| 最近「牛丼」ならぬ「焼き牛丼」というものがはやっているそうです。早速食べに行ってきました。とは言っても、元祖のチェーン店は大阪では日本橋に一店舗しかないそうで、その上行列もできるようなのでとても行く気になれません。 |
昭和30年頃だったでしょうか?
三種の神器ということが言われていました。
戦争の深い傷跡も徐々に癒え、社会全体が少しずつ豊かになってきて、ゆとりができたら欲しい家電製品、豊かさの象徴とでもいうか、その3種が……。
冷蔵庫、洗濯機、カラーテレビ。
今日はその中のひとつ、洗濯機の思い出をお話ししますね。
その昔は、洗濯はタライと洗濯板(まな板を一回り大きく、薄くした木の板で、スレートの屋根のように、波形に削ってありました。ちょうどガリガリな胸からあばら骨が透けて見えるようなその様子に、口の悪い人は貧乳の女性を指して、洗濯板などと言ったモノです)で、大きな洗濯石鹸を使って(ミヨシと彫ってあったかな?)、こすり洗いをしたものです。
一枚一枚手洗いですから、たいそう時間も手間もかかります。
水を含んだ衣類は重くなりますから、けっこう重労働です。
洗濯機はその重労働から、主婦を解放してくれたすばらしい家電製品でした。
今のように乾燥機などはついていませんし、脱水機能もありません。
洗濯機に付属のローラーに洗濯物を挟んで、ハンドルを回して絞るという、今から考えると原始的なものでしたが、随分楽になったと有り難く感じたモノでした。
でも、ちゃんと均等に挟むように気をつけていないと、部分的に分厚くなりすぎてローラーが回らなくなるんですよね。
力一杯ローラーを回すと、反対側からちょうどポパイのマンガで、自動車にひかれた人がペラ~~っとなるみたいに、ペラ~っとなった洗濯物が出てきます。
それを、パンパンっと振るって、絞りじわを伸ばしてから中庭の物干し竿に干すのです。
一番下の段で干し終わった竿を、高いところにある竿受けに、先がY字型になった長い棒を使って移しますが、左右順番に一段ずつ上げて行かないと、傾きが大きくなりすぎて、最悪せんたく物もろとも落っことし、せっかく洗った洗濯物が泥だらけになってまた、洗い直しに。

シェリーに口づけ
チャラん家
持ってかえろ♪
この宇宙(そら)のしたで
三種の神器ということが言われていました。
戦争の深い傷跡も徐々に癒え、社会全体が少しずつ豊かになってきて、ゆとりができたら欲しい家電製品、豊かさの象徴とでもいうか、その3種が……。
冷蔵庫、洗濯機、カラーテレビ。
今日はその中のひとつ、洗濯機の思い出をお話ししますね。
その昔は、洗濯はタライと洗濯板(まな板を一回り大きく、薄くした木の板で、スレートの屋根のように、波形に削ってありました。ちょうどガリガリな胸からあばら骨が透けて見えるようなその様子に、口の悪い人は貧乳の女性を指して、洗濯板などと言ったモノです)で、大きな洗濯石鹸を使って(ミヨシと彫ってあったかな?)、こすり洗いをしたものです。
一枚一枚手洗いですから、たいそう時間も手間もかかります。
水を含んだ衣類は重くなりますから、けっこう重労働です。
洗濯機はその重労働から、主婦を解放してくれたすばらしい家電製品でした。
今のように乾燥機などはついていませんし、脱水機能もありません。
洗濯機に付属のローラーに洗濯物を挟んで、ハンドルを回して絞るという、今から考えると原始的なものでしたが、随分楽になったと有り難く感じたモノでした。
でも、ちゃんと均等に挟むように気をつけていないと、部分的に分厚くなりすぎてローラーが回らなくなるんですよね。
力一杯ローラーを回すと、反対側からちょうどポパイのマンガで、自動車にひかれた人がペラ~~っとなるみたいに、ペラ~っとなった洗濯物が出てきます。
それを、パンパンっと振るって、絞りじわを伸ばしてから中庭の物干し竿に干すのです。
一番下の段で干し終わった竿を、高いところにある竿受けに、先がY字型になった長い棒を使って移しますが、左右順番に一段ずつ上げて行かないと、傾きが大きくなりすぎて、最悪せんたく物もろとも落っことし、せっかく洗った洗濯物が泥だらけになってまた、洗い直しに。

シェリーに口づけ
チャラん家
持ってかえろ♪
この宇宙(そら)のしたで
秋になると、日暮れがたの勝手口前に七輪を出して、日をいこし、魚焼き網にサンマを載せて焼く姿が、あちこちに見られました。
家の中で焼くと、サンマの煙がこもってしまって、なかなか抜けなかったからなのですが、そういえばあの頃、換気扇なんて、あったのかしら。
お風呂の焚き口は、勝手口のそばにあり、煙突が外に出ていましたし、そもそも家中すきまだらけでしたから。チャラの日常 おちゃらか ホイッ♪ 止まない雨はないんだよね? チャラカの日記

家の中で焼くと、サンマの煙がこもってしまって、なかなか抜けなかったからなのですが、そういえばあの頃、換気扇なんて、あったのかしら。
お風呂の焚き口は、勝手口のそばにあり、煙突が外に出ていましたし、そもそも家中すきまだらけでしたから。チャラの日常 おちゃらか ホイッ♪ 止まない雨はないんだよね? チャラカの日記


小学生の頃、朝一番。温度計のメモリが10度を下回ると、当番の生徒が用務員室へ。バケツ一杯の石炭を受け取りに行きました。
ストーブの横にある扉を開き、マッチの大箱から一本取り出し、くしゃくしゃにした紙に火をつけて中へ。その上に木切れを少々入れて燃えだしたら、石炭用のシャベルや火ばさみを使って石炭をくべて。(確かここまで当番の生徒がしていたような)
下級生のクラスには、上級生のお兄さんお姉さんたちが、ストーブ当番に行っていました。
学校の建物も木造なら、床も窓ガラスの枠も木造で、寒かったけれど、この石炭ストーブの上にアルミのお弁当箱を乗っけて暖めてる子なんかも居ましたっけ。
次々に登校してくる同級生は、授業の始まるまで、ストーブの周りにあつまって、あたりながら井戸端会議ならぬストーブ端会議。
男子と女子は、なぜか仲が悪かったなぁ。
わたしの学校だけなのかな。
無いヒマつぶし
ロスムの世界
すみれの日記
どっから来たんだろ、どこ行くんだろ