今回から6月3日の散策になります
もう7月も半ばに入ろうとしてますがf(^^;
この時の目的はしばらく見れなくなるという高桐院へ修繕前に行くことでした
京都中部辺りからだと京北経由で行ったら早いんじゃないか!?ということで今回は南丹市日吉→京都市右京区京北という感じで向かいました
それも今まで通ったことないルートから(笑)
道の駅 スプリング日吉の横の道、府道50号線を行きます
するとまず見えるのが日吉ダム
下を見ると湯気?が立ってスゴい迫力です♪(*´∇`*)
今度はダム湖に注いでる桂川沿いを北上していきました
しばらくこのような風景が続きます
ここを通ったのは気になってた場所があるから
それが宇津峡公園(京都市右京区京北)
なんかキャンプ場がメインみたいだったので遠慮して外から撮影(笑)
こっちはオートキャンプ場の方
ちなみにオートキャンプ場は1泊5140円のようです
この案内板は府道364号線に出てからのものです
案内板下にある宇津城址
これはこないだ立ち読みした本に、光秀が丹波攻略で攻めた城で出てました!
また僕も攻めなくちゃ(笑)
その横にある八幡神社は船井神社(H29.6.21記事参照)の由緒で読んだとこかもしれません
それにここ辺りが安倍貞任が埋められたあとのみたいなんでまた散策してみるつもりです
(^ψψ^)
その宇津の案内板
そして大徳寺へ着きました
今回は駐車場は近くの駐車場へ
というのも大徳寺は有料駐車場で最初の2時間は500円なんですが、後が1時間につき100円だったかになるようなんです
(--;)
で、近くのコインパーク探したら最大が700円!
30分では100円でした
なので今回はここを拠点に(と言っても置きっぱなしですが)行動します
これなら時間気にせず散策出来ますしね(o^-')b !
入って行ったのは
南門
横を見てみる
境内に入って歩いていると、勅使門を過ぎた辺りに
こんな塚?が
石碑を見てみると
平康頼之塔
調べてみると、平っていうくらいですから清盛関係者かと思ったら、阿波国の武士の子で、北面の武士として後白河法皇に仕えた人物だそうです
鹿ヶ谷事件のいうので首謀者として硫黄島へ流されたそうですが、後に赦されたんだそうです
(図説・源平合戦人物伝参照)
法堂の横を通って、総見院の先には
近衛家廟所がありました
近衛家と言えば、最近よく読む井沢元彦氏の本を読んでいたら
近衛・鷹司・九条・一条・二条
この五摂家は関白職(天皇の代理)に就くことが出来る家柄で元は藤原家、更に公家の約140家の大部分は藤原家なんだそうです
清盛一族が我が世の春を迎えて反感をかったのに、同じように栄えた藤原家が清盛一族のように反感をかわなかったのは名字を変えて藤原一族が繁栄していることを悟らせなかったことにあるそうです
この記事を読んだとき、武士であった平家より公家の藤原家の方が巧妙なとこするなぁと関心しましたよ
横路に逸れました(^^;
今回目的の高桐院へ行くと
玄関先が剪定中(;^_^A
駒札
このようにしばらく拝観出来ない(現在だと)そうです
そしてこの日せっかく朝一に高桐院目指して行ったのに、以前も書いたように法要が朝昼あり拝観出来るのが4時くらいからでした!
(゜ロ゜)エ~
思わん事態になったので、予定を変更して他の周辺散策をして時間を調整することにしました
そして今回は大徳寺の通常拝観出来る寺院はまだどこも行ってなかった(特別拝観とこはあり)ので、そちらも拝観するつもりだったので次回からそちら巡りになります
プロローグから長くなりましたが、今回も最後まで読んで頂いた方ありがとうございました(*´∇`*)
では、またぁ~(o・・o)/~