天国から俗世界の子孫に会いに行ける日
ディズニーの映画でリメンバー・ミーというアニメ作品がある。仏教の話を始めるにあたりいきなり西洋の話ですが、この文節以後、映画のネタバレがあるので読みたくない方はこの文節はスルー願いたい。
ひいお爺ちゃんはロックスターだったようですが、音楽に没頭するあまり家族を犠牲にしひいお婆ちゃんが不幸になり家族の絆が壊れたそうで、この家系では音楽は禁止で、そのおかげで代々平和に暮らしたという冒頭から始まる。主人公の孫はそんな家系の習わしからこっそりと音楽に目覚め、こっそりとギターを練習し憧れのロックスターを真似ていた。とある日偶然にもそのロックスターが噂のひい爺さんだったことが判明する。そして街のコンテストで優勝すればロックスターの道が開かれようというタイミングで、主人公に悲劇が訪れ死後の世界に迷い込んでしまうことになる。
私を忘れないでという世界共通語
あの世のご先祖さまたちは久しぶりに俗世界へ訪れられる年に一度の楽しみな日、あの世とこの世を繋ぐゲートでは俗世界の子孫が天国の人々を思い出しているかチェックが行われる。俗世界で子孫が「故人の写真を飾っている」事を確認できるとゲートを通過して子孫に会いに行けるのだ。
子孫も年齢を重ねたり、あまり良く思われていなかったりして写真を飾っていない、そんな場合は俗世界へはいけない。そして俗世界にいる子孫が老いて亡くなってしまったり、俗世界で自分を忘れたり、覚えている人がひとりもいなくなれば、故人は全世界からいなくなって本当に消滅して消え去るのだそうだ。天国でみんなに親しまれていたギター弾き語りシンガーさんは、俗世界での孫娘さんもついにいなくなり、主人公の目の前でそのギターと帽子を残して世界から本当に消滅してしまうのだった。
僕がお坊さんから聞いたお話し
僕も僕なりに葬儀や法事に参加した際にはお坊さんの説法を耳にする機会がよくある。故人を時折思い出してあげてください。命日でも、お盆やお彼岸でも、何かの折には思い出してあげてください。誰かが故人を思い出して心の中で故人はあなたの中で生き続けるのです。という話を教えてもらった。お墓でも仏前でも、ご自宅に飾った故人の写真に一輪添えて、もしくは思い出の土地を訪れたときにでも手を合わせ、懐かしむ事で個人は僕の心の中で今も僕と一緒にこの世界に存在し続けています。
お墓は遠くて故人に会いにいけない
ご先祖代々のお墓に故人が眠っていると、都会に出てきた、転勤で離れてしまった。あるいは年齢を重ねて長距離移動は難しい、車を手放してお墓へ行く手段がない。などなかなかお墓参りも難しくなってきます。
面白いもので故人が眠る「お墓」の他に、以前は仏壇の中に個人の位牌いわゆる魂の入ったネームプレート、だったり遺影とまではいかなくとも、祖父母の場合は故人の写真が飾っているケースもよくある。これを孫や子供に伝えるにあたって、クラウドコンピューティングを例に例えた話を聞いた。
お墓はまさにオリジナルのメインサーバーで、そこにリモート通信で接続してデータ閲覧するのに、スマホで写真のバックアップデータにアクセス閲覧する様子が、仏壇の位牌や遺影だったりする。そう考えると今時のサイバーお墓な、遠距離地域からZOOM等のオンラインお墓参りだってお墓やお寺が行なっている正式な「お墓参り」に他ならないと思えてならない。
死んで仕舞えば全てが無に帰すのだろうか
「俺が死んだらお墓はいらない」「葬儀は金の無駄だ直送にしてくれ」「誰も呼ばなくて良い」ましては「その辺に山に撒いてくれ」という話が増えているように感じる。さすがにその辺に撒いてしまったら法律違反で、遺骨は法律に従って決められた許可の出ている場所に埋葬しなくては遺族がお縄になってします。死んだ人間にとってはもう終わってしまったことで、死んだ後のことはわからないのかもしれないが、残された遺族はこれからもまだまだ人生は続く。きちんと故人とのお別れをしないことには、気持ちの整理もつかないし、後悔だって残るかもしれない。つまり葬儀屋お別れの会は「残された遺族が故人とのお別れ、気持ちの区切りをつける儀式:なのである。事故や事件で故人に最後の面会が叶わなかったとしても、遺族の最後のお「さよなら」を言って個人に別れを告げられるのです。子供たちに迷惑はかけられないと思われますが、子供たちが僕らにお別れの「さよなら」を言える時間を作ることは残していく人々に大切な時間だと思いますよ。そしてたまには僕のことを思い出して「あのジジイ話がくどくてなかなか終わらなかったよな」なんて笑いながらお花の一輪でも飾って欲しいのものです。

