「アメリカで天皇処刑が議決されたのにマッカーサーがそれを撤回させた」みたいな書き込みをネットでは時々見かけますが、結論からいうとそのような事実はありません。

事実としていうなら、アメリカの方針はマッカーサーの来日以前に、少なくとも皇室は「当面は」存続させるということで、ほぼ、確定していました。

アメリカの歴史学者で、マッカーサー研究の権威でもあるマイケル・シャラーの著作に『マッカーサーの時代』という本があります。

これによると、トルーマン大統領も、日本側の皇室に手をつけないでほしいという要望に対して、8月10日の閣議で

>これは大きな譲歩を意味するものであるが、この申し出を受け入れるつもりである

→と説明しています。

(マイケル・シャラー『マッカーサーの時代』P180より)

また、我が国における極東国際軍事裁判の研究者である戸谷由麻氏の『東京裁判』(みすず書房)P65からも

>天皇の訴追にかんする政策決定の権限が形式上も実質上もマ元帥になく、むしろその上官にあたる米国ならびに連合国の指導者にあったことにもとめられる。また、実際問題として、太平洋全域の安全保障を左右しうる極東最大の重要事件に関する政策決定を、トルーマン米大統領を含む各国指導者が一将官 -それがたとえマッカーサーとはいえ- に委託したとは常識的にも考えにくい。

→同書P84より

>右の回想録のうち、マッカーサーが裕仁天皇を訴追しないよう自国政府に進言したのは、これは事実である。

>しかし、元帥の警告をうけた米国政府側がそれにもとづいて裕仁免責の方針を決定したというあきらかな証拠は見あたらない。
むしろ一次資料はその反対を示唆している。

→いかがですか?

これが日米のしかるべき研究者の見解です。

ちなみにマッカーサー自身は

>東条一派を自分の管轄下の軍法会議で即刻裁判にかけたい

(『東京裁判』P44より)

という意向を持っていましたが、それすら本国政府から否定されています。

トルーマン大統領はアメリカの基本方針を「イギリス、フランス、アメリカ、ソ連の四か国共同の法廷により日本側の戦犯を裁く」としており、マッカーサーという現地責任者が、その方針を左右するなどという事はできるはずもなかったんです。

実際、極東国際軍事裁判の訴追内容も各国検察官による合同形式をとっていました。

マッカーサーには確かにある程度の発言力はありましたが、いわれているほどの強大な権力はなかったし、アメリカ本国で天皇処刑が議決されたのだとしたら、それを突っぱねることなどできませんでした。

それが歴史の事実です。