月曜日の朝、出勤すると同僚の譲二が事故で撥ねられたという。金曜日の深夜、点滅式信号の横断歩道で大型バイクとぶつかった。相手は車でなかった。命には別状は無いという。安心をした。

譲二は大男である。学生時代ラクビーをしていた。「ぶつかったバイクが壊れただろうに」と軽口を叩きながら皆で心配をした。 

事故から二、三日して容態も落ち着いた頃見舞いに行った。退屈しているだろうと、マンガ本を数冊持参した。

個室をノックしたが返事が無い。そっと開けてみた。薄暗い空気が淀んでいる。ベッドには男が横になっているだけだ。そばに行き人差し指で身体を突いた。「ああ」と言ったきり、驚きもしない。

「オイ、大丈夫か」

そばの椅子に掛けながら

「オイ、大丈夫か」

と声を掛けた。

「うーん、まあな」

あとは沈黙だ。

「どうしたのだ。しんどいのか」

「夜が怖い」

「ええ」

眠りに入ってうつらうつらしていると、目の前に急に強い光が迫って来て、まぶしいと思ったとたんに光がぶつかるのだ。ハッと目が覚める。事故が夢の中に何度も出て来るというのだ。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)である。交通事故によるパニック障害が発症したのだ。困った。これを克服しないと日常生活が取り戻せない。妻も子供もいる。生活がある。

「必ず治るから、ゆっくり治していこう」

そう言って幸一を見ながら病室をでた。

一週間後、帰りに様子を見に行った。骨折の方は順調である。しかしまだ寝るのが怖いという。カウンセラーの治療は受けている。

「足が順調で良かったな。回復に向かっているぞ。大丈夫だ、必ず治るから」

と不安を取り除くように声を掛けた。

 人間とは何なんだろう。ラクビーの倒れても倒れても、前に進もうという不屈の精神の持ち主が、一瞬の死の恐怖で心が折れてしまった。不思議なものである。何か譲二の気持ちを強くする方法はないのか。力になれるものはないだろうか。考えながら帰路についた。

 ある日、駅前を歩いていると「宇宙カフェ&天然石バー」という看板が目に入った。何かが閃いた、パワーだという声だ。パワーを与えてやれとの啓示だ。

人間は宇宙の一物だ。宇宙はビッグバンから始まり量子の世界なのだ。銀河も地球も石も人間もすべて量子の塊である。量子は波動とエネルギーだ。物はすべてこの波動の調和で成り立っている。調和が壊れれば異常となって不都合が生じる。譲二は今波動が乱れているのだ。それを治すには波動を調えることだ。宇宙と共鳴させればいい。宝石の特殊な波動を彼に与えればいい。何かの本で読んだことがある。

お店に飛び込んだ。調和と安らぎのパワーの紫水晶、大きなアメジストドームを購入した。すぐに病室に行き、幸一に言った。

「寝る前にこのドームを見つめろ。紫水晶のエネルギーが、お前の心の波動を調えてくれる。愛と安らぎを与えてくれるから。この紫色を見てみろ。濃い紫のいい色をしているだろう。アメジストのパワーが君の心を治すから。毎日毎日、見つめるんだ。治るから」

二週間後、退院すると連絡が入った。その前に病室を訪れた。骨折は治り元気になっている。PTSDはと聞いたら、もう出なくなったという。カウンセラーもこんなに早く症状が治まるとは、と不思議がっていたという。

譲二は私に耳打ちした。「あのアメジストはすごかった。見つめているとその中に引き込まれていく。紫色の世界にふわっと浮いている。ところどころから赤と青の光が自分に向かって来る。赤色は暖かく、青色は安らぐのだ。気持ちがいい。いつまでも紫の中に浮かんでいたいと思う。だから幾度も幾度も見つめていた」という。

「このアメジストドーム、買うよ」

「バカな。見舞いの品だぞ」

「貰っていいのか」

「もちろんだ」

 幸一は外に出ようと言った。日向を歩いた。幸一が待てという。そして太陽に向かって目をつむり口を開け、両手を大きく空に向かって開いた。全身で太陽の光を浴びている。

「暖かいな」と幸一が一言いった。

 

03.11.21

 駅二階中央改札口を出たら、南北の自由通路を兼ねた広いコンコースがあった。このコンコースの改札口寄りには、待ち合せの場所である折り鶴の時計台がある。屋根からの午後の日差しで銀色に輝いている。

卓也は、そのとき、折り鶴の時計台の前にいた。一分ごとに腕時計を見ては、イライラと改札口を見ていた。待ち合わせは午後二時だ。「どういうことなんだ、もう六分過ぎだ」陽子はまだ来ない。「あの女はいったいなにを考えているんだ」、改札の発車標の次の列車は二時十五分となっている。「またか」と思い、舌打ちし改札を抜けてくる人の流れを眺めていた。目の前をいろいろなひとが通り過ぎていく。しかし陽子はまだ来ない。

二時九分、駅の二階の通路に陽子が姿を見せた。屈託なくニコニコと笑い、手を振り足早に近づいてきた。約束の時間に遅れてしまったという反省の態度は全くない。改札を通る。ピンポンと自動改札の扉が閉まる。足止めを食らったのだった。「またやった」卓也はしかめっ面をして陽子を睨んだ。どうせスーパーかカラオケのカードでも出したんだろう。卓也のしかめっ面など意に介さず、彼女はペロッと舌を出し、カードを変えて出てきた。

「ごめん、間違えちゃった」

「そうじゃ無くて、待ち合せ時間は二時だ。九分遅刻だ。遅いんだよ」

「ごめん、ごめん、前の電車は早く着き過ぎるから一本遅らせちゃった」

「早く来て待てばいいじゃないか。僕はいつも早めにくるんだから。いいか、時間は絶対に守らなくてはいけないんだ。これが陽子の悪いところだ。まずは謝れ、そして治せ」

「えっ、謝れって? ひどい、ひどいわ。たった九分じゃあないの。いつもいつも同じことを繰り返して。なにか優しい言い方は無い

の。もう知らない」

陽子は泣き出した。また泣き真似か、この子はすぐに女の武器をだすからな。困ったものだ。まあ、そこがかわいいのだが。

ところが、時計台の周りの人たちは陽子が泣き出すのを見て、口々に声をだして「ひどい、ひどい」と言い始めた。そして二人を取り囲むようにして寄って来て卓也を責めはじめた。人垣は五人から十人となり、さらに増え、一重から二重となって責めて迫ってくる。陽子は後ろを振り返り、驚いて泣き真似をやめた。人の勢いにおびえて卓也にすがりつきながら、後ろを向いて人の波を見ている。

突然コンコースにテンポの早い曲が流れはじめた。今まで迫って来ていた人たちが、少しずつステップを踏みながら、後ずさりしながら輪を広げ、卓也の周りを回り始めた。

陽子は、卓也から身体を離して、放心状態で周りを見ている。しかしその右手は卓也の服をしっかりと掴んでいる。人の輪はどんどん広がり流れる音楽に合わせ軽快なステップを踏み踊り出した。通行の達も立ち止まり見入っている。だれかが叫んだ。

「あっ、フラッシュモブだ」 

 陽子は、少し安心したのか、顔を右から左へ、左から右へと動かしながら踊りを見ている。卓也は、そんな陽子の顔を見つめながら、左腕で陽子の身体を抱きしめている。踊りも佳境に入ったのか、卓也と陽子に向かって手を差し伸べながら、二人の仲を称賛するように回っていく。陽子は卓也の顔を見上げ、フフフと笑ってきた。

曲が終わった。踊り手の女性が小さな花束を持って卓也の方に来る。卓也は陽子から離れ二三歩進み花束を受け取った。そして振り返り、陽子の正面に立ち、片膝をついて花束を掲げた。

「陽子さん、大好きです」

 モブのメンバーから拍手が起こった。陽子

は戸惑い無造作に花束を受け取った。卓也は

それからおもむろにポケットから指輪のケースを取り出し、開けて両手に乗せ、陽子に言った。

「陽子さん、結婚してください」

 陽子はやっとわかったようだ。両手でお顔を覆い、震えながら泣きだした。しばらくして左手を前に差し出した。卓也はその薬指に指輪をはめた。

モブの人達からまた拍手が起こり、立ち止まって見ていた通行人からもた拍手が起こり、拍手の音がコンコースいっぱいに響いていった。陽子は卓也に抱き着いてきた。

卓也のプロポーズは成功したのだった。

 

「ピピピー」

笛を吹きながら制服姿の二人が近づいてきた。そして卓也にこう言った。

「あちらでちょっとお話を聞かせてください」

            2021.10.24

 私は書棚から古い本を抜き出した。日焼けした本の端には綿ごみが付いている。パンパンパンと手に叩きつけ、さらに端の埃を飛ばそうとパラパラパラとページをめくっていった。

「ううん?」、何かがいる。めくるのを止めて、戻って開いてみた。紙魚である。一センチくらいの小さな平べったくて、銀色の鎧を着たような虫である。頭に長い二本の触角があり、胴体の左右に三本の短い足が、さらにお尻にも三つの長い毛がある。見ると身震いをする気持ち悪い虫である。 

そうそう思い出した、子供のころには平気でつかんだり潰したりして遊んでいたのだ。それでちょっと触覚を突いてみた。走る、走る、素早い。どこかのページに隠れてしまった。開いているこのページの隅には、幅三ミリ程度で長さ二センチくらい溝がページの二行に跨ってできている。紙を食べたのだ。漢字二つの真ん中を食べている。う~ん、この紙魚はさぞ賢いであろう。

昔、大学受験で英単語を覚えるのに苦労をしたことを憶えている。憶えても憶えてもすぐに忘れてしまう。何か忘れない方法はないのかと悩んものだ。友人に話したら、覚えた単語帳のページを引きちぎりそれを食べてしまうという方法を教えてくれた。そうすると食べたページの単語は一生忘れないそうだと話す。大学のえらい先生が、若い時にやっていた記憶法だという。うん、何か都市伝説で聞いたことがある。バカなと相手にしなかった。しかし英単語を覚えるのはつらい。つい、藁をも掴むつもりでやってみた。

「豆単」の表裏、二ページの単語を覚えたら、そのページを千切り、紙を口の中に詰め込む。もじゃもじゃした紙を噛んでいく。その内モソモソとなり唾液でしっとりとしてくる。さらに噛んでいると口の中でどんどん小さくなって塊となる。それをさらに噛んでいると柔らかくなり溶けて来る。唾液と紙の繊維とが混ざったとろみのある液が口の中に溜まる。味は無い。それをゴクンと飲み込むのだ。これを繰り返していると紙の塊がどんどん小さくなり、最後に無くなってくる。これで完全に記憶したことになる。もうそのページの単語は絶対に忘れないのだ。これを何日か行った。

ある時「豆単」を食べていてどんな状態かと口の中の粘りのある液を手に出してみた。「ゲッ」、真っ黒で汚い粘りのある液だ。これを飲んでいたのかと思うとゾッとした。体を壊すもとだ。すぐにやめた。すると今まで覚えた単語が空の彼方に飛んで行ったような気がした。もう思い出せない。

単語を食べる。これを続けていたら東大に入れたのか、それとも身体を壊していたのか、どちらかだったんだろう。イヤイヤへんな理屈をつけてはいけない。頭が悪かったのだ。ロボット的に言えばCPUの性能が問題だったのだ。しかし人間は取り換えることができない。

記憶力とは不思議なものだ。高校時代、英語の宿題で、明日までに教科書の英文を三ページ分、憶えて来いというものがあった。家に帰ってそこを何度も音読した。だけど憶えられない。音読百遍、意は分かっても暗記はできない。「こんなの誰ができるのか」と高を括って学校に行ったら、皆が憶えていた。「えぇ、俺だけか、おれの頭は悪いのか」と悟った。しかし現代文の詩や漢詩は三、四回音読すれば憶えられるのだ。国語や歴史は得意であった。頭は不思議だ。

「英語ができない?」、いいいい、放っておけ。正岡子規だって英語ができなかったらしい。だから国文の俳句なのだ。しかし先人に芭蕉がいたとはいえ、よく現代俳句という新しい文学形式をつくりあげたものだ。感心をする。この能力は記憶力では無いのだろう。感性であろう。言葉の配合とそこから生まれるニュアンスをどう感じるかの問題である。

「柿食えば 鐘が鳴る成り 法隆寺」

「鶏頭の 十四五本も ありぬべし」

「いくたびも 雪の深さを 尋ねおり」

 この感受性、情感、頭の中は不思議である。

 創造、創作は記憶力か。違うインスピレーションと構成力だといわれている。これは天から降りてくるものだそうだ。文章を書いていたらテーマや言葉が次々と湧いてくるのだそうだ。湧いて来なくなったらその作品は完成である。じゃあどうやってインスピレーションを養成するかだ。それは体験することだそうだ。いろいろと雑多な体験をたくさんして脳に染みこませることだそうだ。

しかしもうこの歳ではもう遅い。恋の小説を書こうとして、今から不倫の燃える恋をどう体験するのかだ。だれが相手にしてくれるのかだ。こう言うと、ならばたくさん本を読めとのことだ。読書は間接体験だ。分かった。ならば渡辺淳一さんの本を読んで憶えて不倫をした気になろうかいな。そして天から降ってくるのを待つことか。

結局、インスピレーションも構成力もやはり脳の作用であり、そこには蓄積がないと天から降りてこないらしい。すべての元はやはり記憶であるようだ。記憶力は大切であるようだ。

スーパーコンピューターの「富岳」は頭の回転が世界一らしい。しかし外部記憶装置のデーターが無いと力が発揮できないそうだ。こう考えるとやはり記憶の分量が大切なようだ。私の頭は富岳の性能は無いが、記憶することは少しづつでもできそうだ。本の紙魚のようにゆっくりと確実に漢字を食べていけば何とかなりそうだ。

村上春樹さんの小説「ノルウェーの森」を紙魚のごとくに食べてみましょうか。

 

       2021.10.24

テーブルの果物かごにバナナが置いてある。食べようと一本取り上げた。左手で持ち右手で皮を剥こうとしたら、バナナの皮がひとりでに剥けてきた。驚いた。しかし便利な品種だと思った。実をちぎろうと指を掛けたら、パクっと皮が閉じた。咄嗟に引っ込めたが間に合わない。人差し指が挟まれた。きつく締め付けてくる。バナナのあの柔らかい皮ではない。樹脂の硬さで指を咥えている。挟まれたところが少し痛いが指の先はくすぐったい。指を抜こうと強く引っ張ったが取れない。指を立ててみた。指がバナナに突き刺さっている。可笑しい。しかし気持ちが悪い。

どうしよう。どうしよう。

そのまま掌を上向きにしてテーブルに乗せ呆然としていた。するとコトンと音がしてバナナがテーブルに落ちた。先っぽは閉じられ樹脂のサンプルバナナの様に転がっている。私の指は出血もなければ痛みも無い。しかし第一関節が無くなっている。喰われたのか。先っぽは蝋を溶かしたように丸く盛り上がっている。触ると熱いというか痛いというか敏感だ。ハンカチを取り出しそっと指を覆い、左手で人差し指の根元を強く握りしめた。

 テーブルのバナナは樹脂状態のままで、安定が悪いのか時々コトコトと揺れている。 

しかしこのバナナは何だ。変種の食虫植物か。果物が噛んでくるのかと思うとぞーっとする。傍にあった菜箸で叩いてみた。音は硬い。喰いついてきた先っぽを突いてみた。横に一回転した。ちきしょうと突き刺したら菜箸が折れた。

指先が落ち着いたのでハンカチを外してみた。やはり先っぽが疼く。脈と同じ周期で鈍く痛痒い疼きがある。指をテーブルから離すと強くなる。近づくと弱くなる。テーブルに載せるとさらに弱くなる。もっと弱くなる方を探し、指を這わした。バナナに近くなる。怖い。しかし疼きが弱くなる。用心してさらにバナナに近づいてみた。あと一センチ、疼きが消えた。とたんにパチッとバナナが飛び付いてきた。手を引っ込めたが間に合わなかった。磁石のように指先に強く引っ付いた。バナナの先っぽと人差し指の先がくっ付いてアッと思った瞬間、電気が右腕に走り、頭にツーンと来た。すると声が聞こえてきた。

「私はバナナ。分かりますか、お話しましょうよ」 

「誰だ」

声をだしたが部屋には誰もいない。確かにバナナはある。指にくっ付いている。

ここからは変な話だが、私はそれから人差し指を通してバナナと話ができる様になったのだ。バナナが言うには、

「果物の見分け方を教えてあげましょう。私は果物や野菜と話ができるのですよ。うそだと思うなら一緒にスーパーに行きましょうよ」という。 

 あくる日、バナナを右手で握って、もちろん人差し指はバナナの先に付けてスーパーに行った。入口の奥にトマトのワゴンがある。バナナがしゃべった。

「私の根元をトマトの皮に当ててみてください」

私は頭の中で返事をし、当てた。

「こんにちは、私は熊本産のトマトよ。甘みがあるの、だから食べてみて。八代生まれで潮風に揉まれ甘みが強いのよ」 

面白い、トマトがしゃべる。次のトマトにもバナナを当ててみた。軽く当てると聴き取りにくいが、強く当てるとよく聞こえる。バナナを強く押し当て、次々とトマトの話を聞いていった。振り返ると触れたトマトの表面は赤黒くなり大きく窪んでいる。

女店員がそれをジーっと見ていた。そして居なくなった。

「おい、何している。トマトに傷をつけて売り物にならないようにしているのか」

店長が怒鳴ってきた。周りの買い物客が寄ってくる。

「違う。違う、トマトと話をしているんだ」

「バカなことを言うな。トマトを傷ものにして営業妨害だ。全部弁償しろ」

えらい剣幕だ。バナナを介してトマトと話をしているなんて、やっぱり理解できないよねと思い、つい、ニヤリとした。店長はカッとなり、私のバナナを取り上げ床に投げた。そして上から勢いよく踏んだ。バナナの皮が裂け中身がパッと辺りに飛び散った。私の服だけでなく、まわりの野菜や果物にも飛び散った。糊の様にくっ付いている。エェ、どこで普通のバナナに戻ったのだと思ったら、「キャー」と女性の悲鳴が聞こえた。向かい側でリンゴが女性の指に喰いついている。青くなって一生懸命振り払おうとしている。隣の人はミカンに咬まれている。こちら側ではキャベツが若い女性の手を飲み込んでいる。店はパニックだ。皆が悲鳴を上げ我さきにと入口に向かう。指をかまれた数人が失神して倒れている。救急車やパトカーのサイレンが聞こえてきだした。

そう、指喰いバナナの中身が周りの果物や野菜に付いて指喰いが伝染したのだ。前代未聞の事件となり、ニュースで全国放送された。

 

 それで、その後はどうなったか?

スーパーは潰れた。指喰い植物は凍らされ粉々にされ完全焼却された。

しかし私の人差し指は溶けたままだ。そして時々疼くことがある。

 

          2021.12.1

「まだだぞ、まだだぞ、まだ出るな」、

キキキキー、

「危ない! 出るなと言ったじゃないか」

車がかろうじて横断歩道の手前で止まった。飛び出した小一の児童には何事も起こらなかった。

ここは黄色の点滅式の押しボタンの信号機である。車は車道側の信号が赤になっても止まらないことがある。入学から二、三か月たった小学一年生は、学校にも慣れ、登校にもなれ、通学時に同級生とはしゃいでいる。横断歩道も一番に渡る競争をする。だから青になったらすぐに飛び出そうとする。

耕一はボランティアで朝の通学路の交通安全のおじさんをしている。定年後、地域の交通安全ボランティアに応募し、朝の児童の通学路の安全を見守っている。こう言えば聞こえはいいが、動機は自分の朝のけじめである。退職したら、朝起きるのがいい加減になる。七時半、八時の起床である。朝ごはんのけじめが付かないと叱られる。パジャマのままのだらだらした生活である。これではいけないと始めたのが交通安全ボランティアである。この六月でかれこれ十年になるか。お陰で平日は、毎朝六時半起床と、規則正しい生活をしている。

小学生の登校班は、五、六人のグループである。六年生が班長で笛と旗を持ち先頭を歩く。その後ろを一年生から高学年へと順に縦に並んぶ。しんがりは副班長の高学年である。学校が班分けをする。縦一列で歩く。

信号の無い横断歩道は、その歩道の前で一旦止まる。班長が左右の安全を確認し、大きく笛を「ピーピッ」と吹き、同時に黄色い横断中の旗を車道に振り降ろし遮断する。副班長も向い側で黄色い旗を降ろし通路を確保する。副班長が最後に渡り、止まってくれた車にお辞儀をする。すばらしい。これを見た運転手は、次も止まってくれるであろう。

ところが信号機のある横断歩道が問題だ。危ないのだ。ここの横断では班長は笛を吹かない。黄色い旗を使わない。横断の合図は信号機がしてくれるのだ。 

子供達はこの横断歩道に来て止まると、横一列になる。歩いて着たままの体形で歩道の幅に並ぶのだ。そして信号が変わるまで待ち時間に、毎日が楽しい一年生は、すぐにふざけ、はしゃぎ、競争をする。信号が変わると一番を取ろうと飛び出そうとする。これを防ぐのか交通安全ボランティアの務めだ。

「おじさん、押さんでー」と一年生が横断歩道の手前で叫ぶ。自分が信号のボタンを押したいのだ。おじさんは無視してまでの間隔を見ながら、先に信号のボタンを押すのだ。列が横断歩道に着いたら待たずに渡れるように信号の色を変えるのだ。歩みを止めさせずに続けて横断させる。これが一年生の安全確保なのだ。

耕一は横断歩道の渡った側にいる。押しボタンを押す。車道の信号が黄色になったら歩道から自分の「横断中」の旗を斜め前方に上げ上下に振る。「黄色だよ」と左右の向かてくる車に注意を喚起する。しかし朝の通勤時間、黄色で止まるほど車はヤワではない。相手も急いでいる。車道の信号が赤になった。幸一は安全を確認し横断歩道の車道に歩み出て黄色い旗を真横にして軽く上下させ、車を通せんぼする。気づくのが遅れて、あわてて止まる車も何台かはいる。自分がヒヤリとするときもある。「まあ、ここまで体を張らなければいけないのか」と思うが、まあ、やるなら中途半端はいやだ。

子供の横断中は、あいさつのおじさんになる。「おはよう、おはよう」、大きな声で子供達に声を掛ける。学校のあいさつ運動の推進である。PTAのお母さん方から頼まれている。右手で旗を横に広げで車を制し、左手は子供達とハイタッチをしながら声を掛ける。

「おはよう、おはよう、声を出せ、あいさつは」

四年生の女の子は生意気だ。気取っていて、ものも言わない。強く声を掛けてやると、ムッとしてワザと無視をしてくる。自我の目覚めだ。はしゃぐ一年生に、無視する四年生、「ありがとうございます」と毎回礼をいう六年生と、それぞれの成長の過程が見て取れる。それに個性も混じり、子供達はカラフルである。こんな登校班が五組ほどある。五組が通過すれば終了だ。黄色い旗を丸め輪ゴムで止め、横断歩道を渡り、来た道を引き返す。

「おじさん、おはよー、」

人なつっこく手を振りながら通学路を小走りにやってくる子がいる。遅刻常習犯の小二のM君だ。しかし遅刻をまったく気にしていない。

「おはよう、きょうは少し遅いじゃないか」

「きょうは荷物が多いいんよ、手が痛いわ」

「おじさん、持ってよ」

「イヤだよ、自分のことは自分でするんだ」

耕一は並んで横断歩道まで引き返す。

「おじさん、押してくるネ。これ持ってて」

手提げカバンを預けM君は走りだした。押しボタンを押しに行ったのだ。

「ぼく、これ、押したいんよ」

ふっくらとした体形で汗かきで歩みが遅いが、人懐こくって屈託のないM君は何をしても憎めない。このまま大きくなってほしい。

(このまま遅刻を続けろ。マイペースで学校に流されるな。大物になれよ。がんばれ!)と耕一は声には出さず激励している。自分の中に欲しかったもう一人の自分に言っているのかもしれない。

午前七時四十五分、遅刻組みも通り過ぎ一段落し、帰ろうとしたら、中学生の女の子が来る。ちらっと見る。知らない子かなと思いきや、名前が浮かんだ。

「おおっ、サチか、元気か。中学校は面白いか」

「ハイ、」

と恥じらいながら小さな声が返ってくる。ここの通学路の小学生だった子だ。もう中二だ。

中学生の通学時間は小学生より遅い。それに通学路の指定はない。そして並んで行く必要も無い。だから中学になった子供たちとは、朝の時間帯では会わなくなる。今日、ひさしぶりに出会った。

この子は痩せ型で手足が長く、小顔でかわいかった、美人になるなと思っていた。今は、ポニーテールで、顔も少しふっくらとし色白である。夏服の青地の袖なしのワンピースに、白いブラウスが光り彼女を大人びさせている。通学鞄をリュックのように背負い、手を後ろに組んでうつむき加減に微笑んで行く。その後ろ姿を見送っていると、耕一はハッとした。淡い光が見えたのだ。猫柳の芽が光に包まれて乳白色の光を放つあの光である。人にはオーラがある。それは魂の色だ。サチは今、淡い乳白色の輝きをまとっている。

風が吹いた、彼女のスカートが舞い上がった。太腿が覗いた。もう女であった。

          2021.10.23