大学の経済学の事業でロビンソンクルーソーの経済学というのを習ったが、経済学者はロビンソンクルーソーが好きで、マルクスも、マックスウェーバーも皆この論理を採用している。キリスト教が産業革命の時に導き出した活路は、人はそれぞれ天命を受け、その道に邁進することが、神のミッションをであるということで、それまで禁じられていた個人が利潤を追求する事の免罪を得たと、NHKの番組でやっていたのを見たことがある。人はもともと、1日山に行き籠いっぱいの薪を集めるとか、海に出て魚を魚籠一杯取るとかの生産性しか持っていなかった。それを交換する事や分業する事で、少しずつ大きな生産性を得る様になった。という事らしいが、俯瞰して見れば、、資本主義は、大きなねずみ講としかわたしには見えない。子供が永遠に増え続けることはないし、最初に始めたものが大きな利潤を得ている事は否めない。誰かの幸せは実は誰かの犠牲の上に成り立っている様な気がしてなりません。資本家を好きでないのは、経済学という隠れ蓑の下で、人を踏み台にしていることを正当化していることかもしれません。そうなると、結局、晴耕雨読。他人を自分の幸せのために不幸にする生き方が、悲しいと思ってしまうのはわたし1人でしょうか?でもその考えも日本という国に生まれ育って、戦争のない世界で、いろいろ恵まれているから言えることと思うと、それも悲しいですね。ペシミニストな私です。