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発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、ヨットまで
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

15、旅でのいろいろ総括 – 660

spain-3.jpg
スペインで野宿をした場所。歩きも終わりに近づき、自然の中に包まれていたいとシートを敷いて寝ただけであった。



 これである新聞に書いた10回にわたる冒険記は終わる。


10、自然とのふれあい

歩くことは人間の原点

 自然の中にいるとなぜか落ち着いた。
そこには規則のようなものがあり、それは裏切らないし、それを守っていれば死ぬことはないと思ったからだ。

 それでも厳しい自然もあった。オーストラリアでのことだ。
夕方、夕食の準備をして食べようとしていたら、黒い雲が来たかなと思った途端、突然強い風でテントは滅茶苦茶。
テントポールは折れてしまうし、シートが飛んでしまいそうなので、体を広げて横になり、夕食を守った。
その内、嵐が止むだろうと思ってそのまま寝入っていると今度は体が突然、胃けいれんだ。
テントのシートが風で冷たくなり、シートが当たっている空腹には耐えられなかったのだ。
その時はとにかく胃に食べ物を入れなければと思い、砂が入っている食べ物を食べたものだった。

 砂漠ではその他、暑さが摂氏46度~50度になり、オーストラリアの白い鳥、カッカドゥも木から落ちると言われていた。
もちろん、自動車のボンネットでは目玉焼きが出来るほどだ。

 パキスタンの砂漠でもすさまじい砂嵐に遭った。
風が強く前に倒れ掛かっても倒れないのだ。もちろん目をまともに開けていられなかった。
その風の強弱もあり、風が止まったように突然なると走り出してしまったのだ。

 アメリカの中央とか、東側のトルコを歩いた冬はの時期は寒かった。
温度がマイナス20~30度のトルコの東側は海抜が高く砂漠化していて木がなかった。
だから、当然影が出来ず、雪の白の世界だった。それで、その白さで目が痛いのだった。
更に、風が強い日はその風を受けた側のズボンはカチカチに凍るのだった。

 普段、雨の日は、ポンチョ(雨具でビニール)を着ても内側が汗で濡れるのでバックパックだけ防水してポンチョを着ない時が多かった。
しかし、一日中そういう状況だと体が冷えて大変だった。それだけではなく、精神的にも
参った。
それは自分で自分が惨めに思えてしまったのだ。
また、雨の日に家畜を乗せた車がすれ違うと家畜の糞などがそのまま水しぶきと一緒に飛んで来たのであった。
豚、牛、鶏どの車がすれ違うのは嫌なものだ。また、綺麗な先進国でもこれだけは同じであった。
その他、雨では前の日の濡れた乾いていないズボンやシャツをまた朝着るのにすごく決意がいった。

 しかし、自然はやさしい女神でもあった。
雨がニュージーランドで1週間続いた。毎日、「今日も雨か」「早く止めよ」と空に向かって独り言であった。
気持ちが重いまま1週間がたった日に、すばらしく晴れ渡り筆舌に尽くしがたい綺麗なマウントクックを見ることが出来た。
その時に「あ!今までの1週間はこれを見せるための苦労だったのか」と思ったら気持ちがすっとした。

 スペインでの夏も暑い。
毎日、ほとんど休み時間も取ることなく10時間~12時間歩いていた。
一日の最後は疲れた体にムチを打ち休む所を探した。ここは毒虫や毒ヘビもいないのでシートだけで寝たのだが、見つからなかった。
それは乾燥した気候なのでサボテンの様な小さな植物が多くシートを敷いてもトゲがシートを破るからだ。
この時も「ここもだめか」「ここも駄目か」と独り言を言いながら、長い間探した。
クタクタになりやっと見つけた所が写真の場所でシートを敷いて腰を下ろし、前を見たら、すばらしい夕日であった。
「私はこれを見るためにここまで苦労をして来たのか。ここが夕日を見るのに一番良い所でここまで来いと言っていたのか」と思ったのだ。
そうしたら涙が止まらないのであった。30分は泣いていた。本当に自然は母のように優しい。

 人は私に「何故歩くのか」とよく聞かれた。
そんな時は、「これが人間が出来る一番自然な形で世界を見れるからだ」と答えた。
交通機関を使ってでは気づかない小さなものや見落としてしまうものなどが歩くことによって見える。
それは物だけではなく人々の心までもがよく心にしみて分かるように思えるのだ。

 電車やバスや飛行機の旅は便利ではあるが、多くのものを見落としているのも事実だ。
それは景色だけではないように思えるのだ。

 歩くことが人間の原点である。

「終わり」


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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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