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【公式】SCB昭和文化放送

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今回ご紹介するのは、内山田洋(うちやまだ・ひろし)とクールファイブの「わかれ雨/不知火の女」です。(「不知火」を「しらぬい」と読むことを知らず、「不知火 読み方」と“ググった”ことは内緒。)

このレコードは、最近中古レコード業界に参入し始めた某古本チェーン店の店舗で購入したのですが、店頭で見かけた瞬間に、「あ、このレコードはクールファイブの2作目か3作目の作品で、1969年の発売だろうな」とわかりました。実は…細山田さんの推測はほぼ正解!(「昭和に胸キュン!せいやとレトロ好き(2021年1月26日O.A.)」のナレーション風に←だれが分かるんだ)このレコードはクールファイブの2枚目のシングルで、1969年の7月発売だと後に調べて分かりました。

では、なぜ細山田は正しい推測をすることができたのか。その答えは、ジャケット写真の衣装に隠されています。

勘の鋭い方ならお分かりかもしれませんが、この衣装はクールファイブの鮮烈なデビュー曲、「長崎は今日も雨だった」のジャケットのものと同じなのです。この衣装は、クールファイブがまだ長崎のキャバレー、「銀馬車」に出演していたころの一張羅だったそう。「長崎は…」であれだけのヒットを飛ばしたにも関わらず、新衣装すら作ってもらっていなかったなんて、昭和の歌謡界はシビアですね。

 先ほどから申している通り、このレコードはクールファイブの「長崎は…」に続く二枚目のシングルでありました。「長崎は…」は‘69年度の年間ランキング8位を獲得するほどの大ヒットだったわけでありますから、二枚目のシングルであるこの曲も当然注目されたのでしょうが、残念ながら、あまりヒットすることはありませんでした(最高順位週間32位)。結構いい曲なんですが、ちょっと湿っぽすぎたのかな。B面の「不知火の女」の方が明るくて、「長崎は…」に近い感じだからそっちをA面にすればもっと売れたのではないかな。なんて、歌のこともロクにわからない餓鬼が言ってみたりしてみます。まぁ、題名が「わかれ雨」ですからね。ジメジメ+ジメジメといった曲名ですからね。ハイ。

 ただ、この次の3枚目シングル、「逢わずに愛して」では巻き返して週間1位を獲得するのですから、グループの人気自体は続いていたのでしょう。(やっぱり「わかれ雨」は湿っぽすぎたのではないか…しつこいか)

 曲の解説文を書くことにも読むことにも慣れていないので、締め方がいつも分からなくなるのですが、この辺で終わりにしたいと思います。クールファイブの曲はサブスク配信されていないものが多いので、なかなか聴きづらいかもしれませんが、気になった方はぜひレコードやCDを手に入れて聴いてみてください。

 あ、最後に。今回も恒例の自作キャバレーミニチュアでレコードの写真を撮ったのですが、緑の衣装を着たクールファイブの姿がそこにあると、拙い自作キャバレーが、まるで長崎の伝説のキャバレー、「銀馬車」になったような感じに…なりませんね。さようなら。

 

ジャケット

「『コモエスタ赤坂』はカルトムードコーラスではないだろう!さては、この若造何もわかっていないな!?」と思われる読者諸賢もいらっしゃるだろうが、歌手名をよくご覧いただきたい。貴殿のご存知なのは「ロス・インディオス」の歌う『コモエスタ赤坂』ではないだろうか。ところがこの曲は「マハロ・エコーズ(と矢野ゆう子)」という、あまり耳なじみのないグループが唄っている。

「マハロ・エコーズ」は、佐々木敢一(バスウクレレ)・山田哲也(ベース)・恩田幸博(ハープ・スチールギター)・ポール‐コンデ(ドラム)・和田光一(ギター)・牧義典(タンバリン・マラカス)・浦川博(ビクトロン〈オルガン〉)の七名から構成されるグループである。リーダー的存在(?)の佐々木敢一は、元々和田弘とマヒナスターズに在籍していたため、「マハロ・エコーズ」を「和田弘とマヒナスターズの分家的存在」とみる識者もいる(佐々木は後に和田弘とマヒナスターズに戻る)。グループとしては『恋獄(れんごく)のブルース』(1967年)が比較的ヒットしたようである。(ちなみに、女声の矢野ゆう子は後に「宇野ゆう子」に改名し、現在まで使われている「サザエさん」のテーマを歌うことになる。)

 この『コモエスタ赤坂』は1968年の発売で、著名なロス・インディオスの同名曲と同年の発売であり、作詞・作曲者も同じ(作詞:西山隆史・作曲:浅井和典)であるが、編曲者が違う(マハロ版:松本浩・ロスイン版:秋葉洋)。そのため、歌詞も一部違う。

 また、女声が入っているため、曲の印象がロスイン版とは少々異なる。1968年当時にムードコーラスでデュエットをするというのは画期的な試みだったのではないだろうか。

 ところが、この曲はヒットに恵まれなかったようである。いい歌なのに。残念。

 ちなみに、ここからはロスイン版の『コモエスタ赤坂』の解説に書けばよいことなのだが、敬愛するタブレット純氏の著書、『ムードコーラス聖地純礼』でロス・インディオスの棚橋静雄さんは、『コモエスタ赤坂』は『知りすぎたのね(これもロスインの大ヒット曲)』などに比べ、売れていなかったと明かしている。確かに、ヒットチャートの最高順位は75位で、うーん、大ヒットに恵まれたとは確かに言い難いようだ。『コモエスタ赤坂』は1977年と83年にもリバイバル発売されており、そこで耳にした方も多いのかもしれない。つまり、『コモエスタ赤坂』は、ロス・インディオス版も、マハロ・エコーズ版も、1968年当時は「そんなにヒットしていない」のである。いい歌なのにね。

 

 

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