西安の朝は早い。昨日行った回坊風情街は、朝早くからお粥や麺の屋台が営業を始める。地元の人はそこで食事をとってから1日を始めるのだ。
自分も今朝は回坊風情街で食事を取ることにした。屋台でとろうかとも迷ったが、通りがかりに小籠包の美味しそうな店があったので、そこで朝食を食べようとした。小籠包は牛、羊、三鮮の中から選べるが、以前羊の小籠包は食べたことがあったので三鮮を頼んだ。
しかししばらくして出て来たのは羊であった。店の人に尋ねてみると、確かに持ってきたのは羊の小籠包だという。「いやいや、頼んだのは三鮮だから。」と言っても、なかなか応じない。どうやらまだ三鮮はできていないため、適当に他の物を持ってきて済まそうと思ったようだ。出来ていないなら、注文の時に言ってくれればいいものを、随分となめた態度を取るものだ。結局、店の責任者らしき人に文句を言って三鮮を持って来させたが、非常に気分が悪くなった。味は良かったが、もう二度と行かないだろう。
食後、どこに行こうか迷うが、とりあえず絲綢之路起点群像という物を見に行くことにした。これは、シルクロードを目指すキャラバン隊が像になっている物で、あまり有名ではないが、シルクロードを旅する上で、ぜひ見に行っておきたかった。
絲綢之路起点群像までは路線バスで20分ほどかかった。市街の北西部の外れに位置するこの像は、アクセスも悪く、観光客がいるようすはなかった。地元の人たちの憩いの場という感じだろうか。像自体は壮大な物ではなく、もの寂しい感じだが、彫られているキャラバンの顔立ちや、隊の様子などを眺めていると、シルクロードをこのようなキャラバン隊が行き来している様子を想像することができた。シルクロードへの気持ちを沸き立たせるには十分であった。
次に張学良公館に向かった。今自分がいる街は、「長安」という名で度々歴史上に登場している。しかし、。「西安」という名で歴史に名を刻んだのは、1936年の西安事件くらいではないだろうか。西安事件とは、国民党の張学良らが抗日民族戦線を形成するため、共産党の蒋介石を監禁して内戦停止、挙国抗日を要求した事件であり、これによって第2次国共合作が実現した。今回訪れた張学良公館は、まさにその出来事の舞台となった所である。
入場料は10元とあったが、チケットを購入しようとすると何と無料で入れてくれた。内部は3つの洋館と展示室があり、洋館はそれぞれA楼、B楼、C楼と分けられている。A楼は蒋介石が宿泊した部屋が復元されていて、B楼は秘書や護衛官の住居、C楼は張学良の住居がそのままの形で残されていた。展示室も含め、それぞれの建物に、西安事件のこと、張学良のことなどが詳しく解説してあって、事件をあまりよく知らなくても見応えのある施設だったと思う。
続いて道すがらの店で麺を食べ、興慶宮公園へと向かった。ここは唐代三大宮殿と呼ばれた興慶宮の跡地に作られた庭園であるが、日本人に馴染み深いのは、ここに阿倍仲麻呂の石碑があることだろうか。彼は遣唐使によって唐の都に渡ってきたが、結局望郷の念を果たすことができず、この地で生涯を終えた人物である。記念碑には、「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」という、彼が故郷を懐かしむ歌や、交流のあった李白が彼を偲ぶ歌などが彫られていた。
興慶宮公園自体は、西安の人々の憩いの場という感じで、中央にある池ではボートをこぐ人々が見られたり、ベンチで楽しく話す人や、歌と踊りの練習をする人々がいるなど、穏やかな雰囲気に包まれていた。また、公園の一角には遊園地のような物もあり、若者や家族連れはそこで楽しそうに遊んでいた。中には5Dなる映像アトラクションがあったが、一体どのように見えるのだろうか。少し気になった。
宿に戻って休憩後、夕食をとりに行く。今日は、昨日羊の串焼きを食べた店で、砂鍋という一人用サイズの鍋を食べることにする。8元と比較的廉価であるが、中には肉団子、野菜、きのこ、春雨、豆腐、厚揚げ、卵と具沢山であった。ご飯とビールも頼み、大満足で宿に戻る。
明日はいよいよ大移動である。体力を蓄えておくために早めに寝ることにする。
自分も今朝は回坊風情街で食事を取ることにした。屋台でとろうかとも迷ったが、通りがかりに小籠包の美味しそうな店があったので、そこで朝食を食べようとした。小籠包は牛、羊、三鮮の中から選べるが、以前羊の小籠包は食べたことがあったので三鮮を頼んだ。
しかししばらくして出て来たのは羊であった。店の人に尋ねてみると、確かに持ってきたのは羊の小籠包だという。「いやいや、頼んだのは三鮮だから。」と言っても、なかなか応じない。どうやらまだ三鮮はできていないため、適当に他の物を持ってきて済まそうと思ったようだ。出来ていないなら、注文の時に言ってくれればいいものを、随分となめた態度を取るものだ。結局、店の責任者らしき人に文句を言って三鮮を持って来させたが、非常に気分が悪くなった。味は良かったが、もう二度と行かないだろう。
食後、どこに行こうか迷うが、とりあえず絲綢之路起点群像という物を見に行くことにした。これは、シルクロードを目指すキャラバン隊が像になっている物で、あまり有名ではないが、シルクロードを旅する上で、ぜひ見に行っておきたかった。
絲綢之路起点群像までは路線バスで20分ほどかかった。市街の北西部の外れに位置するこの像は、アクセスも悪く、観光客がいるようすはなかった。地元の人たちの憩いの場という感じだろうか。像自体は壮大な物ではなく、もの寂しい感じだが、彫られているキャラバンの顔立ちや、隊の様子などを眺めていると、シルクロードをこのようなキャラバン隊が行き来している様子を想像することができた。シルクロードへの気持ちを沸き立たせるには十分であった。
次に張学良公館に向かった。今自分がいる街は、「長安」という名で度々歴史上に登場している。しかし、。「西安」という名で歴史に名を刻んだのは、1936年の西安事件くらいではないだろうか。西安事件とは、国民党の張学良らが抗日民族戦線を形成するため、共産党の蒋介石を監禁して内戦停止、挙国抗日を要求した事件であり、これによって第2次国共合作が実現した。今回訪れた張学良公館は、まさにその出来事の舞台となった所である。
入場料は10元とあったが、チケットを購入しようとすると何と無料で入れてくれた。内部は3つの洋館と展示室があり、洋館はそれぞれA楼、B楼、C楼と分けられている。A楼は蒋介石が宿泊した部屋が復元されていて、B楼は秘書や護衛官の住居、C楼は張学良の住居がそのままの形で残されていた。展示室も含め、それぞれの建物に、西安事件のこと、張学良のことなどが詳しく解説してあって、事件をあまりよく知らなくても見応えのある施設だったと思う。
続いて道すがらの店で麺を食べ、興慶宮公園へと向かった。ここは唐代三大宮殿と呼ばれた興慶宮の跡地に作られた庭園であるが、日本人に馴染み深いのは、ここに阿倍仲麻呂の石碑があることだろうか。彼は遣唐使によって唐の都に渡ってきたが、結局望郷の念を果たすことができず、この地で生涯を終えた人物である。記念碑には、「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」という、彼が故郷を懐かしむ歌や、交流のあった李白が彼を偲ぶ歌などが彫られていた。
興慶宮公園自体は、西安の人々の憩いの場という感じで、中央にある池ではボートをこぐ人々が見られたり、ベンチで楽しく話す人や、歌と踊りの練習をする人々がいるなど、穏やかな雰囲気に包まれていた。また、公園の一角には遊園地のような物もあり、若者や家族連れはそこで楽しそうに遊んでいた。中には5Dなる映像アトラクションがあったが、一体どのように見えるのだろうか。少し気になった。
宿に戻って休憩後、夕食をとりに行く。今日は、昨日羊の串焼きを食べた店で、砂鍋という一人用サイズの鍋を食べることにする。8元と比較的廉価であるが、中には肉団子、野菜、きのこ、春雨、豆腐、厚揚げ、卵と具沢山であった。ご飯とビールも頼み、大満足で宿に戻る。
明日はいよいよ大移動である。体力を蓄えておくために早めに寝ることにする。