筆者は、原点に戻り一度ブログを中断する事を決意した。

今まで様々な方のご指導に感謝したい。

有難うございました。

 

自分の中で、世の中において何かが違うと感じ始めている。

「何かとは」、倫理観と思う。

やっていい事や、やって悪いことだと。

人は褒められればうれしく思う。でも、嫌がらせを受ければ不快感を感じる。

当然である。

人が嫌と感じる事を自分の意識の中で分かっているのであれば、やめる意識を持つことが必要ではないであろうか。

人が嬉しいとか、楽しいとか、ありがたいと思うような気持ちを持つことがある意味必要と感じる。

時には、感情のコントロールで嫌だなと思う時はある。

それは、それで自分を冷静な感情にする。

筆者は、この感情のコントロールの練習を始めている。

前にも言ったように、精神障害の自閉症スペクトラム障害であるが、感情のコントロールはできるだけの精神はあるようだ。

今日も、感情をコントロールをして一生懸命に生きて行きたい。

 

今日は喪にふくす日である。

3年前の31日に父は他界した。享年74歳である。

アパレル会社で取締役部長まで上り詰め、1990年のバブル崩壊と同時に脱サラをし店を出店する。

凄まじい大不況である。

365日20年間働き続けた父は、脳腫瘍を65歳で発症する。

74歳までの壮絶な闘病生活があった。

今思えば、もっと父親の話をゆっくり聞いてあげる”余裕”があればと感じている。

母は72歳で足に痛みはあるものの元気である。

”いつまでもあると思うな、親と金”である。

母からいやみや妬みを言われても、元気である証拠と思い接していく。

介護福祉士として老人ホームには入れない。在宅介護に徹する。

今日は、父に敬意を表したいと思っている。

”感謝の日”である。

昨日、10月28日に地元の安全パトロールをしようと感じた。

依然から活動はしたく、最寄の警察にお願いをしていた。

交番の警察官に「絶対に一人では行動しないようにね・・・」と温かい言葉をしていただいた。

 

一人ではするが、何かがあれば警察官に相談をするだけの話である。

 

なぜ、このような活動をしようかと思ったのは、自分の精神状態も少しづつ安定してきて、地元の安全を守りたいと言う気持ちがあった。

 

何がしたいかであるが、「やっていいこと」と「やって悪いこと」を根本から見直していきたいと言う気持ちである。

 

人は感情の生き物であるが、余裕があると焦りや緊張は無い。

 

心のゆとりがあると、他の人に対して親切になれる。

 

それは介護士でも当然ありうる。

 

「心にゆとりが出来た」と筆者は思った。

 

「自分にゆとりを持ち、他の方にも安心して生活が出来る街づくりをする」と言う気持ちがあれば、地元は変わると思っている。

 

精神障害者である自分も、「心にゆとりを持つ」ことで少しづつ変わっていけると感じている。

 

今日も一生懸命生きる。

 

 

 

ブログを始めて月日が経つ。

 

初めはあるタレントさんが亡くなった事をきっかけに始めた。

 

ブログは、インターネットにおいての日記であるが、手書きのノートでもいいかなと感じた

時もあった。

 

ただ、ブログをしているうちに様々な方がこのブログを見てくれている事に気が付いた。

 

筆者は先回も書いたように自閉症スペクトラム障害である。

だからといって、見た目は健常者と全く変わらないようである。

 

薬の服薬で理性が保たれているだけの話であるから。

 

この世の中で様々な事で苦しんでいる事を目で見たり聞いたりすることがある。

 

悩んでいる人や苦しんでいる方にお伝えしたい。

 

絶対に助けてくれる方はいるので何よりも相談である。

 

自分で悩みもがき解決出来なかったら、自分の信頼できる人に5分でいいので話す癖

を付ける事が出来れば誰かが気が付く。

 

それで、気づいてもらえなければ専門家に聞くことが必要である。

 

自分で抱え込まずに信頼できる人に思いを相談する事が何よりも筆者は必要と感じる。

 

今日も1日が始まる。上を向いて歩いていきたい。

最近、通勤をする際に電車を利用する。

待ち時間が長い(田舎なので)為、本を読むことにしている。

今まで、通勤の手段は車通勤であったし、自宅に帰るのも21時であったりと様々な用事が

あり本や雑誌を読むことは無かった。

しかし、ビジネス雑誌から新聞等を読み世の中の移り変わりの激しさに驚いている。

普段は何気なく生活している状況の中ですさまじく、かつ迅速に世の中の動きが変わりつつある。

根本たるもののとっかかりは、自分の障害の知識を知る為に本やインターネットを見て知識を得たがそれ以外にも知識を得たいと言う気持ちがあり経済誌等を読むことを始めている。

47歳にして”何を今更”と感じるが、今後の世の中の移り変わりや変遷を見て自分の人生設計や将来のビジョンを考えて行きたいと改めて感じた。

人生の転機はいつでもあるが、それは”感じた時”と察した。

今日もこつこつと努力していきたい。

私は、自閉症スペクトル障害なってから全てにおいてみる物事や聴く物事が変わった。

ウェクスラーⅢと言うものを今年5月に受けたのだがIQがなんと70で脳年齢が20歳から34歳であった。

”頭悪”と感じたが、ちょっと思った。”脳年齢が20歳~34歳”なので若いのかな。”知能指数は低いが”。

私は47歳であるが、少しづつ頭を鍛えればちょっとは良くなるかもと。

不安障害や確認障害、注意欠如多動性障害は服薬をすれば安定的になる。

但し、24時間以内である。

世の中はそんなに甘くはないのが現状であるのでどのようにして生きていくかは人それぞれである。

社会は厳しいものであり、情報や知識が無いと取り残されるのは当然である。

結論、早期に自分で自分を知り解決の糸口を見つけうまく障害と向き合い自分に合うライフスタイルを見つけていくことが何よりも大切で、又、自分に関わっていただける方々に対して常に感謝をすることが必要なのかと思う。

今年2月より8月まで障碍者の職業訓練を受けてきた。全ての職員や職業訓練指導員、生活支援員と称される方に感謝したい。

この1年間でここまで戻れたことは、人生にとって波乱万丈ではあるが素晴らしい事であると思う。

感謝の一言である。

 

 

昨日の障碍者雇用面談で自治体側と企業側、私とで話し合い非常勤職員としての雇用

が決まった。

勿論、介護職補助職員としてである。

ここまで来るのに1年かかったが、この1年は凄く人生の中でいい経験をした。

失う友人も多かったが、それはそれであると思っている。

新たな人生のスタートと思い、丁寧に努力し邁進して生きたいと思う。

先週の金曜日から自分の中で心配事があった。

様々な事を想定する中で、精神的にも辛いものもあった。

既にまえにも自分は自閉症スペクトル障害と称した事をブログにして自分の

精神や心の変化を書いていっている。

不安や確認の障害は薬を服用していても、”ふと”起こるものである。

そこに注意欠如多動性障害がともなるとややこしい。

なので、少しづつ練習を始めた。

「心を落ち着かせる練習」

なかなか雑念が付きまとうが仕方がない。

自分の障害を受け入れそれを否定も肯定もせずに生きていくl事。

自分にある障害は仕方がないのでうまく付き合っていくしかないと感じた。

私は、椎間板ヘルニアや頚椎症もある。

どれも全てうまく付き合っていくしかない。

誰にも迷惑をかけることなく、自分で「心を落ち着かせる」練習をし日々を送る。

迷っていたり、不安になった時には”冷静になる”

”物事をする時”には一旦想定する。

そのルーティンワークを繰り返す事をすることで少しづつ自分の障害とうまく付き合って

行こうかと思う。

昨日は晴れで、今日は雨。

気温差が激しすぎる。

昨日は、体調不良で会社を早退し家に帰りゆっくりしていた。

体調コントロールが結構微妙なこの時期ではあるがなんとか、今年は風邪をひかずに

乗り切りたい。