次の3人のために、書きました。
1.『プライドを言い訳にカッコわるい自分を隠す』というダサい行為を辞めて、
自分を100%出せて、人にも社会にも自分にも影響力のある存在になりたい人。
2.教科書やTOEICがつまんなくて英語の勉強は続かなかったけど、
深みのある英語を話してる魅力的な自分にはなりたい人。
3.『心の壁より内側を晒さないことに必死になる』というダサい行為を辞めて、
誰にでも自分から心を開ける、心がイケメン/美人になりたい人。
出逢えてよかった。全部「英語×読書」で解決します。
この記事ではその方法の全貌がフルオープンされていますが、
そもそもなんのために?ボクがお話するのかを先に明かそうと思います。
早く「英語×読書」のすごさが知りたい!というなら、
読み飛ばしてしまってオーケーです。
突然ですが、
ボクが幼稚園の時の心の壁の高さは日本一でした。
幼稚園にある小さい体育館でクラスのみんながおゆうぎを踊っている中、
ひとり立ち尽くしてなにもしなかったことを覚えています。
逆に自己主張強くない?という説もありますが、
「みんなで楽しく踊る」という自分を出せずに棒立ちしていました。
ただ、踊らなかったんじゃなく、踊れなかったんです。
なんか、カラオケで一人だけ歌わない人の心理に近い気がします。
「歌いなよー」と言われるほど、歌いたくなくなる、みたいな(笑)
そして、これは今でも写真に残っていますが、
集合写真を撮る列に混ざることが出来ませんでした。
どこに写っているか?といえば、
先生に抱っこされて写っています。
決して、ぼーっとしてて集団行動が出来ないタイプというわけではなく、
「みんなと写真撮ろうよー」と言われれば「ヤダ!」と言って
先生の元へ駆け寄るタイプの心の壁でした。
天下一 心の壁の高さ武道会(幼稚園の部)なるものがあれば優勝ですよね。
知りませんが(笑)
そして、
小学校へ上がって2年生になり、事件が起きました。
町探検の班決めというイベントでした。
リーダーが何人か選ばれた後、
どのリーダーの班に入りたいかを自主申告するというものでしたが、
例によってボクだけ取り残されました。
入りたかった班が定員に達してしまい、
他の班もどんどん埋まっていったのです。
クラスメイトに注目される中、
イライラした先生に急かされたボクは、泣き出してしまいました。
とても悔しかったのを覚えています。
自分を出したいのに、出せなかった。
このことが、ボクを変えるきっかけとなりました。
変わりたいという思いを胸に、少林寺憲法を始めたのです。
心と体が強くなっていき、3・4年生くらいになると、
周りの反応が変わって来ていることに気がつきました。
頼りにされることと、おそれられること。
という以前にはなかった反応がありました。
そして、家では明るかったボクの性格が、
学校でも外に出てくるようになっていました。
その時の口癖は「大丈夫だw」でした。
人が不安だったり恐怖だったりを抱えていたら、
「いや、大丈夫だってw」と安心させることが好きでした。
それは、中学・高校と上がっても変わらずに、
「テストヤバい!どうしよ」と不安な人に頼られれば、
自分の勉強をほっぽってでも教えていました。
自分に対しても、少しずつでしたが、
「自分出すこと」への不安を大丈夫へ変えていきました。
子供時代・学生時代をひとことで表せば、
人や自分の不安を”大丈夫”に変えてきたこと
がテーマだったと思います。
しかし、これまで培ってきたものが大学受験で崩壊します。
あまり勉強に熱心な高校ではなかったので、
ほぼ一人で孤独に受験勉強することになり、
どんどん自分の殻にこもっていきました。
後期日程試験で合格した国公立大へ入学しましたが、
自分の心の壁より内側を晒せない状態になっていました。
プライドを言い訳にして、
カッコわるい自分を隠そう隠そうと、
いつも肩に力が入った状態でした。
そして、2学期制の前期が終了して成績が出ると、
ほとんどの単位を落としていることが分かりました。
カッコわるい自分を見せられず、
人に頼ることができなかったからです。
休んだ授業のノートも借りずに授業はわからなくなっていくし、
レポートや試験もボロボロでした。
そして夏休みが明け、
さらに心の壁が高くなる決意をしてしまいました。
すべての授業で毎回一番前の同じ席に座り、
絶対に休まないという決意をしたのです。
カッコつけすぎだし、挫折しそうですよね(笑)
案の定挫折した上に、
一番目立つ席を陣取っていたものだから、
休んだり来たりというカッコわるいこと(?)ができませんでした。
そして、親には申し訳ないと思いながらも、
その学期の単位をすべて諦め、
春休みが明けるまでニート同然の日々を送りました。
膨大な時間を、たくさんの本を読んで過ごしました。
本を読んでいない時間はひどく苦痛なものでした。
人と会わず、誰からも必要とされないでいると、
人の心はどんどんダメになっていきます。
時期も冬でしたし、とにかく心細く、
今でも一番この時期がツラかったと思っています。
そして2月に入ったころ、自分を変えるためにパチンコ店でバイトを始めました。
パチンコはやったことがなくて、なんとなく不安だったし、
給料が良いからきっとツラいだろうと考えました。
不安でツラそうなことを大丈夫にできたら、
きっと自分を変えられる。
と思っての行動でした。
案の定、精神的にも肉体的にもめちゃくちゃツラかったし、
入れ替わりの激しい職場で何度も辞めたいと思いました。
ここで辞めたら一生変わらないと思いながら踏ん張っていると、
自分の中に大きな自信が生まれていることに気がつきました。
そして、後から入って来る後輩達に仕事を教えながら、
彼らの不安を大丈夫に変えることもまた、ボクの大きな楽しみでした。
ここでまた、「自分を出す」ことへの不安を
少しずつ大丈夫に変えていきました。
ただ、パチンコをやる人がけっこうな割合でトイレの後に手を洗わないことは、
どうしても大丈夫にはなりませんでしたが。
パチンコをやりたくない大きな理由です(笑)
そして、今。
幼稚園の時に心の壁の高さが日本一だったくらいに、
小学2年の時にクラスの前で悔し泣きして武道を始めるくらいに、
大学の時に人に頼れず半年学校へ行けなかったくらいに、
誰よりも自分を出したいと思いながら、
誰よりも自分を出せずに悩んできボクだから、
人の不安を大丈夫に変えるのが何よりの生きがいなボクだからこそ、
「英語×読書」という最強の自分を変える方法を通して、
当時のボクと同じように心の壁をぶち破りたい人を、
自分を出しても大丈夫に変えていきたいから。
そして、ボクの想いに共感してくれる、
1.『プライドを言い訳にカッコわるい自分を隠す』というダサい行為を辞めて、
自分を100%出せて、人にも社会にも自分にも影響力のある存在になりたい人。
2.教科書やTOEICがつまんなくて英語の勉強は続かなかったけど、
深みのある英語を話してる魅力的な自分にはなりたい人。
3.『心の壁より内側を晒さないことに必死になる』というダサい行為を辞めて、
誰にでも自分から心を開ける、心がイケメン/美人になりたい人。
といった人と共に、その目標を叶えていきたいから。
という理由で、ボクはあなたに
「英語×読書」についてお話したいというわけです。
さて、とっても長くなりましたがw、
ここからお伝えする内容が本編です。
お伝えしたい項目をざっと書き出したところ、
少なく見積もっても29個はありました。
とても全部をこの記事に収めるのはムリがあります。
なので、最も大事だと思われる内容に厳選して、
「英語×読書」によって上で掲げた3つの目的が
叶えられるその理由をお伝えします。
ほんとに29個あるの?
という方のために、実際に載せておきました。
ざっと挙げてもこれだけの理由があると
肌で感じていただけるはずです。
・読書だけでは自分を出せなく(抽象度を降ろせなく)なっていく。
・「英語が使える」こと自体が自信(エフィカシー)につながる。
・「言語の習得=人格の獲得」
・英語は文化的背景的に外交的な人格を獲得しやすい。
・自分を出せない(抽象度を降ろせない)ことで悩んでいるなら、文化的背景的に英語の習得で手に入る人格はその改善の手段となりうる。
・英文の無意識なストック量(インプット量)が臨界点に達せば話せるようになる。
・TOEICの英文で学べば、TOEICみたいな人になる。
・英語を使っているときは「英語用の自分」を出しているから、「日本語用の自分」は出さないままでも自分を変えていける。
・英語が話せるのは、英文の無意識なストックが臨界点に達した時だから、それまで本を読み続ける必要がある。
・英文の無意識なストックが臨界点に達するまでは、一人で殻に閉じこもったままでも英語を習得していける。
・英会話学校のように、フレーズを覚えて意識的な英文のストックを増やす方法だと、「英会話学校に通いました」という感じのワンパターンな英語を喋る人になるけど、英語の本を読みまくって無意識な英文のストックを増やす方法だと、「自分の心で」無意識にピックアップされた文をチョイスできるから、自分だけの自分らしい英語を話せる人になる。
・英語は会話の中でジョークや冗談を言って(抽象度を下げて)相手を楽しませる文化があるから、そこにあやかって人格の獲得ができる。
・英語の人格で身につけた「自分を出す」身体感覚は、日本語の性格にも影響する。
・「自分を出したい!」という気持ちがある限り、英語の「自分を出せる」人格の方がより自分らしいと感じるから、日本語の人格が変わっていきやすい。
・力むことで発声する日本語は肩に力が入りやすいけど、声帯をリラックスさせて発声する英語の身体感覚を習得すれば、リラックスしながら話せるようになる。
・日本語の人格は日本の文化的な圧力を受けてできている。
・プライドも意識も高い努力家じゃないと「自分を出せない」ことで悩まないし、プライドも意識も高いまま努力で自分を出せるようになる唯一の方法が英語の習得。
・素振りの練習をしていれば必ず球が打ちたくなるように、英語をインプットしていれば必ず実際に話してみたくなるから、話さなきゃいけないhave toではなく、want toの自然な動機が手に入る。
・英語と読書の互いのマイナス部分が打ち消しあって大きなブラスを生む。
・抽象度の高低差が、その人の魅力や影響力の正体。
・英語が使えると人生に海外との接点ができて、自分の世界が広がって行く。
・英語を習得すると、入ってくる情報が変わる。
・英語は世界一簡単な言語だったから世界の共通語として広まった。
・英語は世界でもっとも簡単に性格を変えることができる。
・語彙力とは単語量ではなく無意識にストックしてる文の量のこと。
・自分を出せずに孤独感を感じてるほど読書と相性がいい。
・言語は「無意識にインプットした文の量」に左右されるから、海外に住むよりも英語で本を読んだ方が実は効率がいい。
・読書は「抽象度を上げる」ことが目的で、英語は「抽象度を降ろせる人格の獲得」が目的。
これらを一通り眺めただけでも、
「英語×読書」の強烈な影響力を肌で感じられたはずです。
それではさっそく、スタートです。
目次
1:英語と読書が互いにマイナス部分を打ち消しあって大きなプラスを生む
2:「言語の習得」とは人格を獲得すること
3:言語は「無意識にストックした文の量」が物を言う
4:最後に
1:英語と読書が互いにマイナス部分を打ち消しあって大きなプラスを生む
実は、あまり指摘されていない、
英語の勉強だけしたとき、読書だけしたときのデメリットがそれぞれにあります。
それは、
英語だけでは「抽象度が上がらない」こと、
読書だけでは「抽象度が降ろせなくなる」こと。
この”抽象度”という言葉について、お話します。
抽象度とは、視力の良さ・視野の広さ・視座の高さといった、
「物事を俯瞰できる能力」のことを言います。
同じものを見たり、聞いたり、同じことをしていても、
その人の見えている次元の高さによって、
得られる感覚や情報の量と質は段違いになります。
自転車の乗り方で言えば、いちいち
「右足のペダルに重心をかけ、これくらい回転したら左足に重心を移して……」
なんて細かいことを考えながら乗ってる人はいません。
なんとなく「こう!」という感覚で乗っています。
その「こう!」という感覚には、
とても言葉で表せないほどに膨大な量の情報や感覚が集まっていて、
”自転車の乗り方”という1つの概念となっています。
膨大な情報の一つ一つは抽象度の低い要素ですが、
それらを組み合わせていくことで、理解の抽象度が上がっていきます。
たとえば、パズルのピースひとつひとつを眺めて
「何の絵だろう?」と考えることは、
抽象度の低い視点から見ているので、結局よくわかりません。
けど、それぞれを組み合わせていって、ひとつの絵が完成すると
「そういうことだったんだ!」とわかります。
これは、高いところから全体図が見える視点を手に入れたということです。
多く場合、パッケージにある完成図を見ながら進めると思いますが、
この完成図に照らし合わせてそれぞれのピースを見れる視点が、
抽象度の高い視点という感じです。
この完成図が載ったパッケージを手にいれようぜ!というのが、
「抽象度を上げようぜ」の意味するところです。
例え、雑ですがw
また、ポケモンで言うところの
洞窟で秘伝マシンのフラッシュを使わずに手探りで歩いている状態が、
抽象度の低い全体像が見えていない状態です。
まずはフラッシュを手に入れようぜ!ということです。
さらに例え、雑ですがw
そして、
抽象度の高いところでは、すべてがつながっています。
たとえば、テニスをやっていて掴んだコツみたいなモノは、
卓球やバドミントンでもわりと通用します。
ラケットの振り方は「こう!」と体感的にもっている感覚を、
他のラケットスポーツに合わせた動きへと抽象度を降ろしてくればいいのです。
スポーツ万能な人、というのは
この体を使った抽象度の上げ下げが上手な人のことです。
たとえば、武井壮さんのスポーツ理論がそうです。
彼は小学5年生のとき、
「なぜ毎打席ホームランを打てないんだろう?」
と疑問に思っていました。
そんなとき、家でキャッチボールしてるところを
ビデオカメラで撮った映像を見ると、
自分が思っていた投球フォームと全然違っていることに衝撃を受けました。
それからは「自分の体をイメージ通りに動かせること」を根本原因として、
実際にその練習を重ねていくと、
野球以外の初めて見るスポーツでも見た通りにできるようになりました。
なりましたっていうか、彼はそう言っています(笑)
そして、彼はスポーツというものを、
「自分の体をイメージ通りに動かすこと」と捉えているので、
水を飲んだりドアノブを回したりといった普段の動きすべてがスポーツであって、
自分は24時間スポーツの練習をしている、と言っています。
んなアホな!w、
と思うかもしれませんが、
彼の視点の抽象度で体を動かす全ての動作を見れば、
高い次元ですべてつながっている、ということです。
今までお話ししてきた、
自転車の乗り方だったり、ラケットの振り方だったり、
イメージ通りな体の動かし方だったり、
人間は「こう!」というような”感覚”でものを理解をしています。
つまり、
人間は言語の抽象度でものを理解していない
ということです。
それを人に伝えようとテレパシーで人の頭に飛ばせればいいのですが、
出来ないので、言語の抽象度に降ろして説明するしかありません。
抽象度を降ろして言語になった具体的な方法やヒントなんかを
たくさん組み合わせて抽象度を上げていくことで、
人は何かを習得したり使いこなしたりできるようになっていきます。
それは、英語の習得も同じです。
英語はそれ自体が言語なので、言語の抽象度で理解しようとしがちです。
すでにお気づきかもしれませんが、
ここが大きな落とし穴となっています。
つまり、
英語の勉強だけでは、なかなか抽象度が上がらない
ということです。
では、言語を通して抽象度を上げる方法なんて都合のいい方法があると思いますか?笑
はい。
もちろん、読書です。
本とは、著者が頭の中に描いた抽象度の高い世界を、
言語の抽象度まで降ろして表現したものです。
それを読むということは、
言語を通して著者の描く抽象度の高い世界を
自分の頭の中で再現しているということです。
それは小説でも実用書、ビジネス書でも仕組みは同じです。
読書の目的は「抽象度を上げる」こと。
だから、英語で本を読めばいいのです。
そして、英語を習得する最大の目的とはなんでしょうか?
次の章でがっつり説明しますが、
「抽象度を降ろせる人格の獲得」がその目的です。
まず、この記事の最大の目的である「自分を出せる」ことを、
抽象度の視点から言えば「抽象度を降ろせる」と表現します。
「〇〇がしたい!」という気持ちがあるとします。
気持ちというのは抽象度の高い概念です。
その気持ちを、実際に具体的な行動にまで
抽象度を降ろしてきて、やっと〇〇することができます。
こうしたい、ああしたい、をすべて抽象度を降ろして実際にできているとしたら、
その人は誰が見ても「自分を出せている」人ですよね。
読書は抽象度を上げる行為ですが、
降ろすことなく上がり続けた抽象度はやがて、
自力ではなかなか降ろせなくなっていきます。
でも、また後から説明しますが、
英語の習得によって「抽象度を降ろせる」自分になっていくことができます。
つまり「英語×読書」とは、
読書によって上げた抽象度を、
英語によって降ろせるジェットコースターのような関係です。
このとき、上げ下ろしした抽象度の高低差が、
その人の魅力や影響力の正体です。
例えば、同じセリフ「努力が大切だ」って言ったとしても、
イチロー選手が言った場合と29歳のニートが言った場合では、
受ける印象や影響力は雲泥の差ですよね?
イチロー選手が言った場合では、
一般人には想像もつかないくらい抽象度の高い情報が、
「努力」という言葉の中に詰まっています。
この時代に「努力」や「気合」といったフレーズは
使い古されたチープな抽象度の低い言葉になってしまいがちですが、
だからこそ、この抽象度を降ろす高低差がでかくなるので、
大きな魅力や影響力となって相手に届くのです。
イチロー選手が言ったかどうかは分かりませんがw
2:「言語の習得」とは人格を獲得すること
人はものを考えるとき、言葉を使って思考しています。
というのも、ボクが勝手に「そうだ!」と主張してるんではなくw、
昔から言語学の世界では「サピア=ウォーフの仮説」っていう理論からスタートして
「言語は思考に影響を与える」
「人は言語を通して世界を見ている」
といった主張が繰り返されています。
この考え方を「言語相対性仮説」って言いますが、呼び名はどうでもよくて、
使う言葉によってその人の思考のパターンが変わるよ!というのは
自己啓発でもお馴染みのあれですよってことです。
そして「あの人はどんな性格ですか?」と聞かれて考えるのは、
その人がどんな行動をして、どんな発言をする人間かということですよね?
つづく・・・
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