みやたにです。
2月28日(木)からの湊スタジオ公演、
「コントラスト 守るべきもの」はご覧いただけましたでしょうか?
当劇団の岩井主宰と、
褒めまくっても信用されないかも知れませんが、
初日に客席側の隅に立って客目線で観て感じたことがあり、
まず美術ならびに音響・
「あれが普段の稽古場だった雑居ビル(
と見まがうばかりの舞台設営です。
それはそれは見事な空間が実現しており、お話し(台本)

それよりなにより、
何が素晴らしいかというと、僕自身が「役者(の仕事)とは何か?
という最近ずっと考えているテーマに、
ぴたりと答えを見出した気がするような演劇だったことがあります
それは、役者さんと言うのは言葉を運ぶのではなく、
言葉を運ぶ形を借りて、気持ちを運ぶのだ。
というものです。
(え?当たり前?)
言葉だけなら台本に書いてあります。小説にも書いてあります。
だから言葉の意味は文字で十分把握できるのです。
にもかかわらず舞台を(映画を)観る意味は何か?
それは役者さんが運んでくれる気持ちを見たいからではないでしょ
そうすると、例えば外国の演劇を観ていると、
(日本語でも歌舞伎などを観ていると、)
喋ってる言葉は殆どぜんぜん聞き取れなかったりするのですが、
プログラムには、あらすじが4行くらい書いてある。
「幼いころ母に捨てられたソフィアは、
偶然に母エミリーとの再会を果たしながら、
母が自分に気づいていないことを知る。
ソフィアは自分の存在を母に伝えたい一心で…」
ところが、あら不思議。
再会の場面を観ていると、
なんとなくこういう場面なんだろうな、
程度の理解でも途中からぐんと胸につまされる。
それが北朝鮮語だろうと、ペルシャ語だろうと、
伝わるモノは伝わる。
それは役者さんの心の揺れが伝わるから。
だから役者さんは台詞ではなくて気持ちを伝えている。
ということを、
それが役に入って行くということなのだろうし、
良いホンは役者さんの気持ちの揺れを上手に引き出してくれる。
ということなのではないでしょうか?
いや、コントなのに第4幕(20分×4のオムニバスです。)
では胸が詰まりました。
いや、ほんとうに、フランス語で演ってても、感動しただろうな。
(
という感覚を強くおぼえました、とても「よい舞台」です。
2日目、3日目、4日目と上って行ってることと想像します。
みやたに