やはり、中国に「言論の自由」は存在しないということなのでしょうか?
https://news.infoseek.co.jp/article/afpbb_3129491/
>【AFP=時事】米メリーランド大学(University of Maryland)の卒業式で、中国人の女子留学生が母国の大気汚染や政治を否定的に米国のそれと比較するスピーチを行ったため、ソーシャルメディア上でこの女性に対する批判が集まっている。
中国生まれの楊舒平(Yang Shuping)さんはメリーランド大学の卒業スピーチで、中国で育った後に米国に来たことは「清新な空気」を吸うようなものだったと述べたのを皮切りに、「空港の外で息を吸って吐いた時、自由を感じた」「空気はとても甘くて清新で、本当にぜいたくだった」などと語り、悪名高い中国の大気汚染や、同じく息苦しいほどの政治的発言に対する抑圧と比較するような言葉を並べた。
楊さんのスピーチを捉えた動画は、後にユーチューブ(YouTube)に投稿されると、インターネット上での反応は迅速かつ辛辣(しんらつ)なもので、楊さんに対し中国語と英語の双方で米国にとどまれと非難するコメントが現れた。
中国の国営メディアも悪意あるコメントを引用し、スピーチに対する批判を内包した報道が行われた。人民日報(People's Daily)の英語版ウェブサイトには「偏見を抱えた卒業スピーチ、メリーランド大学の中国人学生に批判」という見出しの記事が掲載され、最も閲覧数の多い記事となった。
一方、中国国営英字紙・環球時報(Global Times)に掲載された記事によると、楊さんは批判の高まりを受けて謝罪したという。だが結果的に、中国には批判的な言動が存在する余地がほとんどないとする楊さんの指摘を証明したような形となった。
【翻訳編集】AFPBB News
(太字は引用者による)
→私自身、このニュースを見たときに真っ先に思ったのが
「言いたいやつには言わせておけ」
くらいの度量を、なぜ多くの中国人は持てないんだろう?
ということでした。
率直に言って、個々の中国人を見ていると私たち日本人よりも高い能力を持つ人が少なくありません。
が、そうした人たちであっても「言論の自由」というものの意味を本当に理解しているんだろうか?
と感じることはしばしばあります。
楊舒平さんが「アメリカの自由」に感激しようが、しまいが、ハッキリ言って、どうでもいいことではありませんか。
別にアメリカに限った話ではなく、近代民主主義の基本理念というのは、以下のヴォルテールの発言(といわれるもの)にあります。
私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。
I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.
楊舒平さんの「発言」に賛成だろうが、反対だろうが、そんなことはどうでもいいんです。
彼女のそうした発言を許さず、一方的にパッシングしているところが
ああ、中国には未だ民主主義が育つ気配はないんだな
と思われてしまうというのが問題の本質です。
勿論、この「事件」を知った多くのアメリカ人(の特に知識層)も、中国のそうした反応については、そのような「評価」をくだすでしょう。
そして
私がこんな発言をすることができるのも
ここが日本で、私たち日本人だからです。
ここに現在の「中国の限界」が見えるように感じました。
https://news.infoseek.co.jp/article/afpbb_3129491/
>【AFP=時事】米メリーランド大学(University of Maryland)の卒業式で、中国人の女子留学生が母国の大気汚染や政治を否定的に米国のそれと比較するスピーチを行ったため、ソーシャルメディア上でこの女性に対する批判が集まっている。
中国生まれの楊舒平(Yang Shuping)さんはメリーランド大学の卒業スピーチで、中国で育った後に米国に来たことは「清新な空気」を吸うようなものだったと述べたのを皮切りに、「空港の外で息を吸って吐いた時、自由を感じた」「空気はとても甘くて清新で、本当にぜいたくだった」などと語り、悪名高い中国の大気汚染や、同じく息苦しいほどの政治的発言に対する抑圧と比較するような言葉を並べた。
楊さんのスピーチを捉えた動画は、後にユーチューブ(YouTube)に投稿されると、インターネット上での反応は迅速かつ辛辣(しんらつ)なもので、楊さんに対し中国語と英語の双方で米国にとどまれと非難するコメントが現れた。
中国の国営メディアも悪意あるコメントを引用し、スピーチに対する批判を内包した報道が行われた。人民日報(People's Daily)の英語版ウェブサイトには「偏見を抱えた卒業スピーチ、メリーランド大学の中国人学生に批判」という見出しの記事が掲載され、最も閲覧数の多い記事となった。
一方、中国国営英字紙・環球時報(Global Times)に掲載された記事によると、楊さんは批判の高まりを受けて謝罪したという。だが結果的に、中国には批判的な言動が存在する余地がほとんどないとする楊さんの指摘を証明したような形となった。
【翻訳編集】AFPBB News
(太字は引用者による)
→私自身、このニュースを見たときに真っ先に思ったのが
「言いたいやつには言わせておけ」
くらいの度量を、なぜ多くの中国人は持てないんだろう?
ということでした。
率直に言って、個々の中国人を見ていると私たち日本人よりも高い能力を持つ人が少なくありません。
が、そうした人たちであっても「言論の自由」というものの意味を本当に理解しているんだろうか?
と感じることはしばしばあります。
楊舒平さんが「アメリカの自由」に感激しようが、しまいが、ハッキリ言って、どうでもいいことではありませんか。
別にアメリカに限った話ではなく、近代民主主義の基本理念というのは、以下のヴォルテールの発言(といわれるもの)にあります。
私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。
I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.
楊舒平さんの「発言」に賛成だろうが、反対だろうが、そんなことはどうでもいいんです。
彼女のそうした発言を許さず、一方的にパッシングしているところが
ああ、中国には未だ民主主義が育つ気配はないんだな
と思われてしまうというのが問題の本質です。
勿論、この「事件」を知った多くのアメリカ人(の特に知識層)も、中国のそうした反応については、そのような「評価」をくだすでしょう。
そして
私がこんな発言をすることができるのも
ここが日本で、私たち日本人だからです。
ここに現在の「中国の限界」が見えるように感じました。