矢野目源一と言う人は、ボクは牧神社の「ヴァテック」(74年)で初めて知った。
ある日、ぶらりと立ち寄った古本屋で見つけたのが写真の本。
表紙。
扉。
奥付。
大正13年とあるのが目を引く。
矢野目源一の名前とアンリ・ド・レニエの名前で、迷わず購入した。
ご覧のようにかなり傷んでいるので売り物にはならないが、めったに目にすることのない貴重な古本だと言うのは断言できる(多分・・笑)
春陽堂の「佛蘭西文學の叢書」シリーズの1冊として刊行されていて、巻末広告を見ると、ユイスマンス(長い間 Huysmans「ユイスマン」の表記だったが「ユイスマンス」表記になったのは昭和50年代になってからとのこと。大正13年の広告表記ではユイスマンス表記だ~!)とネルヴァルの名前があった。
びっくりもいいところで、日本の翻訳事情の懐の深さが分かる。
ネルヴァルの作品は「夢と命」と題されているが、これは、「『夢』は一つの第二の人生である」の冒頭の言葉が有名な現在「オーレリア」として知られている作品のことだろう。
ユイスマンスの「大伽藍」なんて、昭和41年の桃源社「世界異端の文学」で初めて日本語で読めるようになったと信じていたのだ。
もっとも「近刊」とあるので両著が実際に刊行されたのかどうかはたしかじゃないが・・
レニエは、矢野目さんの解説によると「彼(レニエ)は實に佛蘭西翰林院學士(アカデミー・フランセーズのこと)の錚々たるものとしてアナトール・フランスとともに現代佛蘭西文壇の双璧である」。
「ド・ブレオ氏の色懺悔」はこのときが初訳だが、他の人は訳していないようだ。
戦後の48年に、操書房というところから復刊されていて、この版なら探せば見つかるかもしれない。
読み返したので、内容を記してもいいんだけど、タイトルから類推できると思うので止めておく。
といって、エロものではない(念のために)。
代わりに矢野目さんの紹介文を掲げておく。
「時として篇中の男女交歡の嬌態の風情(旧字体は「青」が「靑」となる)があまりに生々と描かれてある條に醉ふものはこれを優雅なる好色文字と思ひ看做すほどである。(中略)
路易(ルイ)王朝の宮廷に集まるワトオ振りの佳人才子が歡樂を追窮して生戀死戀さまざまの情痴の世界に悲喜劇展開するこの物語はレニエの作品のうちで最も傑出した最も興味の深い作品である」。
種村季弘さんのエッセイに、吉行淳之介から聞いたのだったか引用したのだったかの文章があって、立ち読みしたので記憶が残っている。
戦後の矢野目源一は「軟文学」をやっていたそうで、「モダン日本」の編集者だった吉行淳之介さんが原稿をもらいに行ったところ、長いこと待たされたのち玄関に現れた矢野目さんの顔にはキスマークがいっぱいくっついていたというのだ。
その当時の矢野目源一は50歳前後だと思うが、「なにもここまで見栄を張ることはないじゃないか」というのが吉行さんの感想だったらしい。(自分でくっつけたのが一目瞭然だったということ)。
ところで、「検閲」というのがある。
昭和16年の内務省による検閲が有名だが、実は明治時代からあったのだ。
明治の大日本帝国憲法は表現の完全な自由を認めていなかったので、明治26年に出版法が布告され制度としての検閲が始まった。
昭和の検閲とは比較にならないほど緩やかなものだったようだが。
この大正13年版でも、痴情(多分、時代的に今から見ればたいしたことのない表現だと思うが)と思われる箇所が伏字になっている。
読めるようにしたので類推してくれ(笑)
多分女2人が抱き合ってキスをしているという程度の文章だと思うが、伏字を想像力で読むとかえっていやらしくなるだろう(笑)
操書房の復刊本では、この伏字箇所はどうなっているんだろう??
そんなわけで今日の音楽はフロリダの10代バンド Tasmanians の Baby だ。
全然いやらしい歌じゃないんだけどね(笑)