月下の一群・第2集の最後となる5曲目は原詩がモーリス・ヴラマンク
による“冬”です。
1集の4→5曲目の流れと違って2集ではこの4曲目・5曲目というのは
まったく正反対の詩と曲になっていて、あえて両極端に対比されるための
曲順にしてあると思えます。
陰鬱で即興的なピアノの前奏はアダージョのテンポながら32分音符に
よる細かい譜割りで不穏な気持ちのゆらぎを表しているかのようですが、
そこに重々しくバリトンとベースによる合唱の旋律が導入されていきます。
歌詞の前半4分の1まではトップパートは入らず、セカンドからベースの
3パートのみで進行していくところはこれまでの月下の一群シリーズと
しては見られなかった形になっています。
(下パートからじっくりと旋律を組み立てていくという手法自体は合唱曲で
は珍しいものでは有りませんが。)
「髪の毛はしろく~」からトップが加わり、ようやく4パートで曲が構成され
ます。この後の最後の「恋の 苦労も 無い」の部分ですが、ここはこの
曲での一番の伝えどころかと思いますが「恋の」がピアニッシモで、そこ
からクレッシェンドで「ない」がフォルテの指定になっている所がいいです。
音の高さは「恋の」がA音で本来ならばここがフォルテにしたい所ですが
ここをppにするところがやはり1集の5曲目“秋の歌”との違いかな、
と個人的には思っています。
“秋の歌”での悲しさは感傷的な意味合いが強いと思いますがこの“冬”
での悲しみは取り戻せることのない「老い」の悲しみで、死が迫った老人の
絶望・諦観になるのであえてこのような曲想にしているのだと思います。
この曲でフォルテになるところは2箇所ですがほぼ終始重々しく、動的な
盛り上がりは無い曲になっています。
前曲の“十月の薔薇”との対比、また1集の“秋の歌”とも対比させる意味
合いの大きいこの“冬”という曲ですが、この月下の一群第2集は1集より
より鮮明に、恋⇔失恋、若さ⇔老い、生の喜び⇔死の悲しみ、という
対極の事象を浮き彫りにして組み上げられている曲集だというのが
判ります。
私は1集よりこの2集の方に音楽的な深みを感じるということは前にも
書きましたが、曲集を通じてのテーマ、という意味でもやはり2集は
1集をさらに1歩押し進めた曲集になっているかと思います。
ということで1集にしか興味無い人もたまには2集も聴いてあげて
下さい。(といいつつ2集はCD化されてませんが・・・・)
これにて月下の一群第2集のレビューは終わりです。
次は本当に誰も知らない3集です。