最近知った言葉「経験格差」

経験格差なる言葉を最近知った。旅行、習い事、塾、高級グルメに海外旅行。経済力があればあるほどに子供が様々な経験に触れられるということの様だ。
 NET界隈で見かけたのは「ボーイスカウト」に長期休みごとに連れられて、自然を体験尽くしたという父親と子供のお話し。プログラムに従い、予定通りの経験に触れ、予定通りの自然を眺め、予定通りのゴール施設に辿り着き、予定通りに解散するという話し。
 確かに「予定どりの定型の自然」に触れた様でありながら、全ては人工的な自然体験ではある。

無計画の行き当たりばったり

 知り合いで旅行へ出かけるときは日にちとホテルのみ決め、当日のルートや目的地、天気予報さえ見ないで出かける。という人がいる。僕は前調べして「どこにどんなお店や観光地」があるのか。そしてその旅行で「何を体験」して来るのかを綿密に、時間と天気を調べて出かける。
 知り合い曰く、雨が降れば雨が降ったなりに、現地で気の向くままに行動して、想定外のお店に出会い、想定外の経験をするのが楽しくてこれぞ旅行の醍醐味だという。
 僕は「憧れのあの場所」や「やってみたかったあのアクテイビリティ」を体感するためにその地を目的地にして旅行に出かける。でも、そう言われてみれば「予定通りの人工的な経験」なのかもしれない。

自然の中で出会う経験

 実は僕は旅行をあまり得意とはしない。旅行というものには数えるほどしか行ったことがない。若い頃は特に「釣り」や「カヌー」そして「スキー&スノーボード」にはまり、この時期はあの海岸でカラフトマスが釣れる。どこそこの源流で最近ヤマメがよく上がるらしい。どこそこのスキー場では最近大雪が多く、しかも人が少ない。天気図と睨めっこしながら、今週末は車で4時間走ろう。なんて目的地を探していた。
 カヌーや釣りでは、目的のポイントまで車を降りてから数時間歩くなんてことがよくある。ついでと言ってはなんだが、貴重な山菜がみつかったり、思いのほかキノコが大量に顔を出していたり。そういう時のランチは自前の焼肉にプラスの豪華な食材が増えたり、海へ釣りに出かけるときは釣れれば、サバやカレイを焼いたり、釣果ゼロの時は最悪カップ麺で終わる日もある。
 まるっきり釣れない時は仕方ないのでその辺をウロウロしていると、河原で化石を見つけてしまったり、なぜかコーヒーを淹れるのが上手くなってしまったり。とりあえずやり尽くせない程のアクティビリティは自然の中にはある。
 なのでアウトドアの達人たちは必然的に料理の腕が上がる。料理だけが目的の現代のキャンプブームとは目的がかなり違う。

お金はないけど時間はある

 子供が小さかった頃にお金のかかる遊びは年に数回しか行けないので、夏休みの自由研究ついでに、河原で石を拾ってきて、絵の具で魚や動物の絵を描いたり、その石たちで水槽さながらの額縁を作った。とりあえず遠くへ出かけたいので子供を助手席に乗せて、空港へ出かけ頭の上スレスレをでかい飛行機が飛び立つのを興奮しながら、ひたすら飛行機の写真を撮ってみたり、海鮮丼を食べるためだけに車を2時間走らせて1,000円以下で食べられるお店に向かった。
 時間のある時は前日からテレビドラマ「北の国から」のDVDを見せて、その回のロケ地を巡って、ドラマと同じセリフと喋りながら同じポーズで写真を撮った。

お金は使えばなくなるという経験

 ある時はサーモンといくら丼が食べたいけど、限定グッズも買いたい。というリクエストに兄弟二人で5千円を預けて二人で相談しながら使う様に指示した。
 下の子は蛾が強いので欲しいものを譲らない。上の子が仕方がなく欲しいグッズを1個減らしたがそれでもサーモンといくら丼の予算がなくなった。いくら何でもお昼抜きはかわいそうだ。そこで、建物内の別の場所に「サーモンといくら丼」のお弁当があることを伝え、そして館内のベンチでふたりで「サーモンといくら丼弁当」を食べた。

お金じゃ買えない経験

 そんなひもじい経験を幾度となく通り抜けて大人になった子供たち。上の子は同じ様な境遇のパートナーと出会い、同じ価値観を共有して暮らしている。下の子はお金さえあればなんでも解決できるという価値観と、価値観の違いでぶつかり合いながらも、日々喧嘩の絶えない日々を過ごしている。
 これからの時代だけではないと思うのだが、どんな経験を積めば人は幸せに暮らせるのだろうか?
 この問いは僕が幼かった頃の昭和の時代から繰り返されている。どんな時代になろうとも、どんな価値観の世界になろうとも、幸せの価値とは経験によるのではなかろうかと、かれこれ半世紀考えている。