『やさしい魚』の5曲目となる最終曲は同名の「やさしい魚」です。

この組曲のクライマックスにして多分1番の名曲、私もこの曲が

一番好きです。

前奏はホ長調とヘ長調が交錯するなんとも言えない浮遊感に

満ちた感じで、なにかの終焉を予感させる寂しさも感じさせます。

合唱パートがア・カペラで物憂げに登場し、何かを訴えかけるよう

にファルセットに入っていきながら再び冒頭のピアノ伴奏の

モチーフが現れ、悲しみに満ちた合唱パートがかぶさります。

「うろこがはがれた」の歌詞が合唱的にポリフォニックに重なり

ながら、歌詞の核心

「うろこがはがれて やさしいうお は ひりひり いたい」

がここで4パート全てによってffで歌い上げられます。

歌詞的には、やさしい魚のうろこがはがれていく時間的経過を

曜日に置き換えて

「月曜日に1枚 火曜日に2枚」・・・とはがれてゆき、ついに

「土曜に38枚」はがれ、最後に


「日曜日 歌おうと 海に 来てみれば 砂に

 終止符のような やさしい魚の なきがら」


とやさしい魚の命は絶えてしまいます。

土曜日までの合唱パートの旋律は苦しみに満ちた叫びのようで、

「日曜日~」の後はなんともいえない虚脱感に満ちた、或いは

レクイエムのような響きになり、そのまま曲集全体の幕を

引きます。


この組曲「やさしい魚」はこの5曲目によりいわば「死」によって

終えるというやや変わったタイプの曲なのです。

1・2曲目であれだけ「風がふくから生きよう」とか「おれの生き方は

こうなのだ」と(1曲目が後半死後の世界を意識してはいますが)

生に対して前向きで、3・4曲目も生の多幸感を感じさせるのに対し

最後の5曲目でこういう風に終えるのが非常に衝撃的です。


ただ私はこの5曲目に非常に共感していて、やさしい魚=繊細で

傷つきやすいため他人と常に争わなければ生きてゆけない

現代社会の中で生きにくい思いをしている人、そしてその性分の

ために自ら命を絶ってしまった人 のことを考えるたびに非常に

胸が痛むのです。


たぶん作詞をした川崎洋氏もこの「やさしい魚」にはそんな現代

社会への批判をこめているのだと思いますが、この詞はそんな

社会を声高に批判するのではなく、社会からはじき出された人の

悲しみを淡々と寓話的に表現していることでより悲しく、また

切ないのです。


日本の年間自殺者はここ10年以上年間3万人台と言われて

います。(ほんとは2万でも1万でも凄く悲しいことに変わりは

ありません。)

私はその人たちのこと、そしてその人たちのために涙を流す事を

忘れたくはないと思います。


おわり