前回からの続き(7月21日のこと)です


再び西へ向かい、東堀川通りを上がって行きます
ホテルが続けてあって、ホテル THE MITSUI KYOTOの壁際に石碑と駒札がありました
福井藩邸跡
住所・京都市中京区油小路通二条下る西側
解説
此付近福井藩邸跡 
 この油小路二条下る西側
(現 HOTEL THE MITSUI KYOTO)

の一帯には、江戸時代後期、福井藩の藩邸があった。藩邸が置かれたのは比較的新しく、天保2年(1831)の「京大絵図」 に描かれている。藩邸は藩の京都連絡事務所で、留守居役が詰め、町人の御用掛を指定して、各種の連絡事務に当たった所である。

  福井藩は、慶長5年(1600)、徳川家康の二男結城秀康が封ぜられたのに始まる親藩の雄藩で、石高は最大六八万石、江戸中期以降は三二万石。幕末に松平慶永(よしなが)が藩主となってから、人材を登用して藩政を改革し、水戸藩とともに幕府政治の改革に乗り出し、更に、公武合体運動を進めて、幕末政局に一方の旗頭となって活躍した。  この藩邸は、幕末の福井藩の活躍にとって 大きな役割を果たした。 
 京都市
(原文のまま)

京都市内には過去にもアップしていますが、この様にいろんな藩の藩邸がありました
残っているのは石碑ばかりですけどね😅
この日のこと続きます
では、またぁ~(^_^)/