今回は教会の労働環境に関してです。

 

私が公職をしていた間、教会はほぼ休みなしでした。

 

年末年始、GW、お盆はさすがに休みでしたが普段の休みは無し!!

特に総務部長は朝から晩まで教会にいらっしゃいました。

上記の休みの期間であっても、教会で留守番をしていないといけなかったり、、、小学生や中学生という多感な時期のお子様がいらっしゃる方もいましたが、夕食の時間に一瞬帰るだけで夜は教会長が返るまで待機。

毎日12時前後までいらっしゃいました。

 

 

家庭が大切だ!氏族メシヤだ!と言いながら、なぜ家庭に居る時間を割いて教会に来させるのでしょうか?

 

ある日、基台長と呼ばれる婦人の方々に教会長が言いました。

「なぜ夫を教会に連れてこないのか?基台長の夫が来てないと、ほかの食口に夫復帰しろと言えないだろう!」

 

そりゃあ、毎晩毎晩家庭を放り出して夜遅くまで教会にいるわけですから、夫を愛する暇もないでしょう、、、。

 

氏族メシヤ勝利が2020年勝利の鍵だ!そのために家庭や、氏族に尽くすんだ!と毎回のように教会長が叫ぶが、その割には教会スタッフを休ませず、食口を毎晩毎晩集めては精誠条件だ!と言って12時近くまで拘束する、、、、やっていることが完全に矛盾してますよね。

 

これでは氏族どころか自身の家庭にすら投入できませんが?

 

 

私の家庭も子どもが生まれ、教会の薄給ではやっていけないので奥さんが職場復帰したのですが、奥さんが大変でした。

 

私に休みがないので日に日にたまっていく奥さんのストレス。

私自身も疲れがたまり、負の感情が表に出てしまうことがだんだんと多くなっていました。

 

ケンカこそしなかったものの、家庭はあまりいい雰囲気とは言えず、奥さんにも子どもにも申し訳ない思いを募らせながらも教会の業務に追われる日々でした。

 

 

過去に一度、本部から「教会スタッフは必ず週に一回は休みを取るように。」という公文が出ました。

 

私はこの公文を見たとき歓喜しました。

週一で家族水入らずの時間を取れる!と。

 

総務部長が教会長にその公文を見せながら「これどうしますか?」と聞きました。

そこで教会長が一言

 

 

「そうは言ってもねぇ。」

 

 

はい、これで終了です。

その公文は、なんと、無かったことにされました。

 

 

 

心の中で「はぁ!?」と、叫びました。さすがにこの出来事は堪えました。

 

奥さんと子どもの寂しい思いを少しでも減らせる!この公文は希望の光だ!!と思ったらたった一言で一蹴されて、、、、。

 

しばらくの間、絶望や怒りや悔しさや、、、様々入り混じった感情が渦巻いてました。

 

今思えばこの出来事が、私が公職を降りる決意をした決定的な出来事だったかもしれません。

 

 

教会の労働環境ははっきり言って最悪です。

 

 

おそらく一世の先輩方はそうやって投入して頑張ってこられたのでしょうが、もう一度振り返って考えてみて欲しいです。

どれだけの二世がその投入ゆえに教会から去っていったのか。

どれだけの婦人の夫がその投入ゆえに教会に来れていないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

初めまして。

 

世界平和統一家庭連合に所属するアラサー祝福二世shouri15です。

 

自分の信仰や家庭のこれからについて考えることが多くなってきた今日この頃、、、。

残念ながら相談できる人が近くにいないのでブログで吐き出してしまおうと思い、開設しました。

 

吐き出してすこしすっきりできたらな~との思いから作った自己満足ブログです。

 

私の両親は6000双。

小中高と真面目に教会に通い、大学ではCARPに所属し、そのまま献身。

CARP卒業後は教会に公職者として用いられましたが様々感じることがあって辞めました。

 

ちなみにですが、私は信仰をやめるつもりは全くありません。神様も真の父母様も信じています。確信があります。一生続けていくつもりです。

 

そして二世によくある両親に対する恨みも特にありません。

確かに、仕事に、教会に、と忙しくしてはいましたが、それ以上に両親から愛情を感じて育ってきましたので特に恨みもなく、むしろ尊敬しています。

 

献身したのも、両親のようになりたいと思ったからです。

 

それを前提としていきながらなぜ教会の公職をやめたのかということを綴っていきたいと思います。

 

 

 

とにかくまず書きたいのは私が見てきた家庭連合の現状と言いますか、現場の様子です。


 

 

私が公職を降りた原因の一つは教会の文化です。

自分自身にももちろん原因はありますが、それにしても教会の文化には耐えられなかった、、、、。

 

まず牧会者と呼ばれる方々。

 

私が公職についている間に3つの教会で5人の牧会者の下で働いていましたが、食口を大切にしているなと感じることができた人は 一人 だけでした。

 

とりあえず牧会者がらみで私が躓いた内容を羅列していきます。

 

・献金が出せない婦人を怒鳴り、否定し、罵倒する。

 「献金が出せないのは不信仰だ!」はまだ序の口。

 「し〇でしまえ!」なんて言う言葉も何回か聞いた。

 

・事がうまく進まないと「わかってない」「馬鹿だ」「その人の問題だ」と悪口陰口。

 

・常に上から目線で食口の目線に降りてこようとしない。明らかに見下している。

 礼拝の説教で「あなたたちは何もわかってない。」「私は大変だ」

 食口からの質問に対して「はぁ?」「なんで分からないの?」

 

・基本トップダウンで命令は絶対。意見は聞かない。

 意見する奴は信仰がない!まずはやれ!とにかくやれ!

 お父様から間違いだと指摘された「アベル絶対」の文化が普通に残っている。

 

・失敗したら当事者のせい。責任を持たない。当事者を批判するだけして丸投げ。

 「夫を復帰できないのはあなたの問題。子どもに問題があるのはあなたの問題。」

 ちなみに私が会った牧会者で、子どもが教会に来ている人はほとんどいなかった。

 

・食口が訪ねて来ても迷惑そうな顔と言動をする。まともに話を聞かない。

 「なんで来たの?」「(怒りながら)今忙しいんだけど!」

 ちなみにお金の話は別。何をしてても大歓迎。

 

・月末に教会に響き渡る怒号。教会に来ていた二世青年ドン引き。

 牧会者ではなく、婦人部長が叫ぶ場合もあります。

 

・月末は深夜まで及ぶ精誠条件と電話掛け。

 12時超えは当たり前。家庭なんて何のその。献金勝利の為に「死ぬ気でやるのだ。」

 

・上記の内容がすべての牧会者に当てはまるわけではありません。いい人もいました。

 でもそういう人に限って実績(献金)が出ず、すぐ人事。

 

 

思いつくままにあげましたがまだまだある気がします。

 

 

私が教会にいながら常々思っていたことは「この教会のどこに愛があるんだ?」です。

 

 

 

 

 

正直精神的に疲れました。

 

 

CARPに所属していたころはまだ、家庭連合が掲げている理想に向かっているなという実感がありましたが、教会に来てからは全くと言っていいほど感じず、、、、。

 

むしろ掲げてる目標や教義と正反対の言動があまりにも多くて辟易しました。

 

 

最初の方こそ「私がこの文化を変えるんだ!」と息巻いてましたが、無駄でした。

私の努力が足りないのかもしれませんが、もう疲れてしまいました。

 

 

途中からは仕事にやる気も出ず、、、皆さんが苦労して捧げた献金から給料をもらっているのがあまりにも心苦しくてやめました。

 

 

最初に書いたように、信仰を捨てるつもりはありません。

両親という、み言を実践し、愛し、為に生きる実体が身近にいるのでそこに関しては疑う余地がありません。

 

が、教会の内部にいるのは疲れました。

最後の方は鬱寸前だったと思います。

 

奥さんにも苦労を掛け、子どもにも寂しい思いをさせてしまいました。

 

これからは仕事をしながら、しっかりと家庭を守っていきたいです。

 

まだまだ吐き出したいことがたくさんありますがとりあえず今回はここまでとさせていただきます。

 

また時間ができたら書きたいと思います。

 

読んでくださった方々、ありがとうございます。