

祭司エノクーアロンの子孫

藤原朝臣太郎道人